大戸貝塚へ
一昨日は縄文時代の植生を残す睦神社まで散歩したので、今日は縄文時代の貝塚である大戸貝塚あたりを歩く。
大宮台地の端にあるこのあたりは、小さなアップダウンが多い。貝塚近くの谷筋には小さな川が流れていて現在は暗渠になり、その上が緑道になっている。縄文海進の時代には、このあたりまで古東京湾が入り込んでいた。緑道から少し坂を上がった住宅地のなかに大戸貝塚跡があり、石碑が建っている。
貝塚は5~6000年前、縄文前期のものと推定される。使われなくなった5つの竪穴住居跡の窪みに貝が捨てられていた。東西35メートル、南北30メートルの大規模なもの。貝は淡水産のヤマトシジミを中心に、海水産のハマグリ、ハイガイ、マガキなど16種。想像するに、この谷筋は川から流れ込む淡水と入り込んだ海水が入りまじり汽水湖のような状態だったのではないか。
この坂を上りきると、向こうに低地が広がるのが見え上越・東北新幹線が走っている。この低地一帯、当時は荒川に沿って入り込んだ古東京湾の入江だった。貝塚のある高台は南北に走る尾根筋で、だから古東京湾と反対側の谷筋の汽水湖に挟まれた岬のような地形だったのかもしれない。そんなことを想像してみる。
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