『ワンダーストラック』 無声映画のスタイル
トッド・ヘインズ監督の映画でいつも感心するのは、その時代の空気が見事に再現されていること。『エデンより彼方に』は1950年代東部の都市に住む裕福な白人住宅街が舞台になっていた。「豊かなアメリカ」の風景の中で白人主婦と黒人庭師の恋がメロドラマのタッチで描かれる。ボブ・ディランを複数の役者が演じた『アイム・ノット・ゼア』では、女優ケイト・ブランシェットがボブ・ディランそっくりの扮装で1970年代の空気を生きていた。『キャロル』では1950年代のニューヨークの街が再現され、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラーの女性同士の愛を彩っていた。
『ワンダーストラック(原題:Wonderstruck)』では二つの時代が舞台になっている。1927年と1977年の、ともにニューヨーク。二つの時代の少年と少女の物語が並行し、遂には一つになる。そのときの驚き(ワンダーストラック)は、こういう瞬間が映画を見る快楽だなと感じさせる。
1927年。ニュージャージー州ホーボーケン(ハドソン川をはさんでニューヨークの対岸)に住む少女ローズは耳が聞こえない聴覚障害者。裕福な家庭だが母は離婚して不在、無声映画で女優リリアン・メイヒューを見るのが唯一の楽しみ。孤独なローズは、リリアンに会いたい一心でフェリーに乗り、ニューヨーク自然史博物館に勤める兄を頼ってニューヨークに出る。
1977年。ミネソタ州に住む少年ベンは、父は行方不明、母は事故死。引き取られた叔母の家で落雷のため聴覚を失う。母の遺品で、父から母宛てに「愛してる」と書かれたニューヨークの書店の栞を見つけ、父を探そうとニューヨークに旅立つ。
1927年のパートはモノクロ、1977年のパートはカラーと描きわけられる。主人公の少年少女はともに耳が聞こえない設定。だから沈黙や、言葉でなく身振りや表情や手話でものごとを伝える場面が多くなる。ということは、ローズが見ている無声映画の世界に近くなる。実際、モノクロのパートは意図的に無声映画の手法が使われる。場面と場面をつなぐのは音楽。カメラも移動やズームはなしで、固定カメラで撮った短いカットが積み重ねられる。
動かないカメラが1977年になると動きだし、カラーになり、街路を歩くベンを追う。70年代のニューヨークはベトナム戦後で景気が悪化した時代。アフリカ系の住民はアフロヘアに原色の服装で闊歩しているが、街の空気はすさみはじめているようにも感じられる。このパートはネガのカラーフィルムで撮影されており、いかにもこの時代の猥雑な雰囲気が懐かしい。
ローズもベンも、時代は違うが自然史博物館に引き寄せられる。自然史博物館は『イカとクジラ』でも重要な役割を果たしていたけど、ここの有名なジオラマが二人を結ぶ鍵になる。時代を超えて、二人が同じ隕石にそっと触れるショットがいい。
二人が出会い、その関係が明かされるのはクイーンズ美術館にあるニューヨークの細密なパノラマ模型の前で。1977年のローズ(ジュリアン・ムーア)はベンに、ジオラマ製作者だったベンの父親のことを語る。映画の冒頭、ベンがオオカミの夢を見ているショットがつながってくる。
原作は『ヒューゴの不思議な世界』と同じブライアン・セルズニックの小説。どちらの映画も少年少女の目から見たこの世界の驚異を見事に映像化してみせた。トッド監督は人種差別や同性愛、障害者といったテーマをメロドラマや少年少女小説に巧みに溶かし込んで、さりげなく浮かび上がらせている。
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