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August 23, 2020

『上海』 ヤヌス的映画

Shanghai_kamei

前から気になっていた亀井文夫の記録映画『上海』のDVDを手に入れ、ようやく見ることができた。

『上海 支那事変後方記録』と題されたこの映画は1937年8月、日本軍が上海に上陸して国民党軍と戦闘になった「支那事変」の数カ月後の上海を記録したもの。上海の戦闘は終わり、日本軍は南京攻略めざして進軍していた(南京での虐殺は知られているが、この進軍の過程でも掠奪、捕虜・市民の殺害が起きている)。映画の中で軍の広報官が「無錫」「常州」の名を出しているから、撮影は11月下旬だろう。日本映画社の製作、陸海軍の全面的協力でつくられたこの映画は、日本軍の勝ち戦と、上海に平和が戻ったことを宣伝するために企画された。

典型的なプロパガンダ映画なのだが、内容はその一言では片づけられない。監督(クレジットは編集)の亀井文夫は、ソ連に留学して映画を学んだ日本のドキュメンタリストの草分け。この映画の後、武漢作戦を記録した『戦ふ兵隊』は厭戦的との理由で上映禁止になり、治安維持法違反で逮捕されてもいる。だから『上海』を「成功した宣伝映画」と言う人もいれば、逆に「反戦映画」と評価する人もいる。

映画を見て、ふたつのこと(ひとつは撮影された対象、ひとつは撮影スタイル)が印象に残った。 

まず、戦死者の墓標。街角に、路地に、陸戦隊本部のあるビルの屋上に、クリークの縁に、野原に建てられた、戦死した兵士の真新しい木の墓標が、これでもかというくらい執拗に撮影されている。通りかかった兵士や小学生が、頭を下げて通り過ぎてゆく。日本人兵士だけでなく、国民党軍と共に戦った中国人女子学生の墓標も撮影されている。どちら側という区別はない。そして墓標の映像が喚起するのは、言うまでもなく死。この映画に直接の戦闘場面は出てこないが、撮影される直前におびただしい死があったことを、否応なく思い出させる。この墓標のショットは冒頭から前半に集中する。これは間違いなく意図的に挿入されている。 

もうひとつ気がついたのは、移動撮影が多いこと。水平に移動するカメラが、戦闘で破壊された街を、激戦のあったクリークの土手道を、日本軍が上陸に使った船艇の浮かぶ川を、行進する日本兵を見つめる人々を、ゆったりした速度でなめるように映してゆく。屋根が落ち壁だけになった家の残骸。土手道に機銃を据えるため数メートルおきに掘られた窪み。租界を行進する日本兵を日の丸で迎える日本人と、対照的に無表情に見つめる中国人。車上から撮ったのか、右から左へゆっくりと流れる長いワンショットは、見る者の感情を掻きたてるというより、逆に鎮める効果をもつ。勝利の興奮を呼び起こす映像ではない。この撮影スタイルも、明らかに意図されていると思う。

これを撮影したのはカメラマンの三木茂で、監督の亀井文夫は現場に行っていない(当時はそんなスタイルで撮影されることもあったようだ)。そのかわり事前に亀井が構成を考え、三木と打ち合わせたという。だから墓標のショットがたくさん挿入されているのも、移動撮影が多いのも亀井の構想だったのではないか。移動撮影の前後は、今となっては目新しいわけではないカットのつなぎで編集されている。でも例えば、墓標のショット、土にまみれたラッパのショット、野を舞う蝶のショット、とエンゼンシュテインばりのモンタージュもある。

映画の後半は、明らかに「やらせ」のシーンが多い。住民に日本兵が米を配ったり、日本兵が子供と遊んだり、フランス人牧師が日本軍に感謝の言葉を述べたり、中国人生徒に日本の歌を歌わせたり。日本軍の駐留で上海は平和が保たれています、というメッセージ。軍の協力によってできた映画だから、部分はともあれ、「やらせ」を後半に集中させることで全体をプロパガンダに回収した作品にはなっている。その意味では、戦争による破壊と死をメッセージ抜きに静かに写し撮った部分と、「やらせ」のプロパガンダと、ふたつの顔を持ったヤヌスのような映画とも言えそうだ。

現在の目で見るなら、テレビやネットで無数の映像に日々さらされて、見る者の映像リテラシーは戦前と比べものにならないほど高くなっているから、「やらせ」かそうでないかは比較的簡単にわかる。でも映画が大衆的メディアだったとはいえ、ニュース映像はまだまだ貴重で接する機会も少なかったから、観客は戦勝の映像に飢えていた。『上海』は翌38年2月に公開され、映画館は鈴なりの観客にあふれたという。亀井文夫が続けて『戦ふ兵隊』の監督に指名されたことからして、会社にとっても軍部にとっても『上海』は、まずは満足のいく作品だったに違いない。戦前の戦争の時代、戦後しばらく、教条左翼的評価が幅をきかせた時代、『上海』に対する評価は大きく揺れたが、どちらも遠くなった今となっては、亀井文夫・三木茂組が1937年の上海を冷静に見つめ映像に残してくれたことが、なによりの価値だろう。

 映画とは関係ないが、これらの映像が撮影されたと同時期に、何人かの気になる人物が上海にいる。写真家の木村伊兵衛と渡辺義雄は、外務省情報部の委託で上海と、陥落後の南京を撮影していた。映画『上海』が公開された翌月、銀座三越で「南京─上海報道写真展」が開かれている。この写真展については会場風景しか残されておらず、どんな作品が展示されたのかはネガが戦災で焼失したので残念ながら分かっていない。またこの時期の上海には映画監督の小津安二郎が陸軍の一兵士として従軍していた。小津と木村は知り合いだったので、ライカを下げた軍服姿の小津を撮った木村伊兵衛の写真が残されている。

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