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November 14, 2019

『象は静かに座っている』 タル・ベーラの息子

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フー・ボー監督の『象は静かに座っている(原題:大象席地而坐)』は長編第1作にして遺作。29歳のボー監督は、この3時間54分の大長編を完成させた後、自ら命を絶ってしまった。死後に出品されたベルリン映画祭で国際批評家連盟賞と最優秀新人監督賞を受けている。どでかいスケールの監督が彗星のように誕生し、彗星のように消えていった。どんなに中央集権化が進み、映画に対する規制が強化されても、地から湧くように生まれてくる中国映画のエネルギーを感ずる。

北京から南へ数百キロ、河北省にあるらしい田舎町。映画は4人の主人公の1日を追う。高校生のブー(ポン・ユーチャン)は、学校で友達を脅すシュアイをはずみで階段から突き落とし、死なせてしまう。ブーの同級生リン(ワン・ユーウォン)は、学校の副主任と不倫の関係をつづけている。ブーと同じアパートに住むらしい老人ジン(リー・ツォンシー)は、孫の教育のために引っ越しを考える娘夫婦から老人ホームに移るよう説得されている。親友のアパートでその妻と寝ていたチンピラのチェン(チャン・ユー)は、帰って来た親友と鉢合わせし、友は窓から身を投げてしまう。

4人とも、どこにでもいるような男と女たち。でも4人とも家族とうまくいかず、日常のなかでどうにもならない閉塞感を抱えこんでいる。「この世はろくでもない」「ヘドが出る」と彼らはつぶやく。

カメラははじめ、ばらばらに見える4人をひとりずつ、その行動を追ってゆく。次第にそれぞれに接点が生まれてくる。ブーは同級生のリンに、内モンゴルの満洲里の動物園に一匹の象がいる、その象は一日中ただ座っているらしい、その象を見に2300キロ先の満洲里まで行かないかと誘う。チェンはブーに階段から突き落とされたシュアイの兄で、弟を殺したブーを追うことになる。ジンもチェンと子分たちに絡まれる。ブーは顔見知りの老人ジンから、自分のビリヤードのキューと引きかえに満洲里にいくための金をもらう。満洲里の象は、逃げ場のない日常から脱するためのかすかな希望のようなものだ。でも同時に、「どこへ行っても同じだ」とも分かっている。

スタイルが強烈だ。長回し。そしてカメラの被写界深度が極端に浅い。4人に密着するカメラは彼らだけにピントが合っていて、対話する相手や周囲の風景はボケている。見る者はカメラが向いている人間だけを見つめることを強いられる。ピントがごく一部にしか合わない映像は、彼らの閉塞感にみあって、閉じ込められた感覚を見る者にもたらす。曇天や雪や水蒸気に曇った窓といった白っぽい風景が、閉じられた感覚をさらに強めている。そのなかから、彼らが暮らす町の風景がおぼろに浮かび上がってくる。

何人かの人間が死に、チェンは傷つく。ブーとリンとジンは、満洲里に旅立つ。

数年前に見たハンガリー映画『サウルの息子』も、被写界深度が浅い、同じスタイルの映画だった。『サウルの息子』は107分と短めの作品だったが、こちらは234分。この長時間を同じスタイルで通し、しかも見る者をまったく飽きさせないのだから凄い。

2本の映画には共通点がある。『サウルの息子』の監督は、4本の伝説的作品を残して引退したタル・ベーラ監督の助監督を務めていた。フー・ボー監督もタル・ベーラの指導を受けて短編映画をつくったことがある。僕は4本のうち『倫敦から来た男』しか見ていないが、モノクロームの悪夢のように息詰まる映画だった『倫敦から来た男』とこの2本の映画は、長回しのスタイルも画面を支配する空気も共通するものがある。タル・ベーラの息子たち。そのひとりが若くしていなくなって、世界の映画に大きな空洞があいた。

 

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November 13, 2019

寺山修司贋絵葉書展

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「寺山修司贋絵葉書展」(~12月25日、東神田・kanzan gallery)へ。贋絵葉書数十点が展示されている。

寺山修司はいっとき贋絵葉書づくりに熱中したという。架空の人物から架空の人物へ宛てた絵葉書。自分でモノクロ写真を撮り、人工着色するなど手を加え、短い文面を書き、外国の古切手を貼り、特注のスタンプを押す。写真は昭和初期の怪奇とエロティシズムにあふれている。スタンプには「上海ー横浜」「迷宮王国」などの印。

文面は「御申し越しの剥製の犬二匹は 残念ながら先約があり お送りいたしかねます 男爵机下」「二枚の鏡の間に立たされ ほらこれがお前だよと言われた時から 私は無限に反射し合う 鏡の遊びに墜ち込んで行った様で御座います 影男より」といった具合。

会場入口には「私は、若くして死んだ詩人のことばを思い出していた。『実際に起らなかったことも、歴史のうちである』」と、寺山の文章が掲げられている。

虚実皮膜に遊ぶ懐かしい寺山ワールドを満喫しました。


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