『最後の追跡』 静かな西部劇
Hell or High Water(viewing film)
体調が悪く、療養中です。そのため、このブログのタイトルのひとつである「映画」について、当分の間、新作映画を取り上げることができなくなりました。その代わりというわけでもありませんが、ネットフリックスに加入しました。
ネットフリックスは独自に映画製作に乗り出しており、そのオリジナル映画は、『ROMA/ローマ』がベネチア映画祭金獅子賞やアカデミー賞外国語映画賞を受賞したことからもわかるように、評価の高い作品を生みだしています。そしてそれらのオリジナル映画は、映画館では公開されません。そこでしばらくの間、ネットフリックスのオリジナル作品を中心に「ネットフリックス浸り」をしてみたいと思います。まずは『最後の追跡』から──。
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この映画のことを知ったのは昨年、『ウィンド・リバー』を見たときだった。アメリカ先住民居留地を舞台にしたクライム・ストーリーである『ウィンド・リバー』の監督、テイラー・シェリダンの履歴を調べていたら、ネットフリックス・オリジナル映画『最後の追跡(原題:Hell or High Water)』の脚本を書いている、とあった。この映画は評判になり、2016年アカデミー賞作品賞にノミネートされている。見たいなあ、と思ったが、当時はネットフリックスに入っていなかった。だから今回加入して最初に見たのが、この作品。期待は裏切られなかった。
静かな映画だなあ、というのが見終わっての印象。といって物語は決して静かではない。現代のテキサスを舞台に銀行強盗と、それを追うテキサス・レンジャーとの追跡劇。車での逃走シーンは多いし、銃撃戦もある。現代的な西部劇といった趣きだ。
それでも静かな映画だと感ずるのは、追う2人と追われる2人、それぞれの会話や彼らが何を背負っているかがゆったりしたテンポで描かれているからだ。そのことで、追い追われる4人がなぜそのようになったのかが鮮明に浮かび上がる。ことに定年目前のテキサス・レンジャー(州の警察活動に従事する)、マーカス(ジェフ・ブリッジス)と、強盗というには知的な風貌のトビー(クリス・パイン)が黙って物思いにふけるショットが何度か出てくるのが印象的だ。いまひとつ静かと感じた理由は、車を走らせるシーンや銃撃戦などアクション場面でも引きの画面が多く、ことさらにアクションを強調しないからだろう。
タナ―(ベン・フォスター)とトビーの兄弟は、銀行強盗を繰り返しながら移動している。2人はなぜかテキサス・ミッドランズ銀行の支店ばかりを襲って足のつく札束には手を出さず、バラのドル札数千ドルを奪って逃げる。テキサス・レンジャーのマーカスと、相棒のアルベルト(ギル・バーミンガム)が2人を追うが、マーカスは強盗の行動パターンから、まだ襲われていないミッドランズ銀行の支店を監視しはじめる……。
兄弟の会話から、兄のタナ―は強盗を繰り返し、父親を殺害して服役していたことが分かる。弟のトビーは妻と離婚、介護していた母が亡くなり、母が所有していた牧場を相続した。そこから石油が出て、庭先には業者の掘削機が動いている。しかし母は強欲なミッドランズ銀行に借金があり、それを返済しないと土地は銀行に取られてしまう。そんなことがわかってくる。かつて牧畜業はテキサスを代表する産業だったが、今はすたれ、兄弟は親や祖父母の代からの貧困にあえいでいる。銀行や石油業者がテキサスの富をひとりじめしている。兄弟の犯行は、そんな強欲資本主義に対するしっぺ返し的な様相を帯びる。
一方、マーカスの相棒のアルベルトは先住民とメキシコ人の血を引いている。マーカスは事あるごとに先住民の血について後輩のアルベルトをからかう。アルベルトは、内心ではマーカスを敬愛しながらも、苦い顔をしてからかいに耐えている。後輩を愛しながらも粗野な言動をやめないテキサス男の役どころはジェフ・ブリッジスにうってつけ。彼らも時代の波から取り残された男たちだ。
そんな2組の男たちが交差するところに、当然のように銃撃戦が起こる。テキサスの砂漠を舞台にした西部劇そのもの。ここで2人の副主人公が死ぬのだが、観客が感傷にひたる間を与えない。アルベルトがタナ―に撃たれたとき、カメラは撃たれたアルベルト目線で、上からのぞきこむマーカスの顔のアップが一瞬挿入されるだけ。次にタナ―の背後の岩山に回ったマーカスがタナ―をライフルで狙撃するときは、ライフルを構え岩に座ったままで絶命したタナ―と、そばで鎌首をもたげるガラガラヘビの印象的なショットが短くはさまれるだけ。ヘミングウェイかダシール・ハメットでも読んでいるようなリズムが快い。
西部劇の定型どおり、最後はマーカスとトビーの1対1の対決になる。この映画のいいところは、そこで1発の銃弾も発射されないことだ。別れ際、2人はこんな会話を交わす。「話があるなら、いつでも来てくれ」「また会おう」「早く終わらせたい」「何をしても終わらない。一生背負っていくのさ、お前も俺も」「来たら安らぎをやる」「俺もお前にやろう」。──「来たら安らぎをやる」とは、なんとも余韻の残るセリフだ。死の予感。
砂漠や、忘れられたような田舎町。元は牧場だった荒野に動く石油掘削機。テキサスの昼と夜の風景が美しい。監督はデヴィッド・マッケンジー。イギリス出身で、十数年前、『猟人日記』という地味だが忘れがたい作品を見たことがある。そうか、あの監督の映画なのか、と納得。
Comments
いい文章ですね〜
久しぶりに観たくなりました!
Posted by: onscreen | March 03, 2019 11:30 AM
私は二度、つづけて見ました。
onscreenさんに刺激されてネットフリックスに加入しました。
Posted by: 雄 | March 03, 2019 11:57 AM