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November 28, 2018

『幻土』(東京フィルメックス) 夢幻的ノワール

Photo
A Land Imagined(viewing film)

シンガポール映画を見るのははじめて。映画のなかで登場人物が、「シンガポールの海岸は直線だ」というセリフを呟く。『幻土(英題:A Land Imagined)』の監督、中国系シンガポール人のヨー・シュウホアはインタビューで、「この50年間でシンガポールの国土は埋め立てによって25%拡大した」と言っている。

グーグル・マップで見ると、確かに島の南西部で大規模な埋め立てが進行中なのがよくわかる。埋め立てだから海岸線は直線。マレーシアやインドネシアから輸入された大量の砂が使われているという。クリックしてストリート・ヴューにすると、映画に出てくるのと似た風景が広がっている。ここがこの映画の舞台だ。

埋め立て現場で働いていた中国からの出稼ぎ労働者ワン(リウ・シャオイ)が行方不明になり、中国系のロク刑事(ピーター・ユー)が現場にやってくる。働いているのは中国人とバングラデシュ人の出稼ぎ労働者。現場監督は彼らのパスポートを取り上げ、飯場では蚕棚のようなベッドで一室に何人もが寝泊まりしている。

ワンはバングラデシュ人労働者のアジットと親しかった。不眠症のワンが通っていたネットカフェには、ワンの知り合いだった中国系の女性ミンディ(ルナ・クォク)がいる。ネット・カフェでワンはハンドルネーム「トロール862」を名乗る男とチャットしていた。ロク刑事が動くことでそういうことが分かってくる。

現在と並行して、過去が描かれる。ワンは腕を負傷し、バングラデシュ人を送迎するトラックの運転を任される。同僚の中国人労働者と交わらないワンはアジットと親しくなり、バングラデシュ人が歌い踊る輪に入って陶然として踊る。海岸で、ワンは何者かに追われて逃げる。

埋め立て地の荒涼としながら美を感じさせる、現代写真のような映像。ネットカフェは原色に彩られた未来的で夢幻的な映像。そして踊るバングラデシュ人たちの汗が飛び散るような肉薄した映像。浦田秀穂キャメラマンの撮影が素晴らしい。浦田キャメラマンは監督から、「誰も見たことのないシンガポールを撮ってほしい」と言われたそうだ。

ロク刑事は「トロール862」を追って銃撃戦となるが、逃げられてしまう。ワンは殺されたのか、自ら埋め立て現場から逃げたのか。真相は遂にわからない。でもロク刑事はワンを追ううちに、ワンの心とシンクロしはじめたように見える。他国の砂で領土を広げる「幻土」に生きる不確かさ、あるいは不安。そんな気配が映画を覆っている。最後、ロク刑事はバングラデシュ人が集まるクラブのベランダにワンらしき男の後ろ姿を見る。それが本当なのか幻なのか、見る者には判断がつかない。探偵(刑事)を主役にしたノワールの骨格で犯罪を追いつつ、映画はいつしか夢幻的な世界に入りこんでいる。

東アジアの国々から才能ある監督が次々に生まれ、急速に変わりつつある現実を作品化している。ヨー・シュウホア監督もその一人。『幻土』は今年のロカルノ映画祭で金豹賞を受賞した。映画祭上映だけでなく、公開されるといいな。


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November 22, 2018

『親鸞と日本主義』を読む

Shinran_nakajima

中島岳志『親鸞と日本主義』(新潮選書)の感想をブック・ナビにアップしました。


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November 20, 2018

『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』 赤いノワール

Mandy
Mandy(viewing film)

若いころは叔父であるフランシス・F・コッポラの映画に出たり、『リービング・ラスベガス』でアカデミー主演男優賞を取ったニコラス・ケイジが今では怪優といったイメージの役者になったのは、2006年の『ウィッカーマン』や『ゴーストライダー』といったカルト映画(どちらも残念ながら未見)でゴールデンラズベリー賞最低主演男優賞に2年つづきでノミネートされたあたりからだろうか。

