『トランスジェンダーとハリウッド』 米民主主義の底深さ
『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして(原題:Disclosure)』は今年のサンダンス映画祭で上映され、6月からネットフリックスで配信されたドキュメンタリー。ハリウッド映画やテレビでトランスジェンダーがどのように表象されてきたかを多くの映像で示し、それをトランスジェンダー自らがどう受けとめたかを語る。製作のラヴァーン・コックス、監督のサム・フェダーはじめ150人以上のトランスジェンダーが映画にかかわったという。『マトリックス』の製作者、リリー・ウォシャウスキも登場する(彼女がトランスジェンダーとは知らなかった)。
無声映画時代の『国民の創生』以来、異性装のトランスジェンダーはしばしばメディアに登場した。男性が女装し、女性が男装した(あるいは白人が顔を黒く塗った)姿は観客に、ある時は笑いを、ある時は恐怖を提供した。『トッツィー』みたいなコメディーでは、トランスジェンダーは笑いの対象となる。『サイコ』や『殺しのドレス』のようなスリラーではトランスジェンダーは殺人者となり、あたかも犯罪者であるかのように印象づけられる。トランス男性かトランス女性か、また人種によってもメディアでの露出とその表象のされかたは違ってくる。いずれにしても彼らは偏見に満ちたステレオタイプに押し込められる。あの映画、この映画で、僕たちは気づかないかたちでトランスジェンダーについての偏見を刷り込まれていた。
それらのステレオタイプをトランスジェンダーがどう感じたかは、人によってさまざまだ。恥ずかしさから、自らの性自認を隠して生きる人もいる。バカにされたと怒り、トランスジェンダーであることを公言して抗議しはじめる人もいる。それでも1980年代あたりからか、トランス女性やトランス男性が俳優やモデル、タレント、専門家として認知され、自らの性自認についてオープンに語りはじめたことによって、メディアも少しずつ変わってきている。
偏見を持った人の嘲笑や恐怖は今も続くが、それに対しトランスジェンダーも積極的に自らの存在を語り、それを支える人々もいる。そういう「対話」によって、少しずつではあれ世界が変わってゆく。こういうドキュメンタリーがトランスジェンダーによってつくられ、ネットフリックスで世界に配信されること自体、事態が動いていることの証左だろう。アメリカという国の民主主義の底深さを感ずる。これを見る以前と以後では映画の見方が変わってくる。そんな力を持ったドキュメンタリーだった。
Comments