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December 30, 2019

2019年 10本の映画

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毎年、暮れになるとお遊びでその年の映画ベスト10を考えるのを楽しみにしています。ところが今年は半年以上の入院と通院であまり映画を見られませんでした。新作は20本も見ていないので、ベスト10などおこがましくてつくれません。それでも印象に残る映画が多かったので、順不同で10本を挙げてみました。これをやっておくと、備忘録として役に立ちますので。今年はブログもあまり更新できませんでしたが、おつきあいくださった皆さん、ありがとうございました。良い年をお迎えください。

・象は静かに眠っている
29歳で自死したフー・ボー監督の処女作にして遺作。中国の田舎町に住む青年や老人の、どこにも行き場のない閉塞感。極端に被写界深度の浅いカメラで登場人物に密着する挑戦的なスタイル。切実な主題と文体の冒険が融合して、この一作で映画史に名を刻んだ。

・ROMA
メキシコ出身でハリウッドで活躍するアルフォンソ・キュアロン監督の自伝的映画。都市に住む中産階級の少年の目から見た先住民召使いとの甘美な記憶。点描される革命と反革命の歴史。美しいモノクロームで描かれるネットフリックス・オリジナル。

・Cold War あの歌、二つの心
戦後冷戦で東西に別れた男と女の運命的な愛。背後には常にポーランドの民族音楽とジャズが流れている。モノクロ・スタンダード画面は1950~60年代、黄金期のポーランド映画を思い起こさせた。レア・セドゥに似た主演ヨアンナ・クーリクに見惚れる。

・アイリッシュマン
マフィアの殺し屋として生きた男の一代記。10代からの知り合いというロバート・デ・ニーロとマーティン・スコセッシが、お互いこんな時代を生きてきたんだよなと確認しあっているように感じられた。ネットフリックス・オリジナル。

・運び屋
90歳でメキシコ・マフィアが手がけるドラッグの運び屋になった男。役と同じ90歳に手が届こうとするクリント・イーストウッドが監督兼主演、しかもこれだけ面白い映画をつくってしまうとは化け物と呼ぶしかない。次も期待してしまう。

・帰れない二人
中国の炭鉱町で雀荘を経営する女と恋人のヤクザ者が流浪する。ジャ・ジャンクー監督と彼の映画のミューズ、チャオ・タオが出演した『青い稲妻』『長江哀歌』の地が再び舞台になって、改革開放の中国現代史を綴ってきた二人の集大成的な作品。

・迫り来る嵐
ノワールというジャンルは犯罪を通して、その時代の精神風景を描く。中国国営製鋼所の町を舞台にした連続殺人事件。閉鎖されようとする製鋼所の警備員を探偵役に、灰色の空と激しい雨のなかで時代から取り残された人々の姿が浮かび上がる。

・ジョーカー
貧しいピエロとしてつましく生きる男が、いかにして世間を騒がすジョーカーになったか。その不穏で、見る者をアジテートする画面は、貧富の格差が拡大した社会を背景に『戦艦ポチョムキン』のようなプロパガンダ映画の匂いを漂わせる。

・冬時間のパリ
印象派の絵画を映画にしたらこんな感じかな、というフランス映画。パリに生きる女優や作家や編集者が、おしゃべりと大人の恋愛に明け暮れる。日々の小さな出来事を切り取って、映画的愉しさに満ちている。

・ゴッズ・オウン・カントリー
ヨークシャーの牧場で老いた祖母や父と暮らす孤独な男と、東欧からやってきた季節労働者の男が次第に惹かれあってゆく。寒々とした風景のなかで展開する、ひりひりするような愛。地に足のついたリアリズムはイギリス映画の伝統だろうか。

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December 26, 2019

『冬時間のパリ』 印象派のような

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今年最後に映画館へ行くので、何を見ようかと考えた。先週はリアリズムの社会派『家族を想うとき』を見たので、違う肌合いのものにしたい。で、選んだのが『冬時間のパリ(原題:Doubles Vies──二重生活)』。全編おしゃべりと大人の恋愛模様の、いかにもフランス映画でしたね。

二組の夫婦の話。一組は、パリで成功している出版社の編集者アラン(ギョーム・カネ)と、妻で女優のセレナ(ジュリエット・ビノシュ)。もう一組は作家のレオナール(ヴァンサン・マケーニュ)と、政治家の秘書をしている妻ヴァレリー(ノラ・ハムザウィ)。四人のうち三人が「二重生活」、つまり不倫している。