僕は彼の映画をたくさんは見てないけど、怪優としての雰囲気は『バッド・ルーテナント』(ヴェルナー・ヘルツォーク監督)や『ドッグ・イート・ドッグ』(ポール・シュレイダー監督)で察することができる。『マンディ 地獄のロード・ウォリアー(原題:Mandy)』もそんな系列の一本。B級映画のテイスト満載で作品としての完成度もけっこう高い。おどろおどろしいアクション映画として楽しめる。

レッド(ニコラス・ケイジ)とマンディ(アンドレア・ライズブロー)の夫婦は人里離れた山中の一軒家に暮らしている。そこへカルト集団がやってきて、教祖がマンディを見初め、彼女を拉致するよう信者に命ずる。マンディは関係を迫る教祖を笑いとばし、怒った教祖は彼女を布にくるんで火あぶりにする。レッドの復讐が始まる……。

話はごく単純。でも冒頭からレッドの名前通り赤い色彩の画面がゆったりしたテンポで重ねられる。そこに故ヨハン・ヨハンソン(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品を多く担当していたが、今年2月に亡くなった。これが最後の映画音楽)作曲の不安をかきたてる音楽がかぶさる。『ドッグ・イート・ドッグ』はピンク色の画面が多い「ピンクのノワール」といった感じだったが、こちらは「赤いノワール」とでも言うか。

前半はカルト集団の教祖がマンディを拉致し、殺すまで。マンディを演ずるアンドレア・ライズブローの神秘がかった無表情が印象的だ。後半の復讐劇になるとニコラス・ケイジの独壇場。相手は精神を病んだ異形のバイク集団とカルト集団。返り血で顔を真っ赤に染めたレッドがひとり、またひとりと殺してゆく。武器はクロスボウ、自分で鋳こんだ剣とチェーンソー。双方がチェーンソーを振り上げる対決など、あまりにB級な徹底ぶりに笑ってしまいたくなるほど。

ニコラス・ケイジが血染めの復讐鬼の役どころを楽しんでるのがびんびん伝わってくる。監督は新人のパノス・コストマス。カルト系の面白い監督になるかも。


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November 15, 2018

『MdN』の明朝体特集

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元雑誌記者・編集者なのに、近頃雑誌への興味が薄れてきた。読んで面白いと思える雑誌が少ないし、買っても失望することが多い。でも久しぶりに書店で見た瞬間に買おうと思い、充実した特集に満足したのがこれ。デザインとグラフィックの情報誌『MdN』11月号の「明朝体を味わう。」

明朝体というのは活字の書体(フォント)のひとつ。主に雑誌や単行本の本文に使われ、僕たちが日常的にいちばん目にする機会の多い書体だ。上の写真で、「明朝体を味わう。」という見出しが明朝体。

明朝体が生まれたのは中国で明の時代だった。木版印刷が普及して、彫師が木製活字を彫りやすいよう直線的で縦が太く横が細い明朝体がつくられた。それが日本に輸入され、金属活字が製造されるようになった明治初期、縦横の長さが等しい正方形の漢字活字に合わせて平仮名活字がつくられ、漢字と平仮名がセットでいろいろな書体が開発された。初期には楷書体が新聞や雑誌に多く使われたが、時代がかった古さを感じさせたためか、次第に明朝体が主流になってゆく。

その時代の代表的な明朝が築地活版製造所が開発した築地体。大日本印刷の前身、秀英社が開発した秀英明朝。今も文芸ものに使われ評価の高い精興社書体。戦後、活版から写植(写真植字)に移行した時代の石井中明朝体(MM-OKL、写研)やリュウミン(モリサワ)、デジタル時代にデジタルフォントとして開発されたA1明朝などなど。計24種類のフォントの歴史や特徴が使用見本の図版とともに解説されている。付録として、それぞれの書体で文字組みした書体見本帳もついているのが憎い。

