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March 30, 2019

緑のカフェ

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散歩道にあるカフェ「野風」。木造住宅を改造したらしく、その上テーブルや椅子も木で、とてもいい感じのカフェ。ただ休みも多く午後3時には閉まってしまうので、なかなか入るチャンスがないのが難点。

今週は病院通いで、体調が安定しない。あまり遠出はせず、近所を歩く。

 

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March 27, 2019

病院で花見

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今日は通院日で、5時間の点滴。長時間なので点滴をしながら昼食の弁当を食べ、本を読み、眠くなると音楽を聞きながら寝る。今は副作用を抑えるいい薬があり、アレルギー反応も吐き気も出ないのがありがたい。終わって、構内に桜が3本ほどあるのをしばらくベンチに座って見上げる。8分咲き。

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帰りは新宿で降り、大西みつぐ写真展「まちのひかり」(~4月15日、新宿・ニコンプラザ The Gallery)へ。昭和の香りのする街と人が素材だけれど、ノスタルジアでなく人の営みの蓄積と時間を感じさせるのがいいな。

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March 26, 2019

『風の向こうへ』 O.ウェルズ、未完の遺作

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The Other Side of The Wind(viewing film)

 

『風の向こうへ(原題:The Other Side of The Wind)』は、タイトルだけ知っていたオーソン・ウェルズ監督の未完の遺作。それがネットフリックスで見られるとは思わなかった。

 

もともとこの映画は、ヨーロッパからアメリカに戻ったウェルズがハリウッドでの再起をかけて1970年から1976年にかけ断続的に撮影していた。けれども製作資金に行き詰まり、またイランを追われた前国王パーレビの縁者から資金を得ていたことから、(詳しいことはよく分からないが)裁判で撮影済フィルムの所有権は彼の手元を離れてしまった。そのままウェルズは85年に亡くなる。

 

100時間以上あったという撮影済みフィルムの権利を500万ドルで買ったのがネットフリックス。この映画に協力し、出演してもいるピーター・ボグタノヴィッチ監督が、残された脚本やメモをもとにフィルムを編集して作品に仕上げた。オリジナル映画を製作するだけでなく、こういうこともやるからネットフリックスは侮れない。

 

作品の出来は、ひとことで言えば壮大な失敗作。いかにも天才と言われつつ監督としては不遇をかこったオーソン・ウェルズらしい。

 

映画は劇中劇の入れ子構造になっている。年老いた映画監督ジェイク・ハナフォード(ジョン・ヒューストン)が人生最後の映画をつくっている。「シネマのヘミングウェイ」と呼ばれるハナフォードのまわりには、商業的に成功した映画監督でハナフォードを崇拝するオターレイク(ピーター・ボグダノヴィッチ)や映画評論家(スーザン・ストラスバーグ)など、さまざまな人間が集まってくる。彼らを相手に、ハナフォードはヘミングウェイばりに葉巻を手に酒を飲み、それらしいセリフを吐く。パーティではスタッフや取り巻きが乱痴気騒ぎを演じている。

 

ハナフォードが撮影している映画は、男と女の話。「イージー・ライダー」ふうのバイクに乗ったジョン・デール(ボブ・ランダム)が、アメリカ先住民の女性レッド(オヤ・コダール)を追いもとめる。友人が運転する車のなかで、彼らは長いセックスをする。それ以上、さしたる筋はない。デールが廃墟になった映画セットを彷徨うのは、ウェルズを受け入れなかったハリウッド批判なのか。そのジョン・デールは、撮影途中で行方をくらませてしまう。パーティの日、映画の上映会が催されるが、それが完成した映画なのか未完成のままなのかよく分からない。

 

映画製作の場面と劇中劇の場面のスタイルは対照的だ。劇中劇は、男と女の髪型、服装や鮮やかなカラー画面の流麗な映像など、当時流行っていたアメリカン・ニューシネマふう。現在から見ると、アメリカン・ニューシネマは反ハリウッドのインディペンデント精神に貫かれていたというより、あっという間にハリウッドに取り込まれ、そのスタイルもいっときの流行にすぎなかったから、オーソン・ウェルズがこだわるほどのものではなかった。

 

