『幻土』(東京フィルメックス) 夢幻的ノワール
シンガポール映画を見るのははじめて。映画のなかで登場人物が、「シンガポールの海岸は直線だ」というセリフを呟く。『幻土(英題:A Land Imagined)』の監督、中国系シンガポール人のヨー・シュウホアはインタビューで、「この50年間でシンガポールの国土は埋め立てによって25%拡大した」と言っている。
グーグル・マップで見ると、確かに島の南西部で大規模な埋め立てが進行中なのがよくわかる。埋め立てだから海岸線は直線。マレーシアやインドネシアから輸入された大量の砂が使われているという。クリックしてストリート・ヴューにすると、映画に出てくるのと似た風景が広がっている。ここがこの映画の舞台だ。
埋め立て現場で働いていた中国からの出稼ぎ労働者ワン(リウ・シャオイ)が行方不明になり、中国系のロク刑事(ピーター・ユー)が現場にやってくる。働いているのは中国人とバングラデシュ人の出稼ぎ労働者。現場監督は彼らのパスポートを取り上げ、飯場では蚕棚のようなベッドで一室に何人もが寝泊まりしている。
ワンはバングラデシュ人労働者のアジットと親しかった。不眠症のワンが通っていたネットカフェには、ワンの知り合いだった中国系の女性ミンディ(ルナ・クォク)がいる。ネット・カフェでワンはハンドルネーム「トロール862」を名乗る男とチャットしていた。ロク刑事が動くことでそういうことが分かってくる。
現在と並行して、過去が描かれる。ワンは腕を負傷し、バングラデシュ人を送迎するトラックの運転を任される。同僚の中国人労働者と交わらないワンはアジットと親しくなり、バングラデシュ人が歌い踊る輪に入って陶然として踊る。海岸で、ワンは何者かに追われて逃げる。
埋め立て地の荒涼としながら美を感じさせる、現代写真のような映像。ネットカフェは原色に彩られた未来的で夢幻的な映像。そして踊るバングラデシュ人たちの汗が飛び散るような肉薄した映像。浦田秀穂キャメラマンの撮影が素晴らしい。浦田キャメラマンは監督から、「誰も見たことのないシンガポールを撮ってほしい」と言われたそうだ。
ロク刑事は「トロール862」を追って銃撃戦となるが、逃げられてしまう。ワンは殺されたのか、自ら埋め立て現場から逃げたのか。真相は遂にわからない。でもロク刑事はワンを追ううちに、ワンの心とシンクロしはじめたように見える。他国の砂で領土を広げる「幻土」に生きる不確かさ、あるいは不安。そんな気配が映画を覆っている。最後、ロク刑事はバングラデシュ人が集まるクラブのベランダにワンらしき男の後ろ姿を見る。それが本当なのか幻なのか、見る者には判断がつかない。探偵(刑事)を主役にしたノワールの骨格で犯罪を追いつつ、映画はいつしか夢幻的な世界に入りこんでいる。
東アジアの国々から才能ある監督が次々に生まれ、急速に変わりつつある現実を作品化している。ヨー・シュウホア監督もその一人。『幻土』は今年のロカルノ映画祭で金豹賞を受賞した。映画祭上映だけでなく、公開されるといいな。
« 『親鸞と日本主義』を読む | Main | 早明戦へ »
Comments