編集者のアランは、社内でデジタル化担当の若い女性ロールと関係してる。出版デジタル化のシンポジウムに一緒に出張して同じホテルに泊まって、なんてのはどこの国も同じ。一方、アランの妻セレナは、夫が担当する作家であるレオナールと関係している。レオナールは自分の体験を書く私小説作家で、セレナとは別のタレントとのつきあいを小説にして物議を醸している。レオナールの妻のヴァレリーは政治家秘書としての仕事が忙しく、こちらは政治家の買春スキャンダルの尻拭いに追われている。

友だちづきあいしている二組の夫婦を中心に、まあよくしゃべること、しゃべること。話題は出版のデジタル化。セレナが出演している警察ものテレビ・シリーズの話。政治の話、などなど。そんなおしゃべりのなかで、日々の小さな出来事が起こってゆく。編集者のアランはレオナールの新作の出版を断るが、原稿を読んだ妻のセレナは面白いといい、結局は出版することに。出版社のオーナーは、会社をイタリア資本に売ることを考えている。女優のセレナはレオナールと別れることを決め、自分のことは絶対に書かないでねと迫る。レオナールは承諾するが、さっそく彼女とのことを小説にする構想を練っているらしい。大きなドラマはなく、いってみれば普通の日常生活を、ある時間切り取ってみせた映画。それでいて楽しいというか、愉しい。

監督のオリヴィエ・アサイヤスは、かつて「絵画における印象派のような映画への道、方法を探していた」と語っている。この言葉は『冬時間のパリ』にも当てはまりそうだ。たとえばモネ「草上の昼食」の登場人物が現代に蘇って動き出し、おしゃべりをはじめたら、こんな映画になるんじゃないかな。どちらの夫婦も収まるところに収まって、最後にレオナールとヴァレリーが海を望む林で寝そべっているショットなんか、光あふれる印象派そのもの。

アサイヤス監督の映画は、日本ではこんな軽い恋愛模様を描いたものを中心に公開されてきたけど、10年前にニューヨークで『ボーディング・ゲート』という全くテイストの異なる映画を見たことがある。あえてB級アクションふうな女殺し屋の物語。後半、いきなり舞台が香港へ飛び、香港ノワールになって面白かった。監督はもともと『カイエ・デュ・シネマ』の批評家出身で、マギー・チャン主演の映画をつくり、おまけに結婚していたこともあると知れば、それも納得。一筋縄ではいかない監督のようだ。

 

 

 

 

 

 

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December 25, 2019

竹橋の近美へ

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NHKの日曜美術館で奈良原一高の特集を見ていたら、竹橋の近代美術館で彼の処女作「無国籍地」が展示されているのを知った。20年近く前、東京都写真美術館の奈良原展で何点か見た記憶はあるけど、よく覚えてない。先日、世田谷美術館で奈良原のスペインの写真に感激したばかりだったので、もう一度見たいと出かけた。

戦後、廃墟となった軍需工場の写真。といっても、その社会的意味でなく、抽象化され造形化された空虚。でも、それが奈良原にとっての戦争と戦後の意味だったと分かる。「無国籍地」というタイトルも暗示的だ。

同じフロアでは、美術史を専攻する大学院生だった奈良原が傾倒した河原温の作品や、藤田嗣治の戦争画「〇〇部隊の死闘──ニューギニア戦線」も展示されている。常設展なので、65歳以上は無料。これはありがたい。

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December 23, 2019

『家族を想うとき』 外連味のない映画

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「外連味のない」という言い回しがある。はったりや誇張のない、といった意味あいで使われる。ケン・ローチの作品ほど、この言葉がふさわしい映画はないのではないか。

ケン・ローチの映画はたいてい社会的な問題を批判的に取り上げている。だからジャンルとしては社会派に分類されるんだろう。だけど問題それ自体を前面に出すことなく、人間を通して、主人公がその問題にどう巻き込まれたか、彼(彼女)はどう行動したのかを描いていく。人間がしっかり描きこまれているから、いつも映画として完成度が高い。

同じようなタイプのヨーロッパの監督としてミヒャエル・ハネケやダルデンヌ兄弟がいる。ハネケはミステリー的な手法を使って、冷ややかな眼差しでヨーロッパの上流階級の偽善を暴いたりする。ダルデンヌ兄弟はドキュメンタリー的な手法と映像を得意とする。ケン・ローチの場合はいつもオーソドックスな手法で堅実に作劇してゆき、底には常にヒューマニズムが流れている。それは、この『家族を想うとき(原題:Sorry We Missed You──宅配の「不在連絡票」のこと)』でも変わらない。

