August 27, 2020
August 23, 2020
『上海』 ヤヌス的映画
前から気になっていた亀井文夫の記録映画『上海』のDVDを手に入れ、ようやく見ることができた。
『上海 支那事変後方記録』と題されたこの映画は1937年8月、日本軍が上海に上陸して国民党軍と戦闘になった「支那事変」の数カ月後の上海を記録したもの。上海の戦闘は終わり、日本軍は南京攻略めざして進軍していた(南京での虐殺は知られているが、この進軍の過程でも掠奪、捕虜・市民の殺害が起きている)。映画の中で軍の広報官が「無錫」「常州」の名を出しているから、撮影は11月下旬だろう。日本映画社の製作、陸海軍の全面的協力でつくられたこの映画は、日本軍の勝ち戦と、上海に平和が戻ったことを宣伝するために企画された。
典型的なプロパガンダ映画なのだが、内容はその一言では片づけられない。監督(クレジットは編集)の亀井文夫は、ソ連に留学して映画を学んだ日本のドキュメンタリストの草分け。この映画の後、武漢作戦を記録した『戦ふ兵隊』は厭戦的との理由で上映禁止になり、治安維持法違反で逮捕されてもいる。だから『上海』を「成功した宣伝映画」と言う人もいれば、逆に「反戦映画」と評価する人もいる。
映画を見て、ふたつのこと(ひとつは撮影された対象、ひとつは撮影スタイル)が印象に残った。
まず、戦死者の墓標。街角に、路地に、陸戦隊本部のあるビルの屋上に、クリークの縁に、野原に建てられた、戦死した兵士の真新しい木の墓標が、これでもかというくらい執拗に撮影されている。通りかかった兵士や小学生が、頭を下げて通り過ぎてゆく。日本人兵士だけでなく、国民党軍と共に戦った中国人女子学生の墓標も撮影されている。どちら側という区別はない。そして墓標の映像が喚起するのは、言うまでもなく死。この映画に直接の戦闘場面は出てこないが、撮影される直前におびただしい死があったことを、否応なく思い出させる。この墓標のショットは冒頭から前半に集中する。これは間違いなく意図的に挿入されている。
もうひとつ気がついたのは、移動撮影が多いこと。水平に移動するカメラが、戦闘で破壊された街を、激戦のあったクリークの土手道を、日本軍が上陸に使った船艇の浮かぶ川を、行進する日本兵を見つめる人々を、ゆったりした速度でなめるように映してゆく。屋根が落ち壁だけになった家の残骸。土手道に機銃を据えるため数メートルおきに掘られた窪み。租界を行進する日本兵を日の丸で迎える日本人と、対照的に無表情に見つめる中国人。車上から撮ったのか、右から左へゆっくりと流れる長いワンショットは、見る者の感情を掻きたてるというより、逆に鎮める効果をもつ。勝利の興奮を呼び起こす映像ではない。この撮影スタイルも、明らかに意図されていると思う。
これを撮影したのはカメラマンの三木茂で、監督の亀井文夫は現場に行っていない(当時はそんなスタイルで撮影されることもあったようだ)。そのかわり事前に亀井が構成を考え、三木と打ち合わせたという。だから墓標のショットがたくさん挿入されているのも、移動撮影が多いのも亀井の構想だったのではないか。移動撮影の前後は、今となっては目新しいわけではないカットのつなぎで編集されている。でも例えば、墓標のショット、土にまみれたラッパのショット、野を舞う蝶のショット、とエンゼンシュテインばりのモンタージュもある。
映画の後半は、明らかに「やらせ」のシーンが多い。住民に日本兵が米を配ったり、日本兵が子供と遊んだり、フランス人牧師が日本軍に感謝の言葉を述べたり、中国人生徒に日本の歌を歌わせたり。日本軍の駐留で上海は平和が保たれています、というメッセージ。軍の協力によってできた映画だから、部分はともあれ、「やらせ」を後半に集中させることで全体をプロパガンダに回収した作品にはなっている。その意味では、戦争による破壊と死をメッセージ抜きに静かに写し撮った部分と、「やらせ」のプロパガンダと、ふたつの顔を持ったヤヌスのような映画とも言えそうだ。
