May 30, 2020
May 28, 2020
高沼用水路西へ
非常事態宣言は解除されたけれど、高齢者で病後リハビリ中の身としては、まだ出歩く気になれない。
というわけで、いつもの散歩道を少し遠くまで。30分近く歩いて上越・東北新幹線(埼京線)のガードを越えると、高沼西縁用水路が流れている。大宮から浦和にかけては、この用水路に沿って新幹線が建設された。ガキのころの行動半径の外縁に当たり、この水路を三番川と呼んでザリガニを採りにきた。かつて一面の水田だったこの一帯には高沼東縁用水路(一番川)、鴻沼川(二番川)、そしてこの西縁用水路と3本の灌漑用水が流れている。写真のあたりは市とNGOによって林が保存され、昭和30年代の風景が残っている数少ない場所。今も子供たちが蝶を追いかけたり、ザリガニ釣りをしている。
May 24, 2020
高沼用水路へ
わが家は大宮台地の端にある。自宅から荒川方向へ歩くと、いくつかの上り下りがあって台地が終わり、広い低地に出る。かつては一面の水田だったが、今は埼京線が通って住宅地になっている。そこに3本の小さな川が流れている。最初に渡るのが、この高沼用水路。徳川吉宗の時代に新田開発のため掘削された、長さ10キロほどの用水路だ。ガキのころは、「一番川」と呼ぶここまで遊びにきて鮒釣りをしていた。今は灌漑用水としての役割はとうに終わり、遊歩道として整備されている。流れのなかを、50センチ近い鯉が何匹も泳いでいる。
今週は日照がほとんどなかった。久しぶりに太陽が顔をのぞかせたので、用水路を散歩。とはいえ気になるニュースを聞いてしまったので、気分はいまひとつ。
May 23, 2020
『ブラインド・マッサージ』 ロウ・イエの成熟
「2980円、60本見放題」のアップリンク・クラウドで中国のロウ・イエ監督の映画を見ている。『ふたりの人魚』『パリ、ただよう花』につづいて今日は『ブラインド・マッサージ(原題:推掌)』を。これまで小さなパソコン画面で見ていたが、Nさんに教えてもらってHDMIケーブルでテレビにつなぎ、テレビ画面で見られるようになった。大きさはもちろん、色の深みがずいぶん違う。
原題の推掌とは、マッサージのこと。南京で視覚障碍者が集まって営むマッサージ院を舞台にした群像劇だ。群像劇といっても、同性や異性の愛をずっと描いてきたロウ・イエ監督のことだから、何組かのカップル(カップル未満)が中心になっている。院長のシャー(チン・ハオ)は健常者の女性と見合いして断られたばかり。院生で美人と評判のドゥ(メイ・ティン)にご執心だ。自らの美しさを知る由もないドゥは、美人と言われることに苛立っている。マッサージ学校で院長の同級生だったワン(グオ・シャオドン)が恋人のコン(障碍者であるチャン・レイが演じている)と深圳からやってくる。若いシャオマー(ホアン・シュエン)がコンに執着する。みかねた仲間がシャオマーを風俗に連れていき、シャオマーは風俗嬢と愛しあうようになる。
ロウ・イエ監督はいつもの手持ちカメラでぐらぐら動く映像に加えて、周辺をぼかしたり、被写界深度を極端に浅くしたり、光がほとんどない暗い視界になったりする。またマッサージを受ける人の肌を舐めるように撮る触感や、音に敏感になるなど五感を総動員して視覚障碍者の世界を伝えようとする。といってこの映画、障碍者を特別な存在として見ているわけでもない。僕たちの側にいる、ごくふつうの隣人として描いている。
映画には視覚障碍者もたくさん出ている。役者たちは、目に不透明のコンタクトレンズを入れて演じたそうだ。撮影現場は大変だったろう。その甲斐あって誇張やわざとらしさがなく、ごく自然な感じ。見ているうちに、障害者の世界だということを忘れてしまう。ラスト、南京の古びたアパートで健常者と障碍者の一組のカップルが誕生することを祝福したくなる。実験的なスタイルが中身と調和して、ロウ・イエ監督の成熟を感ずる。
May 17, 2020
May 15, 2020
与野の大カヤへ
樹齢約1000年と言われる与野の大カヤまで歩く。ここまで歩いたのは1年ぶりくらいか。
去年の秋頃から、治療の副作用で下半身と足裏にしびれが出た。治療を受ける前に、そうなるかもしれないと言われていたので、やっぱりという感じだった。といって歩けないほどのしびれでなく、日常生活はふつうに送ることができる。ただ長時間歩くとすぐ疲れて、ひと息いれたくなる。だから毎日の散歩も30分から始めて、40分、50分と少しずつ延ばしてきた。与野の大カヤまでは往復1時間以上かかる。わが町は緊急事態が解除されていないので幹線道路を避け、人けの少ない道を選んでようやくやってきた。