一方、映画製作のシーンは、即興でストーリーをつくり演出をほどこすヌーベルヴァーグふう、というかゴダールふう。実際に映画のなかでゴダールやアントニオーニ、ベルトルッチなどの名前が出てくるから、ウェルズが彼らを意識していたのは確かだろう。早いテンポで映像に、筋と関係ない早口の台詞がかぶさってくるのも、ある時期のゴダールに似ている。アメリカン・ニューシネマといい、ヌーベルヴァーグといい、1970年前後の世界の新しい映画を意識しながら、俺ならその双方を軽く超えてみせるぜ、というのがオーソン・ウェルズの心の内だったろうか。

 

映画製作の部分はほとんど自伝的というか、ウェルズのアメリカでの孤立や、少数の崇拝者のひとりボグダノヴィッチとの関係など、現在進行形の私小説めいている。『風の向こうへ』のメイキング映画『オーソン・ウェルズが遺したもの』によると、ウェルズは映画製作中に起こった出来事を、そのまま即興的に映画に取り込んでいった。実験的ではあるが、話はどんどん拡散してゆく。その上、行方不明になったフィルムもあるらしく、「shot missing」「scene missing」といった字幕が頻繁に出てくる。まあ、起承転結のある映画ではないから、部分部分を楽しめばいいのだが……。作品としての完成度は低くても(オーソン・ウェルズがこれを見たら、俺がつくりたかったのはこんなもんじゃないと怒りだすかもしれないが)、映画監督ジェイク・ハナフォード(=オーソン・ウェルズ)の孤独と苦悩だけは十分に伝わってくる。

 

ハナフォードを演ずるのは『マルタの鷹』などでハリウッドの巨匠監督として知られるジョン・ヒューストン。風貌からも実績からしても「シネマのヘミングウェイ」にふさわしい。ヒューストンは俳優としても活動しており、『チャイナタウン』で見たことはあるが、こんな素晴らしい役者だとは思わなかった。彼はハリウッドで、ウェルズの数少ない友人のひとりだった。

 

ともかく映画好きには話題満載で、オーソン・ウェルズに興味があれば『オーソン・ウェルズが遺したもの』(ネットフリックス・オリジナル映画)とともに必見の一本。

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March 24, 2019

玉蔵院の枝垂桜

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浦和でいちばん知られた桜は、この玉蔵院の枝垂桜。旧中山道の商店街から一本入った道にあるので開花すると多くの人が訪れ、しばし立ち止まって観賞してゆく。こちらも散歩と買物の帰りに足を止めてひと休み。


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March 21, 2019

はじめての遠出

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退院してはじめての遠出。信濃町の病院から新宿へ出て小田急に乗り、千歳船橋からバスで世田谷美術館へ。田沼武能写真展「東京わが残像 1948-1964」(~4月14日)。今年90歳になる、今も現役の写真家が記録した戦後日本と日本人。小生は1947年生まれだから、1950年代の写真は子供時代の記憶がそのまま目の前に再現されたような錯覚に陥る。

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March 16, 2019

駒場スタジアムで

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駒場スタジアムまで散歩。ここへは十数年前にできた新しい道路をゆく。新しい住宅ばかりで散歩の面白みはないけれど、車道と歩道の間に緑地帯があって車が目に入らず、一戸建ての低層住宅が多いので空が広く、伸び伸びした気持ちになれるのがいい。往復90分。疲れる。近くにある市立浦和高の陸上選手がスタジアムの周囲を走っている。

駒場スタジアムは、埼玉スタジアムができるまで浦和レッズの本拠地だった。今もサブグラウンドでときどきレッズが練習している。まだ日本リーグだった80年代、ここで三菱重工(後の浦和レッズ)とラモスがいた読売クラブ(後の東京ヴェルディ)の試合を見たことがあるのを思い出した。

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隣の日通グラウンドで日本通運と明治学院大の練習試合をしばし観戦。

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March 15, 2019

『贖罪の街』を読む

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マイクル・コナリー『贖罪の街』の感想をブック・ナビにアップしました。


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調神社の兎

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治療の過程で白血球数が下がる時期がある。今週がそれにあたり、人ごみに出ることができないので裏道を通って調(つき)神社まで散歩。往復90分。最後はいっぱいいっぱいになった。

調神社は浦和の氏神だが他とちょっと違う神社で、鳥居がなく、狛犬の代わりに狛兎が鎮座している。延喜式の式内社と古く、もともとは租庸調の倉庫だった場所が神聖化されて神社になったらしい。兎は入口だけでなく、江戸時代に建設された新旧の社殿にも兎の彫り物が彫られている。