現在の目で見るなら、テレビやネットで無数の映像に日々さらされて、見る者の映像リテラシーは戦前と比べものにならないほど高くなっているから、「やらせ」かそうでないかは比較的簡単にわかる。でも映画が大衆的メディアだったとはいえ、ニュース映像はまだまだ貴重で接する機会も少なかったから、観客は戦勝の映像に飢えていた。『上海』は翌38年2月に公開され、映画館は鈴なりの観客にあふれたという。亀井文夫が続けて『戦ふ兵隊』の監督に指名されたことからして、会社にとっても軍部にとっても『上海』は、まずは満足のいく作品だったに違いない。戦前の戦争の時代、戦後しばらく、教条左翼的評価が幅をきかせた時代、『上海』に対する評価は大きく揺れたが、どちらも遠くなった今となっては、亀井文夫・三木茂組が1937年の上海を冷静に見つめ映像に残してくれたことが、なによりの価値だろう。
映画とは関係ないが、これらの映像が撮影されたと同時期に、何人かの気になる人物が上海にいる。写真家の木村伊兵衛と渡辺義雄は、外務省情報部の委託で上海と、陥落後の南京を撮影していた。映画『上海』が公開された翌月、銀座三越で「南京─上海報道写真展」が開かれている。この写真展については会場風景しか残されておらず、どんな作品が展示されたのかはネガが戦災で焼失したので残念ながら分かっていない。またこの時期の上海には映画監督の小津安二郎が陸軍の一兵士として従軍していた。小津と木村は知り合いだったので、ライカを下げた軍服姿の小津を撮った木村伊兵衛の写真が残されている。
August 22, 2020
August 20, 2020
『ザ・ライダー』 静謐に言葉少なく
『ザ・ライダー(原題:The Rider)』はネットフリックス・オリジナルではないけれど、日本未公開の2017年作品。こんな素晴らしい、ミニシアターならとびつくような映画が、なぜ公開されなかったんだろう。役者も監督もまったくの無名だからだろうか。
アメリカ中西部、サウス・ダコタに暮らすロデオ・カウボーイ、ブレイディ(ブレイディ・ジャンドロー)。彼がロデオで頭に大怪我を負って手術し、愛馬の夢を見て目覚めるところから始まる。手術した側頭部には皮膚を縫いつけた十数個のホチキス針。医者からはもう馬に乗れない、と言われている。あきらめられないブレイディは少しずつ馬に触れはじめるが、後遺症で手の指が固まり手綱を放せなくなる。
そんな失意の日常が淡々と重ねられる。愛馬との交流、ロデオ仲間と会い、やはり大怪我して車椅子の兄貴分レインへの見舞い。父は調教師だが貧しく、妹は障害をもっている。生活のため、スーパーマーケットで働く。調教師でもあるブレイディは荒馬の調教を引き受ける。馬に乗って走るのは広大なプレイリーとバッドランドと呼ばれる岩山地帯。最後、ブレイディは父親の制止を振りきりロデオの会場へ向かうのだが……。
驚くのは、主役のブレイディはじめ家族や仲間などほとんどの登場人物が役者でなく、実名で登場していることだ。だから馬との愛情の深さも荒馬の調教もほんもの。ブレイディの怪我も実際に負ったもの。障害をもつ妹も、車椅子の兄貴分も、現実そのまま。それでいて素人であることを少しも感じさせない。すべて素人を使った映画となると、どこかドキュメンタリーふうなテイストが出るものだけど、さらに驚くのは、それもなったくないこと。青春の挫折を言葉少なに語って、簡潔で、無駄のない劇映画として完成度がとても高い。
三たび驚くのは、脚本・監督のクロエ・ジャオは中国(北京)出身の女性で、これが第2作。アメリカへ来たのは高校時代で、ニューヨーク大学で映画製作を学んでいる。同じ大学出身でハリウッドで活躍している中国系の監督にアン・リーがいるけど、彼の『ブロークバック・マウンテン』を彷彿とさせる映画だった。この後、2本の新作をつくっているようで、なんとも楽しみ。
第53回全米映画批評家協会賞と第28回ゴッサム・インディペンデント映画賞の作品賞を受けている。なおネットフリックスだけでなく、アマゾン・プライムでも見られるようだ。映画好きなら見逃せない作品です。
August 18, 2020
August 15, 2020
August 14, 2020
坂川栄治さんを悼む
