August 26, 2018
August 22, 2018
『ミッション・インポッシブル/フォールアウト』 55歳、どこまで突っ走る?
Mission: Impossibule- Fallout(viewing film)
映画の撮影現場で監督が撮影開始を告げる「ヨーイ、ハイ!」は、英語なら「Action!」だ。クリント・イーストウッドが映画監督に扮した『ホワイトハンター、ブラックハート』で、最後のセリフは「Action!」だった。
アクションが映画の原型的な魅力であることは言うまでもない。無声映画時代、バスター・キートンのアクロバティックなアクションは超人的で、崖をころがり落ちたり走る列車の屋根を走ったり、アクション映画の原点みたいなものだった。1980年代にフランス映画社が連続公開したのを見たんだけど、そのころはまたジャッキー・チェンの全盛時代だった。小学生だった息子と見た『プロジェクトA』や『ポリス・ストーリー』は、竹竿ひとつでビルの上階から飛び降りたり、これまた身体を張ったアクションの連続で子供と一緒に興奮した。
『ミッション・インポッシブル』シリーズは、VFXによってどんなインポッシブルなアクションも可能になったデジタル時代に、あえて生身の身体を張ることを売りものにしてきた。それがかつての二枚目、55歳のトム・クルーズというのがおかしい。『フォールアウト』はその6作目。
物語にそってアクションするというより、アクションのためにストーリーがつくられている感がある。撮影中、トムがロンドンでビルから跳んでくるぶしを骨折、6週間休んだというおまけつき。wikipediaによるとその間、8000万ドル払って役者とスタッフを他の映画に取られないよう拘束したそうだ。もっともこの金は保険でまかなわれたそうだから、トムが事故に遭う可能性は織りこみ済みということか。
「陸上選手さながらのビルジャンプ」「ヘリコプターにしがみつき、落下するアクション」「2000時間の飛行訓練を経たヘリコプター操縦」「高度7620mからのヘイロージャンプ」と売りものシーンがつづくなかで、いちばんすごいのは最後の断崖絶壁でのヘリコプター対決。まさかこれ全部実写じゃないよね。VFX使ってるよね。と思いながら、どこまで本当にやってるんだろうとはらはらしてしまう。設定はカシミールだが、ノルウェーの有名な絶壁で撮影したらしい。
パリ市街の狭い道路でのカーチェイスも、実際に撮ってるんだろうなあ。すごい。
イーサン(トム・クル―ズ)を中心に、メカ(と笑い)を担当するベンジー(サイモン・ペッグ)、ルーサー(ヴィング・レイムス)、美女のスパイ、イルサ(レベッカ・ファーガソン)とチームが固定されてきて、いかにもシリーズものらしくもなってきた。今回はシリーズ3作目に出てきた婚約者のジュリア(ミシェル・モナハン)も再登場する。レベッカ・ファーガソンとミシェル・モナハンが同じタイプでどことなくトムの元妻ニコール・キッドマンと雰囲気が似てるのは、トム(プロデューサーでもある)好みの美女ってことなんだろうか。
アクション映画にしては上映時間が長すぎて(切れなかったんだろう。148分)、ロンドンのシーン、ちょいと中だるみする。個人的には、ジェレミー・レナーが相手役になった『ゴースト・プロトコル』(レア・セドゥも女殺し屋で出てきたし)と『ローグネイション』のほうが好みかも。
とはいえ猛暑には、やはり何も考えないで楽しめるこういう映画もいい。監督は前作につづいてクリストファー・マッカリー。「フォールアウト」は公式HPでは「余波」と訳してたけど、プルトニウムの争奪戦だから「死の灰(fallout)」のことかな?