僕は活版印刷の最後の時代から写真植字、そしてDTP初期の時代に現役だった。活版では新聞系週刊誌の新聞活字(特殊な明朝)、大日本印刷で印刷していた週刊誌の秀英明朝。その後は写植の時代になって石井中明朝体、DTPの時代にはリュウミンを使うことが多かった記憶がある。一昨年、仲間と自費出版したときはIN DESIGNを使って自分で文字組みし、このときはアドビ社が開発した小塚明朝を使った。現役時代はデザイナーが書体を選んでくれたから、こちらは基本的な考え方を伝えるだけで事がすんだ。これらの明朝がどんな系譜にあり、どんな特徴があるのか、この特集を読んではじめてわかった。

明朝体は空気か水のようなもの、という言い方がある。編集者として僕もこの意見に賛成だ。雑誌や書籍に明朝は必須だが、普段それが明朝だと書体を意識することはない。見出しは人目を惹くためいろんな書体を使って変化をつけるけど、本文を読んで内容でなく書体に意識がいくようではいけない。本文は読みやすさ、可読性が第一。だから、読みやすくて、読者が無意識のうちに慣れ親しんだ書体がいい。

僕には手痛い失敗がある。週刊誌で2ページの連載を企画して、デザインを新進気鋭のデザイナーに頼んだ。毎週、写真を2点入れたレイアウトは斬新だったが、見出しに使うことの多い太い明朝を本文に使った。デザイン的には美しかったが、読んで疲れる。筆者からも、読みにくいと注文がついた。その通りだった。以後、本文は可読性が第一と肝に銘じた。

同じ明朝体といっても、時代とともに変化する。時代を映す。例えば今は縦組みだけでなく、横組みしてもきれいな明朝体が求められる。紙でなく画面で読む機会が多いことを考え、横組みに特化した明朝体もある。DTPの時代になって、新しい明朝体が次々開発されている。一方にシャープでメカニカルな明朝体があるかと思えば、レトロでおしゃれ感ただよう明朝体もある。

僕は明朝体をずっと道具として使ってきたけれど、この特集を読んで味わうことと、そのポイントがわかった。最近は単行本や映画のタイトルに明朝体を使うことも増えている(『君の名は。』とか)。新刊の棚やポスターを見る楽しみがまたひとつ増えた。


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November 13, 2018

戸袋の修理

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わが家は築90年(昭和3年建築)なので、次々に不具合が起こる。素人の手に負えないものは業者を呼ぶけれど、できるだけdo it yourselfでやらないと、年に何度も呼ぶ羽目になる。幸い大工仕事は嫌いではない。

先日の風台風で戸袋の羽目板が2枚、はがれた。家の裏側だったので気づくのが遅れたようだ。板は割れていないので、それを使って修理することにした。

外側に桟があるので、内側から桟に15ミリほどの釘で板を打ち付けることになる。戸袋の廊下側は高さ75センチの壁なので、その上の開口部から戸袋のなかへ上半身を差しこんで釘を打たなければならない。一人だと、暗いから懐中電灯も必要だし、板がきちんと嵌められたか外から確認できないので、なかなか難しい作業。何度かやり直して、1時間半ほどでなんとか仕上げた。

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November 08, 2018

末永史『猫を抱くアイドルスター』をいただく

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漫画家、エッセイストである末永史の遺稿集『猫を抱くアイドルスター』(ワイズ出版)をいただいた。

今年1月に亡くなった末永史の漫画、エッセイ、小説が収録されている。デビュー当時の少女漫画、1970年代に『ヤングコミック』に描いた劇画、結婚後に『COMICばく』に発表した家庭の主婦を主人公にした漫画、女性誌に書いたエッセイに、未発表の小説2本。