ブック・デザイナーの坂川栄治さんが亡くなった。坂川さんとはフェイスブックでつながっていたから、別荘のある信州の風景や自ら設計した書庫や庭仕事や室内の風景など、写真家でもある坂川さんの撮るものを楽しんでいた。新宿荒木町の仕事場と別荘を行き来しているようで、人生の愉しみ方を知っている坂川さんらしいなあ、と思っていた。それがいきなりの訃報。庭仕事の途中で倒れたとのことだ。
坂川さんとは2冊の単行本と1冊のムックで一緒に仕事をしたことがある。なかでいちばん記憶に残るのは、最初に筑紫哲也『旅の途中』の装幀をお願いしたときのこと。筑紫さんは『朝日ジャーナル』時代の小生のボスで、朝日を離れ「筑紫哲也NEWS23」の時代にお目にかかり、数十年に及ぶ記者生活のなかで巡りあった人々について書いていただいた。本番前のTBSで打ち合わせしたとき、「僕の本はジャーナリスティックな内容のものが多いから、装幀もそんな感じなんだ。今度のは自伝的なところもある回想だから、装幀をがらっと変えたいな」というのが筑紫さんの希望。それであれこれ考えた末にお願いしたのが、坂川さんだった。
もちろん坂川さんの仕事は知っていた。同世代のたいていの人がそうであるように、名前を知ったのは『switch』のアート・ディレクターとして。最初にこの雑誌を読んだとき、アメリカの高級誌みたいに中身が濃くデザインのセンスもすごいなあ、といっぺんでファンになった。その後、単行本の装幀家としての仕事も知った。当時、こちらは写真雑誌の編集をやっていたので、神宮前に坂川さんが開いたバーソウ・フォト・ギャラリーに何度か出かけ、お目にかかってもいた。
坂川事務所は広尾の有栖川公園脇の坂道を上って左に小路を折れたところにある、瀟洒な洋館ふうの建物だった。通された応接室には部屋いっぱいに大きなデスクが置かれ、壁には坂川さんが集めたお気に入りのモノクロ写真がかかっている。バーソウで見たスティーブ・ガードナーの作品もあったと思う。最初の仕事だけど面識もあったので互いになんとなく分かっていて、筑紫さんの希望を伝えた後は、写真の話ばかりしていたように記憶している。その後、何度も事務所を訪ねることになるが、坂川さんの仕事を全面的に信頼していたので時間はかからず、たいていは写真や映画の話をしていた。
できあがった『旅の途中』の装幀は、若い日本画家の装画と文字使いが絶妙にマッチしていた。筑紫さんも喜んでくれた。亡くなってからご自宅を訪問したら、ご家族から、筑紫は自分の本では『旅の途中』がいちばん気にいっていました、と伝えられて嬉しかった。そのことを坂川さんに報告したら、うん、うんとあの笑顔で喜んでくれた。
昨年、小生は悪性リンパ腫を患い、治療の合間に過去に書いた原稿を集めて一冊の本を自費出版した。今年の春、それを坂川さんに送ったら、バーソウ・フォト・ギャラリーの写真絵葉書(坂川さんの作品)で返事をいただいた。「裏話面白いです。ガン、大変でしたね。いつ誰に訪れても不思議のない出来事ですよね。私も残りの人生、自分らしく生きようと思いました」とある。仕事も遊びも愉しんで自分らしく生きた坂川さん、病気をしたわが身より早く逝くなんて信じられない。今日もフェイスブックで信州の風景が送られてくるような気がしている。
August 13, 2020
August 10, 2020
『トランスジェンダーとハリウッド』 米民主主義の底深さ
『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして(原題:Disclosure)』は今年のサンダンス映画祭で上映され、6月からネットフリックスで配信されたドキュメンタリー。ハリウッド映画やテレビでトランスジェンダーがどのように表象されてきたかを多くの映像で示し、それをトランスジェンダー自らがどう受けとめたかを語る。製作のラヴァーン・コックス、監督のサム・フェダーはじめ150人以上のトランスジェンダーが映画にかかわったという。『マトリックス』の製作者、リリー・ウォシャウスキも登場する(彼女がトランスジェンダーとは知らなかった)。