August 19, 2018
『カメラを止めるな!』の社会現象
One Cut of The Dead(viewing film)
日比谷の東京宝塚劇場地下にある旧スカラ座は、今どきの映画館に珍しく大スクリーンで座席数も多い、大きな映画館だった。今は隣にできたミッドタウン日比谷のシネコン、TOHOシネマズと地下通路でつながり、その一部になっている。東宝配給のいわゆる大作は近くの有楽町マリオンにかかってしまうせいか、旧スカラ座は映画館の大きさに見合う作品があまり上映されていなかったように思う。たまにスカラ座に行っても、ぱらぱらとしか客が入っていなかった記憶しかない。
その旧スカラ座に『カメラを止めるな!』を見にいったら、平日の午後で座席の7割以上が埋まっているのに驚いた。若いカップル、女性同士も多く、ざわざわと映画が始まる前の期待感や熱気すら感ずる。旧スカラ座のさらに昔、道路を隔てたところにあった元祖スカラ座の満員の映画館(有楽座だったか?)で、『アラビアのロレンス』はじめ数々の映画を見たときの興奮をちょっと思い出した。
『カメラを止めるな!』は、6月にミニシアター2館で公開され、2週目から満員立ち見が出るようになり、7館、そして100館と上映館が広がっていった。低予算のインディペンデント映画が口コミやSNSで評判になり、客が詰めかける例は過去にもあったけれど、これほど大規模なのは日本映画で初めてじゃないかな。ふだん映画を見ない層が映画館にわざわざ駆けつけたわけで、ともかくもめでたい。これがきっかけで映画ファン、映画館で映画を見る楽しさに目覚める若い人が少しでも増えるといい。
映画はその成り立ちの当初から産業でもあった。いまデジタル化の波のなかで旧来の映画産業だけでなくアマゾンやネットフリックスが製作に参入してネット配信のみの映画が生まれるなど、映画をつくる環境、見る環境が大きく変わりつつある。そういう時代に映画館にたくさんの人が詰めかけるのは、僕のように古い映画ファンにはぞくぞくするほど嬉しい。
これだけの客を呼べたのは、やはり『カメラを止めるな!』が楽しめる映画になっているからだろう。正直のところ作品の質は映画のなかのセリフを借りれば「そこそこ」だけど、映画をつくることについての映画という通好みの題材をコメディーに仕立てて、いろんなアイディアが詰めこまれているのが買える。笑って、ちょっと怖がって、でも楽しんで、最後にみんなでいい気持ちになれる。映画ファンでなくても面白がれる要素をそなえている。
冒頭の37分は、ゾンビもの。人里離れた廃工場でゾンビ映画を撮影中のクルー。カメラマンや助監督が次々に本物のゾンビになってしまい、主演の女優(秋山ゆずき)や男優(長屋和彰)に襲いかかる。モノクロームで、37分が手持ちカメラのワンショット。不自然な間やセリフがあって、自主製作映画ふうのチープなつくりになっている。
エンドマークが出て、まさかこれで終わりじゃないよなと思っていると、次のパートが始まる。いわばゾンビ映画のメイキング。「早い、安い、そこそこ」と評判のテレビ番組の監督(濱津隆之)が、ゾンビ専門チャンネルの開局記念に、「ゾンビ映画をつくっていたクルーがゾンビに襲われる」番組を30分生中継、ワンカットでつくってくれと頼まれる。冒頭の37分が、その生中継の映像だったというわけ。
スポンサーやプロデューサーの意向にさからえない監督は、家庭でも元女優の妻(しゅはまはるみ)や演出家志望の娘(真魚)に頭が上がらない。情けない監督が、準備が進み、生中継の本番ではどんどん本気になってゆく(「カメラを止めるな!」の決めゼリフ)。主婦業の妻が現場でいきなり女優として出演し、のめりこんでゆく。娘がスタジオを仕切る。3人の、家庭と現場のあまりの差がおかしい。
冒頭のワンカット映画で不自然だった間やセリフも、ここで舞台裏が明かされる。30分ワンカットの最中にカメラマンが転んでしまい画像が止まったり、アル中の出演者が酒を飲んで泥酔状態になったり、機材がこわれてしまったり、そんなアクシデントをどうとりつくろって生中継をつづけるか。冒頭のワンカット映画とその舞台裏の落差が笑いになる。これらは脚本に書かれ演出された「アクシデント」だが、上田慎一郎監督のインタビューによると、ワンカットの撮影中にシナリオにない本当のアクシデントが起き、それもなんとかしながらの撮影だったそうだ。その必死さがまた笑いを呼ぶ。
映画のなかのカメラマンが撮影する画面。出演者であるカメラマンとカメラを撮っているカメラの画面。ワンカット映画がどうつくられたかを明かすメイキングの画面。三つのレベルの画面が入り組んで、映画をつくることについての映画になっているのは、この映画が監督・俳優養成学校であるENBUゼミナールのプロジェクトだからだろう。
上田監督はインタビューのなかで、ジョージ・A・ロメロとかトビー・フーパーとかゾンビ映画の古典をつくった監督の名前を挙げている。僕はゾンビ映画をほとんど見ないけど、ゾンビ映画のファンなら、ここはあの映画のあの場面、この映画のこの場面と、そんな楽しみもあるだろう。
