調神社の兎
治療の過程で白血球数が下がる時期がある。今週がそれにあたり、人ごみに出ることができないので裏道を通って調(つき)神社まで散歩。往復90分。最後はいっぱいいっぱいになった。
調神社は浦和の氏神だが他とちょっと違う神社で、鳥居がなく、狛犬の代わりに狛兎が鎮座している。延喜式の式内社と古く、もともとは租庸調の倉庫だった場所が神聖化されて神社になったらしい。兎は入口だけでなく、江戸時代に建設された新旧の社殿にも兎の彫り物が彫られている。
なぜ兎かといえば、調(つき)の音が共通する月待信仰と結びついたからと言われる。月待信仰は特定の月齢の夜(近くに二十三夜の地名もある)に集まって月待行事を行う民間信仰。月といえば、もちろん兎である。
調神社の祭神のひとつはスサノオ。スサノオは、その弟である月読命(ツクヨミ)と重なる神話が多く、スサノオとツクヨミは同じ神だとの説もある。実際、調神社のことを「月読社」と書いた古文書もある。姉のアマテラスが「天」を統べるのに対して、ツクヨミ(スサノオ)は「夜の食国」を統べる。太陽に対して月である。
ところで、このあたりには氷川神社が多い。大宮の氷川神社は武蔵一宮として有名だ。氷川神社は荒川流域(埼玉と東京の一部)に集中している。この地域は出雲族が移住して開拓しており、その祖神を祀ったのが氷川神社。祭神はやはりスサノオだ。
出雲の地生えだった国津神は、アマテラス系の天津神に敗れて出雲の国を譲りわたした。だからこの一帯は、いわば流浪の敗者が移り住んだ土地(京都から東京へ移った明治天皇が最初の行幸の地として選んだのが大宮氷川神社だったのは興味深い)。同じスサノオを祀っていることもあり、調神社は氷川神社とも関係が深い。
松本清張に『神々の反乱』という小説がある。昭和前期、スサノオを祀る宮廷の一部・軍人・宗教家らが反昭和天皇の宮廷クーデターを起こそうとする、出来はともかく構想は実に面白い作品。実際、2.26事件は秩父宮擁立を狙った宮廷クーデターという側面もあった(原武史の著書に詳しい)。小説のなかで、スサノオを祀るグループの本拠は埼玉に設定されている。調神社の名前も出てくる。
そんなことを考えながら調神社を散歩していると、歴史の闇にちょっとだけ触れた気になる。
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