無声映画時代の『国民の創生』以来、異性装のトランスジェンダーはしばしばメディアに登場した。男性が女装し、女性が男装した(あるいは白人が顔を黒く塗った)姿は観客に、ある時は笑いを、ある時は恐怖を提供した。『トッツィー』みたいなコメディーでは、トランスジェンダーは笑いの対象となる。『サイコ』や『殺しのドレス』のようなスリラーではトランスジェンダーは殺人者となり、あたかも犯罪者であるかのように印象づけられる。トランス男性かトランス女性か、また人種によってもメディアでの露出とその表象のされかたは違ってくる。いずれにしても彼らは偏見に満ちたステレオタイプに押し込められる。あの映画、この映画で、僕たちは気づかないかたちでトランスジェンダーについての偏見を刷り込まれていた。
それらのステレオタイプをトランスジェンダーがどう感じたかは、人によってさまざまだ。恥ずかしさから、自らの性自認を隠して生きる人もいる。バカにされたと怒り、トランスジェンダーであることを公言して抗議しはじめる人もいる。それでも1980年代あたりからか、トランス女性やトランス男性が俳優やモデル、タレント、専門家として認知され、自らの性自認についてオープンに語りはじめたことによって、メディアも少しずつ変わってきている。
偏見を持った人の嘲笑や恐怖は今も続くが、それに対しトランスジェンダーも積極的に自らの存在を語り、それを支える人々もいる。そういう「対話」によって、少しずつではあれ世界が変わってゆく。こういうドキュメンタリーがトランスジェンダーによってつくられ、ネットフリックスで世界に配信されること自体、事態が動いていることの証左だろう。アメリカという国の民主主義の底深さを感ずる。これを見る以前と以後では映画の見方が変わってくる。そんな力を持ったドキュメンタリーだった。
August 02, 2020
『オールド・ガード』 切れのいいアクション
小生もそれなりの映画ファンのつもりだけど、小生よりたくさん映画を見ているNさんお勧めのアクション映画がネットフリックス・オリジナルの新作『オールド・ガード(原題:The Old Guard)』。シャーリーズ・セロンがなんとも魅力的!
原作はアメリカン・コミックス。なぜか不死身になってしまった戦士が世紀を超えて人々のために戦うという、いかにもアメコミらしい荒唐無稽な設定。ボスのアンドロマケ(アンディ。シャーリーズ・セロン)は紀元前に黒海周辺で活動したスキタイの女戦士。アンディに従う男3人は十字軍の生き残りなど。そこにアフガニスタンで殺され生き返った米海兵隊のアフリカ系女性隊員ナイル(キキ・レオン)が加わる。彼らの不死の理由を探ってひと儲けを企む製薬会社のCEOが元CIAを雇ってアンディたちを捕らえ、最後はお定まりの格闘、銃撃戦というお話。
ともかくシャーリーズが恰好いいのなんの。ブロンドを黒く染め、バッサリと短髪。黒ずくめのTシャツと細身のパンツにブーツ。サングラスをかけて歩く冒頭のショットは男の子みたい。シャーリーズは『エスクワイア』で「最もセクシーな女性」に選ばれたこともある女優だけど、身体も絞り(彼女は役づくりで体重を十数キロ増やしたり減らしたりする)、しゃべり方や仕草からも女っぽさをとことん消してる。こういう強い女のキャラクターは『エイリアン』のシガニー・ウィーバーが思いつくけど、シャーリーズがすごいのは、それに加えてアクション・シーンの切れのよさ。パンチにキック、そして敵を投げてと、44歳とは思えない格闘技を披露してくれる。シャーリーズはこの映画の製作者として出資もしているから、このヒロイン像は望まれたものでなく彼女自身が欲していると考えていいんだろう。
シャーリーズは小生にとっては『サイダーハウス・ルール』とか『あの日、欲望の大地で』とか文芸映画の印象が強かったけど、『マッドマックス 怒りのデスロード』で丸刈りに顔を黒く塗った女戦士に度肝を抜かれた。『オールド・ガード』はその延長上で、シャーリーズ自身が自分の魅力はここに(も)あると見定めたんじゃないか。監督も女性でジーナ・プリンス=バイスウッド。続編も動きだしてるらしい。
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