『シェイプ・オブ・ウォーター』 50年代映画への愛
The Shape of Water(viewing film)
『大アマゾンの半魚人(原題:Creature from The Black Lagoon)』を見てはいないけれど、ポスターは覚えている。公開された1954年といえば、こちとら小学校低学年。この怪奇映画はけっこう話題になったから、その後、長いこと全国の三番館で上映されていたと思う。僕がポスターを見たのは川口市の映画館だったか、工場の住込み職人に連れられて遊びに行った浅草六区だったか。監督のギレルモ・デル・トロはメキシコで少年時代、この映画を見たそうだ。
『シェイプ・オブ・ウォーター(原題:The Shape of Water)』はデル・トロ監督がこの映画の記憶をもとにつくった怪奇ファンタジー。ラブロマンスであり、ミュージカルふうな味もあり、かと思うと冷戦時代のスパイもののサスペンスも織り込まれている。さらに、デル・トロ監督の映画への愛がそこここに詰めこまれているのが楽しい。
1962年、冷戦下のアメリカ。宇宙開発を進める秘密研究所に南米で発見されたクリーチャー(半魚人)が送られてくる。研究所の掃除婦で唖者のイライザ(サリー・ホーキンス)はクリーチャーと手話で心を通わせるようになり、半魚人を生体解剖する計画を知って逃がそうとする。同僚の掃除婦でアフリカ系のゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)と、研究所員で実はソ連のスパイ、ホフステトラー博士がイライザに協力する(スパイといっても子供向け読物ふうだけど)。研究を指揮するストリックランド(マイケル・シャノン)が彼らを追う。
イライザが住むアパートは一階が映画館。映画の全盛時代を思わせる立派なつくりで、『砂漠の女王(The Story of Ruth)』がかかっている。イライザに匿われたクリーチャーが部屋を抜け出して映画館に迷い込む。映写されているスクリーンを背景に、イライザとクリーチャーが抱き合う。
映画へのこだわりは物語のなかだけでなく、そのスタイルにも見てとれる。1950年代、2本立ての添え物としてつくれれたB級映画は低予算で上映時間も90分程度だった(『大アマゾン……』は79分)。そのため無駄をできるだけ削ぎ、簡潔に物語を進めることが求められた。CGなどない時代、映像的な遊びも少なかった。またヘイズ・コードと呼ばれる検閲によってヌードや残酷シーン、殺人の描写が禁じられていたから、それらは間接的な映像で暗示された。そうした条件に制約され、いやむしろそれを逆手にとって、1940~50年代のアメリカ映画は映像も、カットとカットのつなぎも簡潔なスタイルができあがった。この時代のフィルム・ノワールはその最上の成果だろう。
『シェイプ・オブ・ウォーター』は、その時代のスタイルを意識的に採用しているようだ。セットや色彩は、いかにも50年代ふう。もちろんCGが使われているけれど必要最低限に抑えられ、いかにもVFXという見せ方はしない。カメラも移動したりズームしたりせず、端正なカットを短く積み重ねる。イライザは手話で意思を伝えるから、50年代というより、もっと以前のサイレント映画の匂いさえしてくる。ただ、冒頭とラストの水中シーンだけは、抑制的なスタイルでなく想像力を解き放って映像として見せる。それも含めて、メキシコで育ったデル・トロ監督の、子供時代のアメリカ映画の記憶がいっぱい詰めこまれているような気がする。
全体が「むかしむかし」とでも言うように夢で始まり「めでたしめでたし」で終わるお伽噺のなかで、半魚人という異形や掃除婦として働く下層の人々に心を寄せ、アフリカ系やゲイ差別への批判も織り込まれているのは、アメリカではマイノリティーであるデル・トロ監督だからか。1962年はそういう時代だった。アカデミー賞を競った『スリー・ビルボード』のほうが僕には面白かったけど、楽しめる映画でした。
Comments