なぜ兎かといえば、調(つき)の音が共通する月待信仰と結びついたからと言われる。月待信仰は特定の月齢の夜(近くに二十三夜の地名もある)に集まって月待行事を行う民間信仰。月といえば、もちろん兎である。

調神社の祭神のひとつはスサノオ。スサノオは、その弟である月読命(ツクヨミ)と重なる神話が多く、スサノオとツクヨミは同じ神だとの説もある。実際、調神社のことを「月読社」と書いた古文書もある。姉のアマテラスが「天」を統べるのに対して、ツクヨミ(スサノオ)は「夜の食国」を統べる。太陽に対して月である。

ところで、このあたりには氷川神社が多い。大宮の氷川神社は武蔵一宮として有名だ。氷川神社は荒川流域(埼玉と東京の一部)に集中している。この地域は出雲族が移住して開拓しており、その祖神を祀ったのが氷川神社。祭神はやはりスサノオだ。

出雲の地生えだった国津神は、アマテラス系の天津神に敗れて出雲の国を譲りわたした。だからこの一帯は、いわば流浪の敗者が移り住んだ土地(京都から東京へ移った明治天皇が最初の行幸の地として選んだのが大宮氷川神社だったのは興味深い)。同じスサノオを祀っていることもあり、調神社は氷川神社とも関係が深い。

松本清張に『神々の反乱』という小説がある。昭和前期、スサノオを祀る宮廷の一部・軍人・宗教家らが反昭和天皇の宮廷クーデターを起こそうとする、出来はともかく構想は実に面白い作品。実際、2.26事件は秩父宮擁立を狙った宮廷クーデターという側面もあった(原武史の著書に詳しい)。小説のなかで、スサノオを祀るグループの本拠は埼玉に設定されている。調神社の名前も出てくる。

そんなことを考えながら調神社を散歩していると、歴史の闇にちょっとだけ触れた気になる。

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March 14, 2019

『ROMA/ローマ』 先住民召使いとの甘美な記憶

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Roma(viewing film)

メキシコを舞台にした映画がなんで『ROMA/ローマ(原題:ROMA)』なのかと思ったら、メキシコ・シティ市内の地名なんですね。歴史地区の西にある上・中流階級の住宅地。その漆喰造りの邸宅(僕らの感覚からすると邸宅)に住む医師一家と、住込みんでいる先住民の召使いとの日常が美しいモノクローム画面で描かれる。アルフォンソ・キュアロン監督の自伝的映画だ。

1971年。メキシコは制度的革命党の一党独裁が長くつづき、腐敗した政権に対する国民や学生の不満が高まっていた。それが物語の背景。

医師のアントニオと妻で教師のソフィアの仲は壊れかけている。アントニオは仕事でカナダへ行くと言って家を出るが、実は愛人とアカプルコで暮らしている。子どもは4人兄弟で、次男坊のパコ(カルロス・ペラルタ)が少年時代のキュアロン監督らしい。パコは召使いのクレオ(ヤリッツア・アパリシオ)と仲良し。まるで母子のように睦まじい。クレオはメキシコ中部の先住民ミシュテカ族。もうひとりの召使いもミシュテカで、二人でいるときはミシュテカ語を話す。家庭ではスペイン語に英語が混じる。

クレオにはマーシャル・アーツをやっている先住民系のフェルミンという恋人がいて、ある日、妊娠していることに気づく。映画館でフェルミンにそれを告げると、彼は失踪してしまう。デートの場面では立派な映画館がたびたび出てきて、この時代の空気を伝えてくれる(フランス映画『大進撃』がかかっている)。

お腹が大きくなったクレオは一家の祖母に連れられ、ベビーベッドを買いに町なかへ出る。街路では政府に不満を持つ学生デモが行われている。クレオがベッドを選んでいるといきなり発砲音が聞こえ、学生が店に逃げ込んでくる。武装した集団が学生を追って乱入し、学生を殺す。ひとりの男がクレオにも銃を突きつけるが、それは失踪したフェルミンだった。

フェルミンが属しているのは「ロス・ファルコンズ(鷹)」という民間武装団体。政権党である制度的革命党が組織し、アメリカで訓練をほどこされ反政府的な団体や学生の弾圧に使われている「政府の犬」だ。カソリックの祝日であるこの日は、120人のデモ隊が虐殺された事件として知られる。恋人に銃を向けられショックを受けたクレオは死産してしまう。