北アイルランドの都市、ニューカッスル。リッキーは持ち家を手に入れるため、個人事業主の宅配ドライバーとして働きはじめる。妻のアビーはパートの介護福祉士として働いている。息子のセブは高校生、娘のライザは小学生。妻の仕事の足である車を手放して宅配用に中古バンを買い、1日16時間の宅配をつづけている。セブは仲間とストリートアートを描いてトラブルになり、両親は学校に呼び出されるが、実態は下請け労働者であるリッキーは駆けつけられない。セブは停学になり、アビーとライザは精神が不安定になり、家族の歯車が負の方向に回転しはじめる。そんな折、リッキーは宅配中にかっぱらいの若者に襲われて……。

新自由主義的な経済の浸透によって、先進国はどこも同じ問題を抱えている。日本でも個人事業主の宅配ドライバーは多いし、コンビニのオーナーも個人事業主だ。個人事業主とかフリーランサーとか呼び方は美しいが実態は低賃金の長時間労働であることは、パートや派遣の非正規労働と変わるところがない。夫が個人事業主、妻がパートとして家計を支えている家庭の日常はイギリスでもアメリカでも日本でも似たようなものだろう。

ケガをしたリッキーは家族が止めるのを振りきって仕事に出かける。アビーは夫が契約した宅配会社のマネジャーに切れるものの、介護する相手や子供にはどこまでも優しい。反抗期のセブも、父親の事情はわかっている。ライザは家族の事情を察しながらもけなけに振る舞っている。リッキーとアビーは、ストリート・アーティストとしてのセブの一面に気づく。どんなにうまくいかなくても、ともかく家族が家族としてまとまっているのがこの映画の救いだ。

アンダークラスと呼ばれる階級の典型的な一家を取り上げ、その日常を描くのは、ひと昔もふた昔も前のプロレタリア芸術の見本のようだけど、図式ではなくリッキーやアビーやセブやライザに血が通っていることで見応えのある映画になっている。原題は宅配の「不在連絡票」のことだけど、たぶん多義的な意味が含まれているんだろう。

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December 17, 2019

『Cold War あの歌、二つの心』 黄金期ポーランド映画のような

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治療中で映画館に新作を見にいけなかった時期のことを話していたら、映画や音楽について信頼する友人が「『コールド・ウォー』が良かったよ」と言う。調べてみると、ちょうど飯田橋・ギンレイホールにかかっていたので早速見にいった。

友人は、「いまどき珍しいモノクロ・スタンダードのポーランド映画なんだよ」とも言っていた。モノクロのポーランド映画といえば1960年代、僕が高校から大学時代はポーランド映画の黄金期で、アートシアターを中心に次々に新作がかかっていた。『夜行列車』『尼僧ヨアンナ』『夜の終わりに』『パサジェルカ』『水の中のナイフ』なんかは今でも鮮烈に覚えている。

『Cold War あの歌、二つの心(原題:Zimna Wojna)』は、すべてが古典的な映画だった。モノクロ・スタンダード、上映時間が90分足らずというのも昔の映画の標準的な上映時間だし。それだけでなく演出も、映像も、見事に当時のポーランド映画に似てクラシックだった。

主人公は、冷戦で東西に別れながらも時と場所を超えて愛しあう二人。第二次大戦直後の社会主義ポーランド。ズーラ(ヨアンナ・クーリク)は民族舞踏団に入団し、ピアノ教師ヴィクトル(トマシュ・コット)と愛し合うようになる。ヴィクトルはベルリン公演の際、ズーラと西側に亡命しようとするが、ズーラは約束の場所に現れず、ヴィクトルは一人で亡命してパリに住む。年月が経ち、ズーラは出国してパリに現われ、ジャズ・ピアニストとして生活するヴィクトルと暮らしはじめるのだが……。

15年に渡る男女の愛が、90分足らずのフィルムに描かれる。だから、くだくだしい説明はない。二人が恋に落ちるのは、ヴィクトルのピアノでズーラが「二つの心」を歌うシーン。言葉は一言もなし。風にそよぐ草原に二人が無言で寝転がっていることで、二人の愛が確認される。ヴィクトルが亡命を決意するに至る内面も説明されない。上司がスターリンを称える歌を強いるが、それに抗議するのはヴィクトルの同僚で、ヴィクトルは苦々しい表情で黙っている。亡命を決意しながらズーラがなぜ約束の場所に行かなかったのかも、その理由をヴィクトルに説明するのはずっと後のこと。それまでは見ている者にもその理由はわからない。

