January 31, 2018
January 30, 2018
嶋津健一トリオを聞く
嶋津健一トリオのライブに出かけた(1月29日、青山・Body & Soul)。
嶋津は二つのトリオをもち、いろんなジャンルのミュージシャンと共演してるけど、僕はこのメンバーのトリオがいちばん好き。結成して3年目になるだろうか。もう10年以上組んでいるベースの加藤真一と、若いドラムスの今村健太郎と、互いの呼吸を飲み込み、アドリブのインタープレイがいよいよ熟してきたと感ずる。
嶋津のオリジナルとA.C.ジョビンとリクエストに応えてスタンダードと。オリジナル曲は、「ハラペコ」みたいなバップふうなものと、ゆったりと美しい旋律の和風(?)のものがある。スタンダードでは「朝日のようにさわやかに」で熱のこもったやりとり、「you don't know what love is」では見事なバラードを聞かせてくれました。アンコールは「嶋津の子守歌」(ジャズで「○○の子守歌」は名曲、名演ぞろい、自信がないとこういうタイトルつけられませんね)で、おやすみなさい。
January 27, 2018
「ルドルフ2世の驚異の世界」展へ
神聖ローマ帝国の皇帝として君臨したハプスブルグ家のルドルフ2世が蒐集した絵画やモノを集めた展覧会(~3月11日、渋谷・Bunkamura ザ・ミュージアム)。芸術家でなく、権力と富によって世界中の文物を招き寄せたコレクターを軸にしたところが面白い。
16世紀末から17世紀初頭。プラハのルドルフ2世の宮廷には画家のアルチンボルド、ヤン・ブリューゲル(父)、天文学者ケプラーらの才能が集まっていた。大航海時代以後、世界中の辺境から珍しい動植物がもたらされた時代。アルチザンとアーティスト、錬金術や占星術と科学が、未分化だった時代。その混沌から生まれた、博物学と絵画が一体となったような作品が並んでいる。
野菜と花によって描かれたアルチンボルドの「ルドルフ2世像」。四季の花を一つの壺に活けたブリューゲルの「小さな花束」。男装した女王が女装したヘラクレスを誘惑するスプランガ―の「ヘラクレスとオムパレ」。ケプラーの書物。望遠鏡や天球儀。イッカクの牙(ユニコーン伝説を生んだ)。貴金属や宝石をちりばめた時計や杯。こういうのを一堂に集めた「驚異の部屋」で、ルドルフ2世は自身の好奇心を満たしていたわけだ。
上の写真は現代アーティスト、フィリップ・ハースの特別展示。アルチンボルドにインスパイアされた「春・夏・秋・冬」。
『ベロニカとの記憶』 青春の苦い勘違い
The Sense of an Ending(viewing film)
イギリスの文芸映画を見たくなるときがある。原作となる小説は、映画化されるくらいだからそれなりの評価が定まった小説が多い。監督はたいてい手堅い英国風リアリズムの職人。役者も舞台出身だったりする名優が多い。正統派で、いかにも映画らしい映画。そういうのを見たくなることもある。『ベロニカとの記憶(原題:The Sense of an Ending)』もそうだろうと見当をつけた。
原作はジュリアン・バーンズのブッカー賞受賞作『終わりの感覚』。主演は『ムーラン・ルージュ』や『ブリジット・ジョーンズの日記』などの名脇役ジム・ブロードベントと、『地獄に堕ちた勇者ども』以来のご贔屓シャーロット・ランプリング。監督は意外にもむ若いインド系のリテーシュ・バトラ。デビュー作のムンバイ映画『めぐり逢わせのお弁当』(未見)が好評だった。製作のBBCフィルムは若手の起用育成を方針にしている。インド→イギリスというのは両国の歴史からしてありうることだ。
物語は老いた中古カメラ店主トニー(ジム・ブロードベント)の現在と回想という一人称の視点で進む。トニーは別れた妻マーガレット、シングルのまま出産を控える娘のマーガレットと行き来している。ある日、一通の手紙が来る。学生時代の恋人ベロニカの代理人からで、死んだベロニカの母セーラ(エミリー・モーティマー)がトニーに日記を遺したという。日記はトニーの高校時代の友人エイドリアンのものだった。