そんな歴史的事件を点描しながらも、一家の日常はつづく。映画の基調は、あくまでもパコ少年の眼から見たクレオとの甘美な記憶。一家のなかでは、白人系の一家と先住民のクレオとの間に差別意識はまったくない。キュアロン監督の映画は、同じく自伝的な『天国の口、終りの楽園。』もそうだったけど、社会的な問題に深入りしない。それが彼の個性なんだろう。それはそれでよし。この映画がこれ以上政治を描いたら、監督の個性もこの作品の良さもそがれてしまう。

ある時間を切り取り、それを物語として構成せず(言いかえれば時間を濃縮せず)、映像として切りとった時間に流れる物語の断片を淡々と積み重ねる。冒頭の、廊下のタイルに流れる長い長い水のタイトル・ロール、ラストで邸宅の上空を遠く飛ぶ飛行機のショットなどが、キュアロン監督の時間(映像)感覚を示している。

この映画は今年のアカデミー外国語映画賞で、『万引き家族』などを抑えて受賞した。『万引き家族』は物語の結構といい社会的問題意識といい実によくできた映画だけれど、キュアロン監督のこのスタイルの新しさが評価されたのではないかと思う。

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March 10, 2019

やっと沈丁花咲く

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わが家の沈丁花は北に面しているので陽が当たらない。だから毎年、開花が遅い。もう春の陽気だというのに、やっと咲きはじめた。蝋梅はとっくに散り、梅も散りはじめている。冷たい空気のなかでこそ沈丁花のきついほどの甘い香りが引き立つのに、こう暖かくてはなんだかしまらない。

今週は三度の病院通い。朝、通勤時間帯に電車に乗らなければならないので、2時間から5時間の点滴を終えるとぐったり疲れる。体重が減り、ふくらはぎが目に見えて細くなってきた。病院に行かない日はできるだけ歩くことにしている。


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March 05, 2019

与野の大カヤ

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この二日間、雨で散歩できなかったので、与野の大カヤまで歩く。北浦和駅前から埼大通りを荒川方向に向かい、東北新幹線のガードをくぐって右折。妙行寺金毘羅堂境内にある。往復70分ほど。

樹齢約1000年。応永年間(1400年前後)には関東随一の巨木として知られていた。樹高22メートル、根回り14メートル。1000年前といえば平安の世で、藤原道長が「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」と詠んで権勢をほしいままにした時代。それからずっと、この大カヤは(時に愚かな)人間の営みを見てきたことになる。

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March 02, 2019

『最後の追跡』 静かな西部劇

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Hell or High Water(viewing film)

体調が悪く、療養中です。そのため、このブログのタイトルのひとつである「映画」について、当分の間、新作映画を取り上げることができなくなりました。その代わりというわけでもありませんが、ネットフリックスに加入しました。

ネットフリックスは独自に映画製作に乗り出しており、そのオリジナル映画は、『ROMA/ローマ』がベネチア映画祭金獅子賞やアカデミー賞外国語映画賞を受賞したことからもわかるように、評価の高い作品を生みだしています。そしてそれらのオリジナル映画は、映画館では公開されません。そこでしばらくの間、ネットフリックスのオリジナル作品を中心に「ネットフリックス浸り」をしてみたいと思います。まずは『最後の追跡』から──。

       ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

この映画のことを知ったのは昨年、『ウィンド・リバー』を見たときだった。アメリカ先住民居留地を舞台にしたクライム・ストーリーである『ウィンド・リバー』の監督、テイラー・シェリダンの履歴を調べていたら、ネットフリックス・オリジナル映画『最後の追跡(原題:Hell or High Water)』の脚本を書いている、とあった。この映画は評判になり、2016年アカデミー賞作品賞にノミネートされている。見たいなあ、と思ったが、当時はネットフリックスに入っていなかった。だから今回加入して最初に見たのが、この作品。期待は裏切られなかった。

静かな映画だなあ、というのが見終わっての印象。といって物語は決して静かではない。現代のテキサスを舞台に銀行強盗と、それを追うテキサス・レンジャーとの追跡劇。車での逃走シーンは多いし、銃撃戦もある。現代的な西部劇といった趣きだ。