ほとんど無名の役者たちだけど、監督役の濱津隆之がいい味出してる。面白いバイプレイヤーになるんじゃないかな。
August 17, 2018
August 06, 2018
『ウィンド・リバー』 アメリカの「インビジブル・ピープル」
10年前、ニューメキシコ州サンタフェから先住民プエブロ族の保留地を車で走ったことがある。リオ・グランデ川の両岸に灌木の茂った荒野(砂漠)が延々とつづき、人家はほとんど見当たらない。そんな荒涼とした風景のなかに、いきなりカジノとホテルが出現する。先住民の保留地は自治権を持っているが、雇用と利益を生む産業(?)としてカジノが認められている。とはいえ鎌田遵『ドキュメント アメリカ先住民』(大月書店)によれば、カジノがうまくいっている保留地は少なく、大半の保留地では失業、アル―コール依存、ドラッグ依存、性暴力、ギャングなどの問題が蔓延している。
『ウィンド・リバー(原題:Wind River)』は、ワイオミング州にあるアラパホ族、ショショニ族の保留地。9000㎢の広大な地域にわずか26000人が住み、その80%が先住民だ(wikipedia)。そもそも保留地は、土地を追われた先住民を「人が住むべきでない地」(テイラー・シェリダン監督、公式HP)に強制的に押し込め、名目的な自治を与えたがドラッグ、暴力などさまざまな問題を生んだ「アメリカの最大の失敗」(同監督)と言われる場所だ。この映画は、そこを舞台にしている。
ワイオミングの映画といえば、心に残るのは雪の風景。『シェーン』で主人公シェーンは雪の山道を踏み越えてやってきたし、『ブロークバック・マウンテン』でも2人の男の背後にある山は雪に覆われていた。『ウィンド・リバー』の冒頭も夜の雪原。先住民の少女が、なにものかから逃げるように走っている。この映画でも、雪の風景が登場人物のさまざまな心象を映すイメージの鍵になっている。
先住民の妻と離婚した野生生物局のハンター、コリー(ジェレミー・レナー)が、保留地の雪原で狩りをしていて先住民の娘の死体を見つける。殺人事件なので部族警察でなくFBIが呼ばれ、新人捜査官のジェーン(エリザベス・オルセン)がやってくる。雪原での動き方すら知らないジェーンはコリーに助けを求め、部族警察のベンとともに捜査に当たることになる。死体があったのは人家から遠く離れた雪原だが、何キロも先にあるのは犯罪者やドラッグ中毒が集まる先住民の家と、石油掘削基地にある白人のトレーラー住宅だった。
保留地は自治ということになっているが、広大な保留地に部族警察官は6人しかいない。無法地帯と変らない。捜査は命がけだ。札付きの先住民の家では銃撃戦になる。石油掘削基地でも従業員は武装し、はじめから喧嘩腰で互いに銃を向け合うことになる。
捜査のなかであぶりだされるのは先住民の置かれた環境だ。札付きの先住民の家にたむろしていた被害者の弟はドラッグ中毒。先住民の妻との間にできたコリーの娘も、かつて行方不明になり死体で発見された。夜、コリーの妻の実家を訪れたジェーンに、コリーはそう自分の家族のことを語る。コリーの娘と被害者は高校の同級生だった。
それがコリーがジェーンに協力する理由なのだが、だから最後にコリーが犯人を追い詰めたとき、(もともと警察権を持ってないし)法の執行でなく復讐の色合いを帯びることになる。傷ついたジェーンもそれに同意していた。
いくつもの短いショットが先住民の悲しみを伝える。防寒具を用意してこなかったジェーンがコリーの娘(殺されていたことが後に観客にわかる)のものを着て部屋から現れたとき、娘の祖母が見せる一瞬胸をつく表情。無力感にとらわれながら、淡々と自分のなすべきことをする部族警察のベン。これから収監されたドラッグ中毒の息子を迎えにいく、と静かにコリーに語る被害者の父。
保留地とそこに暮らす人々は、ケイト・ブランシェットが『万引き家族』を評した言葉を借りれば、アメリカ人にとっての「インビジブル・ピープル(見えない人々)」だろう。8年前に公開された『フローズン・リバー』もカナダ国境の保留地を舞台にしたクライム・ストーリーで、コートニー・ハント監督の長編第1作だった。『ボーダーライン』の脚本家テイラー・シェリダンが監督第1作に選んだこの映画も居留地と先住民が主題になっていて、アメリカ(ハリウッド)でも意欲的な新鋭がこういうテーマを積極的に選ぶことに頼もしさを感ずる。
シェリダン監督は、本作の前に劇場公開しないネットフリックス・オリジナル映画『最後の追跡(原題:Hell or High Water)』の脚本を書き、これも評判になった(ジェフ・ブリッジス主演。アカデミー賞にノミネート)。いま、ネットフリックス・オリジナルやアマゾン製作などで、次々に意欲作がつくられている。劇場未公開映画のノミネートをめぐって、カンヌ映画祭とネットフリックスが対立したことは記憶に新しい。映画をつくる、見る環境がどんどん変わってゆく。映画館の暗闇、という映画を見ることの魅惑は20世紀のものだったのかもしれない。
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