監督のパヴェウ・パヴリコフスキは省略的な描き方をしたことについてインタビューで、「因果関係の理屈をつけると安っぽく、貧相になるから」と語っている。このあたりもポーランド映画黄金期のワイダ、カワレロウィッチ、ムンクといった監督たちの映画と似ている。しんと静まりかえったようなモノクローム映像もポーランド映画の伝統だろう。

女優のヨアンナ・クーリクが素敵だ。ちょっとレア・セドゥに似た表情と仕草をする。モニカ・ヴィッティの若いころに似てるという人もいる。彼女が民俗舞踊を踊ったり、「二つの心」をジャズ・ヴァージョンで歌ったりするのを眺めているだけでも満足できる。そういえば『夜行列車』や『夜の終わりに』にも、けだるいジャズが流れていたっけ。

若いころ見たポーランド映画を思い出しながら、大満足した映画でした。

 

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December 13, 2019

『イェスタデイ』 ビートルズのいない世界

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『イェスタデイ(原題:Yesterday)』は、ある日突然、この世界からビートルズの音楽が消えたら、という映画。若い人はどうか知らないけど、ある世代以上なら誰もがビートルズの音楽は耳になじんでる。「イェスタデイ」から「ヘイ・ジュード」まで、次から次に画面に名曲が流れるだけで胸が熱くなる。それと、いかにも古風なラブストーリーを組み合わせて、ダニー・ボイル監督が手練れの映画づくり。

イギリスの田舎町。売れないシンガーソングライターのジャック(ヒメーシュ・パテル)は、幼馴染みでマネジャー役のエリ―(リリー・ジェームズ)の車に乗せてもらったり、自分で自転車をこぎながらライブ活動を続けている。ある晩、原因不明で12秒間の世界的な大停電が起こり、その瞬間、ジャックは交通事故にあって宙を舞う。病院でジャックが気がつくと、この世界からビートルズのレコードが消え、人々の記憶にも何も残っていない。

ジャックがはじめてそれに気づくのは、仲間と全快を祝いながら「イェスタデイ」を歌ったとき。誰もその曲を知らず、皆がすごい曲だと感動する。それを知ったジャックは、あわててビートルズの曲の詞とメロディを思い出し、自分がつくったものとして歌いはじめる。やがて評判になり、アメリカのやり手プロデューサーから声がかかってロスへ行く。天才が現れたと誉めそやされながら、ジャックは嘘をついていること、エリーと別れたことに忸怩たる思いを抱いている……。

ジャックを演ずるヒメーシュ・パテルはインド系イギリス人。インド系イギリス人といえば、去年公開された『ボヘミアン・ラプソディ』の主人公フレディ・マーキュリーもそうだった。『イェスタデイ』ではそんな気配は感じられないが、『ボヘミアン・ラプソディ』ではインド系に対する微妙な差別の感覚が描かれていた。

映画には歌手のエド・シーランが本名で出てくる。エドとジャックが、ライブ後の余興で10分で新曲をつくる競争をし、ジャックは「ロング・アンド・ワインディング・ロード」を歌って、エドが「参った」と降参する場面もある。一方のジャックは人気沸騰にストレスを深め、「ヘルプ!」と歌うが、観客は熱狂する。

「アビイ・ロード」のジャケットそっくりの画面が出てきたり、映画『レット・イット・ビー』の屋上ライブにそっくりのシーンが出てきたり、ジョン・レノンそっくりの老漁師が出てきたり、ファンの心をくすぐる場面も多々。最後はお定まりのハッピーエンドで、いささかあざとさも感じさせるけど、楽しんでしまった映画でした。

 

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ご近所で忘年会

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ご近所と忘年会。この四家族で年に一度会うことを三十年以上つづけている。現役の洋画家と日本画家、元都市銀行幹部と小生。洋画家の娘でセビリア在住、今は舞踏家のMちゃんが一家で帰ってきて飛び入り参加。久しぶりに赤ワインをグラス一杯だけ飲む。

