『ハッピーエンド』 ブルジョア一族の腐臭
ミヒャエル・ハネケ監督の映画には映画音楽がいっさい使われない。音楽が流れるのは、物語のなかで出てくるときだけ。それだけに、数少ないその音楽が印象に残る。『ハッピーエンド(原題:Happy End)』では2カ所。一度目は北フランスのカレーで建設業を営むブルジョア一家、ロラン家の三代目ピエール(フランツ・ロゴフスキ)が密室のクラブでストリート・パフォーマーみたいな歌とダンスを披露する場面。遊び仲間らしき何人かが彼の歌を聴いている。会社の重役になっていながら仕事を放棄したピエールの反抗とやけっぱちが露出する。
もう一度は引退したジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)の誕生日を祝う自邸でのパーティで、女性チェリストが披露するチェロ。ざわざわと感情を乱す一節が弾かれる短いショット。このチェリストとジョルジュの息子トマ(マチュー・カソヴィッツ)は愛人関係にあり、チャットでわいせつな会話を交わしているのを、前妻との間の子供で13歳になるエヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)に覗き見されてしまう。その後の波乱を予感させる音。
ハネケ監督の映画がいつもクールで、対象を冷たく見つめている印象を与えるのは、見る者の感情をかきたてる映画音楽を使わないこと、カメラも移動やズームの動きが少なく据えっぱなしの長回しが多いことに依っているだろう。一方、物語を語る口調は説明なしに断片を放り出すことが多く、見る者はしばらく人間関係や全体の構図がわからない。そこからミステリアスな緊張が生まれる。
大家族が住む邸宅で一家の夕食シーンがある。引退して認知症気味のジョルジュは背広にネクタイを締めている。会社を切りまわしているのはジョルジュの娘アンヌ(イザベル・ユペール)。ハネケ監督の前作『愛 アムール』といい『エル』といい、クールでやり手のブルジョア階級というイザベル・ユペールにうってつけの役どころ。アンヌとアンヌと出来の悪い息子ピエールが口喧嘩をしている。ジョルジュの息子で家業を継がず医者として働くトマと新妻は黙ってナイフとフォークを動かしている。格式ばってはいるが、家族としての一体感や愛はまったく感じられない。トマは前妻の入院で一人になった娘のエヴを引き取り、孫娘がジョルジュを長とする一家の食事の席に加わることになる。
ジョルジュは自殺未遂と疑われる交通事故を起こす。車椅子になったジョルジュは、出入りの床屋に銃を手に入れてくれと頼む。アンヌは会社の顧問弁護士と愛人関係にある。ピエールは家を出て、放蕩の生活を送っている。トマは新妻との間に子供が生まれたばかりなのに、女性チェリストとサドマゾ的な愛人関係にある。
でもこの映画でいちばん得体が知れないのは、13歳の可愛いエヴだ。映画の冒頭、スマホの動画が映し出される。エヴが母親を撮ったもの。彼女は母親に大量の抗うつ剤を与えて昏倒、死亡させる。エヴがやったことは誰にも気づかれず、彼女はロラン家に引き取られる。邸宅のなかで孤独なエヴは、やはり孤独なジョルジュと会話する。ジョルジュは、かつて介護していた妻に手をかけたことをエヴに語る。映画の最後、海辺のレストランでのアンヌと顧問弁護士の婚約パーティの席で、ジョルジュはエヴに車椅子を押させて海辺に出る。ジョルジュは波打ち際まで車椅子を寄せさせる。ジョルジュが車椅子で海に入っていくのを、エヴは何も言わず離れてスマホで動画に撮っている。
冒頭と対になって13歳のエヴが撮る動画が海の光にあふれ美しく、それだけに入水するジョルジュと、それをスマホに収めるエヴの孤独と酷薄さを際立たせる。エヴにとって生の現実よりスマホ画面を通した画像のほうが、彼女の氷の心にリアルなのだろう。
舞台になるカレーは数年前、イギリスに渡ろうとする中東やアフリカからの難民が集まりカレー・ジャングルと呼ばれるキャンプができてニュースになった。この映画でも、邸宅にモロッコ人夫婦が下働きとして住込み、建設現場では移民が働いていたり、パーティ会場にピエールが難民を引きつれ乱入するといったかたちで姿を見せる。ハネケはそれを正面から取り上げることはしないけれど、こうしたヨーロッパの現実を踏まえてこのブルジョアジー一家の腐臭を描いている。それが「ハッピーエンド」と(なぜか英語の)タイトルをつけられているところにハネケの辛辣なメッセージを見る。
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