12年前、ニューヨークに1年滞在したとき、ブルックリンのフォート・グリーンという地域にアパートを借りた。『マザーレス・ブルックリン(原題:Motherless Brooklyn)』の舞台がここで(設定は1950年代だが)、フォート・グリーン地域の高速道路建設とアフリカ系住民立ち退きに伴う犯罪がテーマ。実際に、僕が住んだアパートから5分ほど歩くとブルックリンとクイーンズを結ぶ高速道路が走っていた。その脇には、50年代に建設された「ザ・プロジェクト」と呼ばれる低所得層向け高層団地が建っている。ここがこの映画の「現場」。これは見にいかねば。
映画は、今では懐かしさを感じさせるほど古典的なハードボイルドだった。もちろん現代ふうな味つけはされているけど、そのミックス具合が心地よい。
ハードボイルド映画だから、主人公はもちろん私立探偵。探偵のフランク(ブルース・ウィリス)が事件を調査中に殺される。そのフランクに孤児院から救い出され、事務所のスタッフになっていたライオネル(エドワード・ノートン)が、フランクが殺された理由を調べ始める。ライオネルの前には、立ち退きを迫られる住民を支援するアフリカ系のローラ(ググ・バサ=ロー)や謎めいた男ポール(ウィレム・デフォー)、そして市の都市計画を推進するモーゼス(アレック・ボールドウィン)が現れる……。
古典的なハードボイルド映画を代表する役者はハンフリー・ボガートだけど、ボガートのキャラクターを引き継ぐのは冒頭に特別出演ふうに出てくるブルース・ウィリス。彼をボスと慕うエドワード・ノートンの探偵はチック症状に悩まされ、自分に自信を持てない男。そのかわり記憶力は抜群。でもチック症状に伴って、相手が嘘をついたりすると内心の声が自分の意思と関係なく声になってしまう。それが映画のピリッとした辛みになり、情けないあたりは今ふうでもあるところ。主人公が悩みや弱さを抱えているのは1970~80年代、ベトナム戦争後に生まれたネオ・ハードボイルドに似てる。
ハードボイルドにもうひとつ欠かせないのは男をたぶらかす魅力的なファム・ファタール。古典的なハードボイルド小説・映画では、主人公がいっとき惚れるファム・ファタールが犯人であることが多い。でもこの映画ではその定型を踏まない。ローラがアフリカ系でありながら肌の色が薄いところが謎解きの鍵になってくるのだが、探偵ライオネルとローラの道行きよりもニューヨーク再開発の光と影という社会的要素が前面に出てくる。
モーゼス(名前)のモデルになっているのは1920~70年代の長期にわたってニューヨーク州と市にさまざまな役職で大きな権力を持ち、橋や高速道路、公園などの都市インフラを整備したロバート・モーゼス(姓)。 マンハッタンとブルックリンやスタッテンアイランドを結ぶいくつもの橋を架け、高速道路網を整備して、都市で働き郊外に住むというアメリカ中産階級の生活スタイルの基盤を築いた男だ。その陰ではスラムや低所得者層が住む地域が取り壊され、アフリカ系住民は周辺へ、周辺へと追いやられた。
またモーゼスは「プロジェクト」と呼ばれる低所得者向け高層住宅を市内にいくつもつくったが、これが暗褐色レンガ造の陰気な建物。従来そこにあったコミュニティは破壊され、街が荒廃した1980年代には犯罪の温床となった。僕が暮らしていたときも、フォート・グリーンの「プロジェクト」の敷地を横切るときは周りに注意しながら歩いた。
映画では、こうした計画の住民立ち退きを巡る汚職が殺人を引き起こす。 アフリカ系住民の側に立ったライオネルは最後にモーゼスと対面する。現実のモーゼスは今にいたるまで評価の分かれる人物だが、ここでは全くの悪玉として描かれているわけではない。
もうひとつ、楽しんだこと。途中で、ハーレムのジャズ・クラブが何度か出てくる。トランペッターのグループが演奏しているのだが、これが素晴らしい音。調べたらウィントン・マルサリスが参加しているので納得。
『バードマン』が印象に残るエドワード・ノートンは製作、脚本、監督、主演を兼務。なかなかの才能だ。
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