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December 08, 2019

さいたま国際マラソン

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暖かな日差しに誘われて昼前に散歩に出、今日がさいたま国際マラソンだったことに気づいた。近くの中山道(国道17号)がコースになっていて、ボランティアが通行人を誘導したり飲みものを用意したりしている。38キロ付近。観客もそれなりに集まっている。

しばらく道路脇でながめていたら、ぱらぱらと拍手が起こりアフリカ系女性ランナーが一人、独走状態で走ってきた。つづいてアフリカ系ランナー、白人のランナー。そのあと、しばらく待っても誰も来ない。しびれをきらして近くのスーパーで買い物をすませブック・カフェに入って本を読んだ。1時間ほどして、もうマラソンも終わってるだろうなと思って外へ出たら市民ランナーは今が盛り。続々とやってくる。

僕も市民ランナーだったのは35年前。ハーフマラソンまで走ったことがある。その報いか膝はがたがた、そのうえ病後の身で筋力が衰え、下半身はしびれてる。楽しみつつてれてれ走る彼らがまぶしく見えた。

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December 07, 2019

コートールド美術館展へ

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友人と会ったあと、『読まれなかった小説』というトルコ映画を見ようと思ったら今日から上映時間が変わっていた。仕方ないので上野へ行き、こちらも気になっていた「コートールド美術館展」(東京都美術館・~12月15日)へ。

印象派とポスト印象派の60点ほどが展示されている。もともと個人コレクションで、現在はロンドンの美術研究機関付属の美術館からの選りすぐり。有名なのはマネの「フォリー=ベルジュールのバー」やドガの「舞台上の二人の踊り子」といったところで、教科書なんかでおなじみの作品。研究機関らしく「画家の言葉から読み解く」「時代背景から読みとく」「素材・技法から読み解く」と三つのパートにわけて、モネ、セザンヌ、ゴッホ、マネ、ルソー、ルノワール、ゴーガンなどが展示されている。印象派のやったことの意味がよく分かった。「フォリー=ベルジュールのバー」には見惚れてしまう。絵にはリアリズムと合理では説明のつかない点がいくつもあり、それを読むと一層興味がふくらむ。

今日は昼から半日の外出だったためか、足先も痛くならなかった。

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December 05, 2019

世田谷美術館へ

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寛解の診断をもらったけれど、抗ガン剤の後遺症で足裏がしびれ、爪が割れやすくなっている。寒くなるにつれ症状が強くなって、寒い朝や長時間歩いたりすると足先が痛む。自然、遠出するのが億劫になる。

今日は暖かかったので、病院帰りに世田谷美術館へ回って「奈良原一高のスペイン──約束の旅」展(~20年1月26日)。1960年代、30歳そこそこの奈良原によって撮影されたもの。いま見ても鮮烈。印刷でしか知らなかった作品を新しいプリントで見ることができる。

ひとまわり見て足が痛くなったので、館内のカフェで紅茶と洋梨のタルトでひと休み。窓の外のテラスは初冬の陽射し。室内にはアコーデォインの「シェルブールの雨傘」が流れてる。生きる歓びに満ちたフィエスタ。生と死が隣り合った闘牛。いま見てきた写真を思い出して、こういう時間をもてる幸せを味わう。

 

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December 03, 2019

一美を悼む

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新宿ゴールデン街時代の飲み仲間である一美が亡くなった。一年ほど前に倒れ、意識が戻らないまま闘病生活をつづけていたが、11月24日、家族に見守られて旅立った。

一美とひんぱんに会っていたのは40年以上前。たいていゴールデン街の「ちろりん村」で会い、仲間と映画や演劇や小説の話で盛り上がった。アングラ芝居や神代辰巳の映画やラグビー早明戦を一緒に見に行ったこともある。鋭い感受性をもち、独特の身ぶりやしゃべり方に1970年代の空気を全身にまとった女性だった。

その後、彼女はご主人と沖縄に移り住んだ。那覇でタウン誌の編集にかかわり、ときどき頼まれて映画の紹介を書いたこともある。その原稿料がわりにともらった金城次郎の徳利と盃は、いまも食器棚に飾ってある。

沖縄から戻った彼女は、実家のある静岡県にご主人と住んだ。それから彼女と会ったのは数度。店を閉めた「ちろりん村」のMさんを中心に花見と忘年会があって、そこでたまに顔を合わせる程度だった。

