『リアリティのダンス』
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チリの映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキ監督の『エル・トポ』を見たのはもう40年近く前のことになる。西部劇スタイルでガンマンが荒野を放浪する話だけど、それがいつの間にか地下世界のフリークスが登場したり大虐殺が繰り広げられたり。南米の土俗的キリスト教の匂いのする、奇妙な、でも記憶に残る映画だった。以後、SF大作『DUNE』が挫折したり(デヴィッド・リンチが映画化した)、数本しか映画を撮ってない。『リアリティのダンス』(2013)は監督が23年ぶりにつくった作品。
1930年代、ホドロフスキ自身の少年時代が回想されている。といっても普通のリアリズムじゃない。奇妙奇天烈な登場人物やエピソードが脈絡なくつながってゆく。冒頭、監督自身が画面に登場して、子供時代の自分であるアレハンドロ少年(イェレミアス・ハーコヴィッツ)の心臓に手を当てながら独白する。「心の奥に住んでいる子供を感じる。その子の瞳は永遠の不在で満たされ、常によそ者と感じている」。このセリフが、映画の通奏低音となる。
続いて荒地に張られたサーカスのテント。ピエロが手品を演じ、観客はみな仮面をかぶっている。一転して、黒衣に黒傘の数百人の集団が荒野を行進する無気味なショット。後にこれがペストで隔離された病者の集団と分かるのだが、過酷な風景と極彩色の人工物。登場するフリークスたち。まぎれもなく『エル・トポ』につながる世界だ。
アレハンドロ少年は、ウクライナから亡命してきた両親とチリの港町で暮らしている。アレハンドロは、母サラ(パメラ・フローレンス)の手で長い金髪の鬘をつけさせられ、少女と見紛う美少年。サラは豊乳の大柄の女性で、敬虔なカソリック信者。洋品店(店にはスターリンの肖像画)を営む父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキ──監督の息子)はスターリンを崇拝する共産主義者。全体が少年の目から見た父と母の物語になっている。母はアレハンドロを過剰に愛し、父は軟弱なアレハンドロの鬘をはぎ、男として鍛えようとする。
母サラのセリフがすべてオペラのように歌になっている。最初は違和感があるけど、やがてそのゆったりしたテンポとメロディが快感になる。父ハイメの遍歴が語られる。独裁者を殺そうとして逆に独裁者に気に入られ、愛馬の世話をすることに。やがて記憶喪失。手が萎えたハイメは信心深い椅子職人と出会う(聖書にある話みたい)。ナチスを信奉する政権からの拷問。このあたり、1970~80年代のピノチェト政権が暗喩されてるのかもしれない。そんな遍歴の果てにハイメは家に戻る。サラの愛がハイメとアレハンドロを包み込む。サラを演ずるパメラ・フローレンスが圧倒的な存在感。
『フェリーニのアマルコルド』か寺山修司『田園に死す』か、というフィクショナルな自伝でした。フェリーニや寺山と同じく、いやそれ以上に個性的で面白いなあ。
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