それでも静かな映画だと感ずるのは、追う2人と追われる2人、それぞれの会話や彼らが何を背負っているかがゆったりしたテンポで描かれているからだ。そのことで、追い追われる4人がなぜそのようになったのかが鮮明に浮かび上がる。ことに定年目前のテキサス・レンジャー(州の警察活動に従事する)、マーカス(ジェフ・ブリッジス)と、強盗というには知的な風貌のトビー(クリス・パイン)が黙って物思いにふけるショットが何度か出てくるのが印象的だ。いまひとつ静かと感じた理由は、車を走らせるシーンや銃撃戦などアクション場面でも引きの画面が多く、ことさらにアクションを強調しないからだろう。

タナ―(ベン・フォスター)とトビーの兄弟は、銀行強盗を繰り返しながら移動している。2人はなぜかテキサス・ミッドランズ銀行の支店ばかりを襲って足のつく札束には手を出さず、バラのドル札数千ドルを奪って逃げる。テキサス・レンジャーのマーカスと、相棒のアルベルト(ギル・バーミンガム)が2人を追うが、マーカスは強盗の行動パターンから、まだ襲われていないミッドランズ銀行の支店を監視しはじめる……。

兄弟の会話から、兄のタナ―は強盗を繰り返し、父親を殺害して服役していたことが分かる。弟のトビーは妻と離婚、介護していた母が亡くなり、母が所有していた牧場を相続した。そこから石油が出て、庭先には業者の掘削機が動いている。しかし母は強欲なミッドランズ銀行に借金があり、それを返済しないと土地は銀行に取られてしまう。そんなことがわかってくる。かつて牧畜業はテキサスを代表する産業だったが、今はすたれ、兄弟は親や祖父母の代からの貧困にあえいでいる。銀行や石油業者がテキサスの富をひとりじめしている。兄弟の犯行は、そんな強欲資本主義に対するしっぺ返し的な様相を帯びる。

一方、マーカスの相棒のアルベルトは先住民とメキシコ人の血を引いている。マーカスは事あるごとに先住民の血について後輩のアルベルトをからかう。アルベルトは、内心ではマーカスを敬愛しながらも、苦い顔をしてからかいに耐えている。後輩を愛しながらも粗野な言動をやめないテキサス男の役どころはジェフ・ブリッジスにうってつけ。彼らも時代の波から取り残された男たちだ。

そんな2組の男たちが交差するところに、当然のように銃撃戦が起こる。テキサスの砂漠を舞台にした西部劇そのもの。ここで2人の副主人公が死ぬのだが、観客が感傷にひたる間を与えない。アルベルトがタナ―に撃たれたとき、カメラは撃たれたアルベルト目線で、上からのぞきこむマーカスの顔のアップが一瞬挿入されるだけ。次にタナ―の背後の岩山に回ったマーカスがタナ―をライフルで狙撃するときは、ライフルを構え岩に座ったままで絶命したタナ―と、そばで鎌首をもたげるガラガラヘビの印象的なショットが短くはさまれるだけ。ヘミングウェイかダシール・ハメットでも読んでいるようなリズムが快い。

西部劇の定型どおり、最後はマーカスとトビーの1対1の対決になる。この映画のいいところは、そこで1発の銃弾も発射されないことだ。別れ際、2人はこんな会話を交わす。「話があるなら、いつでも来てくれ」「また会おう」「早く終わらせたい」「何をしても終わらない。一生背負っていくのさ、お前も俺も」「来たら安らぎをやる」「俺もお前にやろう」。──「来たら安らぎをやる」とは、なんとも余韻の残るセリフだ。死の予感。

砂漠や、忘れられたような田舎町。元は牧場だった荒野に動く石油掘削機。テキサスの昼と夜の風景が美しい。監督はデヴィッド・マッケンジー。イギリス出身で、十数年前、『猟人日記』という地味だが忘れがたい作品を見たことがある。そうか、あの監督の映画なのか、と納得。

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March 01, 2019

別所沼の河津桜

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昨日は雨で散歩に出られなかったので、今日は少し足を延ばして別所沼へ。往復1時間。一本だけある河津桜が満開だった。ここは染井吉野が多く、桜の季節の休日には近所の人びとが花見にやってくる。公園の端のあまり人目につかないところに古木が二本あり、僕はこの古木の桜が好きで毎年見にくる。

健康だったころのようには筋力が回復していないせいか、帰り道は家に近くなるにつれ脚が重くなった。明日もまた長めに歩くことにしよう。

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