今日、机を整理していたら、二年前に彼女からもらった葉書が出てきた。追悼の思いをこめて、それを書き写す。

「ご本拝受いたしました。お礼が遅くなり申し訳ありません。現役でご活躍うらやましい限りです。健ちゃん、平地さん、なつかしい名前。チャンドラー、末永史、モンク、みんな記憶の底に沈んでる。東京の喧騒から遠く、七〇、八〇才のジジイ仲間と家庭菜園の日々です。今年の忘年会には参加できるかな?」

 

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December 02, 2019

『アイリッシュマン』 稲妻のような

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『アイリッシュマン(原題:The Irishman)』はロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシという豪華キャスト、マーティン・スコセッシが監督したことで話題のネットフリックス・オリジナル映画。劇場公開もされているが、先週からネットフリックスで配信が始まっている。3時間半の長尺だけど、一気に見た。『タクシー・ドライバー』や『グッド・フェローズ』といった初期のスコセッシ映画のテイストが蘇っているのが楽しい。

主な登場人物は3人で、いずれも実在の人物。トラック運転手のフランク(ロバート・デ・ニーロ)は輸送する牛肉を横流しして日銭を稼いでいる。ある日、路上でペンシルベニア北東部を仕切るマフィアのボス、ラッセル(ジョー・ペシ)と知りあい彼の手伝いをするようになる。やがて殺しにも手を染める。フランクはラッセルの紹介で、フランクも属する全米トラック組合の委員長ジミー(アル・パチーノ)のボディガードとしても働くようになる。

1950~60年代のアメリカ。国中の物流を押さえる全米トラック組合は強大な力をもった圧力団体で、委員長ジミー・ホッファ はそのトップに君臨していた。ジミーはマフィアとも関係していたと言われる。やがてジョン・F・ケネディが大統領に当選し、弟の司法長官ロバートがジミーとマフィアとの闇を追及しはじめる。それがこの映画の背景。

映画は、年老いて養老院に入ったフランクが過去を回想するスタイル。前半はニュース映像も交えながら3人が知り合い、家族ぐるみのつきあいをし、殺しを依頼したりもする互いの関係がテンポよく描かれる。『グッド・フェローズ』のような一代記の語り口を思い出した。

3人の関係にヒビが入る後半は、ドラマがぐっと盛り上がる。ジミーは有罪となって服役し、出所すると若い幹部が台頭している。マフィアのラッセルにとって、復権を目指すジミーは目障りな存在となりつつある。2人の狭間に立つフランク。このあたり『仁義なき戦い』のような、利害と友情が絡みあう展開。現実にはジミー・ホッファはある日、忽然と行方不明になり現在に至るまで真相は不明なのだが、映画ではラッセルの命でフランクがジミーを殺す。

その前後の描写がしびれる。フランク夫妻はデトロイトでジミーと会うためラッセル夫妻と旅していたが、途中ラッセルはフランクに、ジミーとは会うな、と伝える。ところがモーテルに泊まった翌朝、ラッセルは一転してフランクに、「ジミーに会うのを止めると君にやり返されそうだ。行ってやれ」と言って、自家用飛行機を手配する。デトロイトに用意された車にフランクが乗ると、グラブコンパートメントには拳銃が入っている。ラッセルの言葉を文字通り取れば、それでジミーを守ってやれということだが、ラッセルのやり方では、それでジミーを殺せという指示になる。そしてアジトでの、いきなりの発砲。並みの映画ならフランクの苦悩の表情を見せるところだけど、スコセッシはそんな内面描写を一切しない。その稲妻のような衝撃は、初期のスコセッシ映画に色濃くあったものだ。

これはデ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、3人を見るための映画でもある。パチーノとペシの息詰まるような演技に、狂言回し役のデ・ニーロが時に激しく、時に緊張をほぐすように柔らかく対応する。3人の若い時代の姿は代役でも特殊メイクでもなく、CGでつくられている。メイキングの座談会を見ると3台のカメラを回し、そこから得られた角度の違う画像を操作して若い姿にしているようだ。 これからはこの手法が主流になるのかも。

 撮影のロドリゴ・プリエト、音楽のロビー・ロバートソン、そしてスコセッシと、スタッフもキャストに劣らず豪華。製作費は1億6000万ドル。ネットフリックスが今年、世界中でオリジナルな映画・連続ドラマ制作に投じた資金は150億ドルと言われる。1本1本の興行収入に依存するのでなく、1億6000万人会員の月ぎめ定額料金(サブスクリプション)を収入源とする動画配信産業だからこそできる映画づくりだろう。

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