彼女とは互いに20代のころからの知り合いだった。だから追悼の言葉をこのブログに書いたところ(2月14日)、それがご遺族の目にとまり、この本に「追悼 末永史 まえがきにかえて」として収録されることになった。

エネルギーにあふれ、家庭も仕事も目いっぱいにこなしていた末永史。いつか小説家としての新しい顔を見られたかもしれないと思うと残念だ。


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November 02, 2018

『アンダー・ザ・シルバーレイク』 失速したカルト映画

Underthesilverlake
Under The Silver Lake(viewing film)

毎年、夏休みのお子様向け映画が終って秋になると、粒ぞろいの映画が公開される。でも今年は特に洋画がつまらなかったように感ずる。個人的に忙しくて本数が見られなかったのに加え、こちらの選択も悪かったのかもしれない。でも、好みの映画で見たいと思うものもあまりなかった。だから『アンダー・ザ・シルバーレイク(原題:Under The Silver Lake)』は楽しみにしていた作品なんだけど、これもまた期待外れだった。

「ヒッチコックとリンチを融合させた悪夢版『ラ・ラ・ランド』」というイタリア紙の評がキャッチとして使われていて、確かにその通りではある。1920年代の女優、ジャネット・ゲイナーの映画から、50年代の『ボディ・スナッチャー』『大アマゾンの半魚人』(『シェイプ・オブ・ウォーター』の元ネタ)といったカルト映画、マリリン・モンロー(『女房は生きていた』)やヒッチコック(『裏窓』)の引用、『チャイナタウン』『マルホランド・ドライブ』といったロスを舞台にしたミステリーのプロットを踏襲といった具合に、映画好きならあれもこれもと指摘したくなるようなシーンにあふれている。

映画だけでなく、音楽やコミック、ゲーム、古い『プレイボーイ』誌、アングラ風俗もふんだんに言及され、全編がカルト的なアイテムに満ち満ちている(公式HPで町田智浩が詳細に解説してる)。でもそれらが無秩序にとっちらかっているだけで、肝心の本筋に結晶してこない。『チャイナタウン』や『マルホランド・ドライブ』に比べるべくもない。

中年にさしかかろうというサム(アンドリュー・ガーフィールド)は職もなく、アパートも家賃滞納で追い出されそうになっている。楽しみは双眼鏡で他の部屋やプールを覗くこと。水着姿を覗いていたサラ(ライリー・キーオ)に声をかけられ、彼女の部屋でいい感じになる。また明日ね、と別れたが翌日、サラの部屋は引き払われていた。

失踪したサラを探して、サムがロスのあちこちを彷徨う。怪しげな3人組の女と片目の男。出没する犬殺し。この世界は何者かに操られていると信じこむ男。フクロウのキスと呼ばれる、梟の仮面をかぶった女殺し屋。カルト的な音楽が演奏されるパーティー。墓場の地下のライブハウス。ホーボー(30年代の放浪者)の暗号。丘の上の大邸宅に独り住む音楽家。目に入る文字や風景が、サムにはなにかの暗号か陰謀に思えてくる。現実ともサムの幻想とも判然としない迷宮。

探偵役のサムに工夫はある。たぶん俳優かミュージシャンを目指してロスにやってきたけれど、挫折。職も金もなく、心配する母親からしょっちゅう電話がかかってくる。そんなダメ男の目を通した享楽的な都市風俗。ハードボイルドを今ふうに蘇らせようという意図は分かるけど、P.T.アンダーソンの『インヒアレント・ヴァイス』がそうだったように、オフビートなリズムがハードボイルドという古風なジャンルとうまく適合しなかったのかもしれない。そんな意図がうまく生かされたのはロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』とハル・アシュビーの『800万の死にざま』(こちらはNYからロスへの舞台変換)くらいだろうか。ま、年寄りの感想ですけど。

しかしとりあえず、散りばめられたアイコンを楽しんでいれば退屈はしない。監督はデヴィッド・ロバート・ミッチェル。


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