1000年前といえば平安中期。摂政・藤原道長が「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と詠った時代だ。それでも都はたびたび火事と疫病に襲われていた。年表を見ると、「1015年 内裏焼亡。疫病流行」「1016年 京都大火」「1024年 京都大火」「1025年 諸国に疱瘡流行」「1028年 平忠常、下総で反乱」「1030年 疫病流行」とある。この100年後に鴨長明が『方丈記』に記した乱世ではまだないにしても、道長はともかく庶人にとっては困難な時代だった。
大カヤは根元は太いものの、雷か嵐で折れたんだろう、高さはそんなにない。それでも、1000年の間にいくたびもの疫病の流行を見てきたんだろうな、と思いながら、太い樹木の周りを一巡り。
May 12, 2020
May 11, 2020
May 10, 2020
『ふたりの人魚』 アップリンク・クラウド
ミニシアターのアップリンクが「アップリンク・クラウド」として60本の映画を2980円で3カ月見放題というサービスを始めた。アレハンドロ・ホドロフスキ、ロウ・イエ、想田和弘といった監督の映画(旧作)も含まれている。彼らの映画は見てないものが多い。苦境にあるミニシアターを応援する意味もこめて申し込んだ。パソコン画面で映画を見るのは抵抗があるけど、まあ仕方ない。最初に見たのはロウ・イエ監督の2000年作品『ふたりの人魚(原題:蘇州河)』。
冒頭から川の水面と、川岸にびっしり建つ古びた建築物が延々と映しだされる。川は上海の下町を流れる蘇州河(呉淞江)。ぐらぐら揺れる手持ちカメラが、やがて主人公の目である一人称カメラになっていることが分かる。主人公の独白がかぶさって、「ふたりの人魚」を巡るふたつの恋物語が語られる。
ひと組はビデオ撮影を生業にしている主人公(最後まで顔は映らない。手だけ)と、カフェバーの水槽で人魚の恰好で泳ぐメイメイ(ジョウ・シュン)。もう一組はバイクの運び屋マーダー(ジア・ホンシャン)と、母親が荷物でなく娘を運ぶことを頼んだことから恋人同士になったムーダン(ジョウ・シュンの二役)。マーダーがムーダンを犯罪に利用したことから、ムーダンは川へ身を投げる。服役から戻ったマーダーはムーダンを探し求め、メイメイをムーダンと信じて近づこうとする。
マーダーがムーダンを探して上海の下町をさまよい歩く。右に左に揺れる手持ちカメラがそれを追う。それがこの映画のすべてと言っていいくらい。その不安定な映像から、マーダーの悔恨と孤独が滲みでてくる。その切迫した息づかいはいま見ても新鮮で、2000年の中国映画としてはびっくりするくらい斬新なスタイルだったろう。
ロウ・イエはこの後、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』を撮って国内上映禁止になり、5年間新作をつくれない罰をくらって話題になったが、映画としてはこっちのほうが上。記憶に残る青春映画になっている。秋に公開予定だったコン・リー&オダギリジョー共演の新作『サタデー・フィクション』が公開延期になってしまった。いつになったら見られるだろうか。
May 09, 2020
May 08, 2020
May 07, 2020
May 06, 2020
7日間ブックカバー・チャレンジ 1
最近、フェイスブックでのやりとりが増えて、ブログの更新が滞りがちです。いま、フェイスブックで「7日間ブックカバー・チャレンジ」という企画がメンバーの間を巡っています。ステイ・ホームの時代に、面白いと思った本のブックカバーを1冊ずつ7日間アップするというもの。巣籠りを少しでも楽しくという趣旨です。私にも友人から回ってきましたので、今日から7日間アップするのを、こちらのブログにも再録します。
[7日間ブックカバーチャレンジ]
#7days#Bookcoverchallenge#day7
西山嘉樹さんからバトンを引き継ぎました。「ブックカバー・チャレンジ」ということで、中身はもちろんですが装幀も記憶に残っているものを選びます。
1日目。ステイ・ホームで面白い小説が読みたいなあ、ということで思い出したのが山田風太郎『幻燈辻馬車』(新潮社)。張り扇の音が聞こえてきそうな快いリズムで語られる明治幻想譚です。小生、高校の授業中に盗み読んだ「忍法帖」シリーズ以来の風太郎ファンなのです。装幀は安野光雅。
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