横山大観展へ
生誕150年と謳う「横山大観展」(~5月27日、東京国立近代美術館)へ行ってきた。今週いっぱいで終わるので混んでいる。
僕は近代日本画についてほとんど知らないけど、横山大観に興味を持ったのは柴崎信三『絵筆のナショナリズム』を読んだことから。この本は、第二次大戦の「総力戦」の一環として戦争絵画を描いた二人の大家、洋画の藤田嗣治と日本画の横山大観を取り上げていた。
藤田が「アッツ島玉砕」など西洋の歴史画を下敷きにした作品を描いたのに対して、大観はひたすら富士山と桜と海の自然風景を描いた。富士山や桜や海がただの自然風景でなく戦前の国粋主義のなかで象徴的な意味を付与されていたことを、大観はもちろん理解していた。それを見てみたかった。
戦争画の代表作は「山に因む十題」「海に因む十題」シリーズ。これは破格の値段で軍需産業に買い上げられ、大観はその代金で四機の戦闘機を軍に献納した。シリーズから7点が出品されている。絵そのものは、ひたすら美しい日本。むしろ戦後に描いた、富士と北斎のような波と龍の「或る日の太平洋」のほうが「神国日本」ふうなイデオロギーの匂いがする。
戦後、富士山や桜がナショナリズムの象徴から平和の象徴へと読みかえられたのは、大観の問題である以上に受け取る日本人の問題だと柴崎は書いていた。大観はそんな日本人の意識に黙って乗っていたと言えるだろうか。大観が描きたいように描けば、受け取る側はそれを読みたいように読んでくれる。藤田は追われるように日本国籍を捨てたが、大観は大家として生をまっとうした。
もっとも戦争期の絵画は少なく、明治・大正期のものが多い。大観という画家がどんなふうに生まれたか、全体像がよく分かる。新しい日本画を創造しようとする意欲が「朦朧体」と呼ばれるスタイルを生みだした。若いころの作品は西洋絵画に刺激を受けている。印象派のような筆づかいや、逆に伝統のデザイン的な琳派ふう、大観流の南画、なんでもやってきた人、なんでもできた人なんだな。
常設展で、写真の部屋でロバート・フランクが、別の一室で藤田嗣治や猪熊弦一郎(泰緬鉄道の建設場面。初めて見た)の戦争絵画が展示されているのが興味深かった。


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