『花咲くころ』 少女の息づかい
映画が始まってしばらくして、これって『花とアリス』だよなあと思った。十代の鈴木杏と蒼井優が共演した『花とアリス』(岩井俊二監督)は、親友である女子高生2人を、彼女らが好意を寄せる男子学生を絡めて描いた青春映画だった。特に大きな出来事が起こるわけでもなく、2人の日常が斬新で抒情的な映像で捉えられている。
ジョージア(グルジア)映画『花咲くころ(英題:In Bloom)』も主人公は14歳の2人の女子学生。親友である2人の春から初夏にかけての数カ月が描かれる。最後にドラマチックな結末が待っているわけではない。だからジョージア版『花とアリス』だと思ったんだけど、当たり前の日常の背後で、そこかしこでこの国とジョージアの置かれた状況の違いに気づかされる映画だった。
ソ連が崩壊しジョージアが独立した翌年の1992年。エカ(リア・バブルアニ)とナティア(マリアム・ボケリア)は首都トビリシに住み、同じ学校に通っている。2人とも、日本の団地のような古びたアパートに暮らす。部屋のテレビが、国の西部にあるアブハジアで内乱が起きていることを伝える。
エカは母親、姉と暮らしているが、父は刑務所にいる。ナティアは両親、祖母と暮らすが、父親はアル中で妻とケンカが絶えない。『花とアリス』で2人の女子高生の家庭がどんなだったかは、まったく記憶にない。描かれていないか、描かれてもごく普通の家庭だったと思う。それに対し『花咲くころ』の2人の家庭は問題を抱えている。日本映画を見慣れた目からは、この設定は「やりすぎ」に見える。でもジョージア人が見ればこの設定は「やりすぎ」でなく、リアルさを感ずるのかもしれない。
ナティアはコテとラドという2人の少年から好意を持たれている。モスクワへ行くことになったラドは、これで身を守ってくれとナディアに拳銃を渡す。この設定も僕らの目からは「やりすぎ」、あるいは現実的ではないと感じられる。でもこれもジョージアの観客にとっては「ありうること」かもしれない。映画に拳銃が出てくれば、やがてそこから弾丸が発射され大きなドラマが生まれるだろうと、ハリウッドの犯罪映画を見慣れた僕らは予想する。でも、その予想は見事に裏切られる。銃がドラマチックな結末を生まないことが、この映画が描きたいことと関係しているにちがいない。
ある日、エカとパンの配給の行列に並んでいたナティアは、コテと不良グループに誘拐される。監禁されたナティアはコテと強制的に結婚させられる。写真家の林典子に『キルギスの誘拐結婚』という写真集がある。キルギスからジョージアにかけて、掠奪婚とも呼ばれるこの風習が今も残るという。結婚を披露する宴に出席するナティアにも、招かれたエカにも笑顔はない。エカは、笑顔を見せないまま踊り出す。怒りと悲しみと親友への愛を内に秘めたまま、固い意思的な表情でエカが長いこと踊るシーンが素晴らしい。
ほかにも見とれてしまうシーンが多い。変哲もない団地のベランダでエカとナティアがワインを飲む。突然の驟雨に街や植物が濡れ、エカもずぶ濡れになって家へ走る。コテと不良グループに追われて、ラドが旧市街のレンガ造りの街並みを縫って逃げる。そんな風景のなかでエカとナティアが互いに寄せる心情が、『花とアリス』のように華麗な映像でなく、どちらかといえばぶっきらぼうに語られてゆく。
この映画を「内戦の混乱や暴力的風土のなかで、けなげに成長してゆく少女」みたいに、社会派ふうな受取り方をすることもできる。でもそれより、エカとナティア、2人の少女が互いを思いながら日々を生きていく息遣いを描いた青春映画と受け取りたい。決して声を荒げることなく2人の少女の行動を見つめるこの映画は、そんな資質を持っている。内戦も誘拐婚も、その背景として生きてくる。
監督はジョージア出身でドイツで映画を学んだナナ・エクフティミシュヴィリと、ドイツ出身で夫のジモン・グロスが共同で。エカとナティアを演じた2人の少女はサラエボ映画祭で最優秀主演女優賞に輝いた。
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