回想シーンでは、トニーの失恋が語られる。大学に入ったトニーが気ままな娘ベロニカと恋人になり、彼女の家を訪れるとベロニカの美しい母セーラもトニーを誘惑するような態度を示したこと。エイドリアンにベロニカを紹介したら、二人が恋に陥ってしまったこと。そんな思い出が描写される。その後、エイドリアンは自殺した。そのエイドリアンの日記を、なぜベロニカの母セーラが持っていて、それをトニーに遺品として残したのか。トニーは遠い昔に別れたベロニカ(シャーロット・ランプリング)に会おうとする。
トニーは、渋い外見に似合わず勘違い男であるらしい。元妻に昔の恋人の話を延々として、うざったく思われる。出産直前の娘にも、運転手として使われている。でもトニーは元妻とも娘ともうまくやっていると思い込んでいるらしい。数十年ぶりにベロニカと会ったトニーは、ベロニカの自宅まで後をつけていく。それストーカーでしょ、と言われてもトニーにはその自覚がない。
トニーは、ベロニカが息子のような男と腕を組んで歩いているのを車で追う。その男がエイドリアンという名前であることを知る。やがて、トニーはかつての自分の大きな勘違いと、愚かなふるまい、友の自殺の真相を苦々しさとともに知ることになる。
原題の「終わりの感覚」とは、死を自覚する年齢になってなお過ちばかり犯す(つまりわれわれみんなのことだ)トニーの、平凡ではあるけれどいろいろあった家族との関係、かつての恋人や死んだ友との関係を苦く思い出しながら、なお老年の日々を生きていこうとする姿勢から生まれる感覚を指しているだろうか。現在のシーンではロンドン郊外ハイゲートの中流階級の住宅地帯、回想シーンではイングランド西海岸ブリストルの風景がうまく使われている。
このところのイギリス映画は『私は、ダニエル・ブレイク』とか『思秋期』とか、労働者階級というか、更に下層のアンダークラス(by ブレイディみかこ)を素材にした作品に面白いものが多いけど、伝統的なインテリ・中産階級の人間しか出てこないこの映画のような正統派にも捨てがたい味がある。シャーロット・ランプリングは、70代になってなお毅然とした女性を演じて香気を感じさせる。いいなあ。
January 23, 2018
January 22, 2018
January 21, 2018
January 19, 2018
『目撃者 闇の中の瞳』 台湾の犯罪映画
Who Killed Cock Robin(viewing film)
かつて台湾映画といえば、公開されるのはホウ・シャオシェンら作家系の映画か青春映画、あるいは歴史ものくらいだった。でも最近は、ホラーとかエンタテインメント系の映画も上映されるようになっている(見てないけど)。『目撃者 闇の中の瞳(原題:目撃者)』も、犯罪・スリラー系のジャンル映画。しかも、強力な作品だ。
新聞記者のシャオチー(カイザー・チュアン)が買ったばかりの中古BMWで事故を起こす。調べると、BMWは9年前に彼が目撃した事故の事故車だった。その当て逃げ事故の犯人は捕まっていない。誤報事件を起こして新聞社を解雇されたシャオチーは元同僚のマギー(シュー・ウェイニン)と9年前の事故を調べはじめる。
シャオチーが、事故で片足を失い障害者になった被害女性のシュー(アリス・クー)を探し当てると、二人を追う何者かの影が見え隠れしはじめる。シューは何者かに襲われ監禁される。一方、逃げた加害車の持ち主はシャオチーの元上司で国会議員のチウ(クリストファー・リー)であることが分かる。事故の加害者である男女2人と被害者である男女2人がシャオチーの周囲で複雑に絡み合いはじめる。
この映画の面白いところは主人公のシャオチーが単なる探偵役ではないところ。映画が進むにつれ、シャオチー自身が事故の目撃者にとどまらず、目撃される者でもあったことが分かってくる。シャオチーといい感じになる元同僚のマギーも、逃走車の持ち主で国会議員のチウと怪しい関係にある。事故の被害者シューも、犯罪に関係していたことがわかってくる。シャオチーとマギーの探偵役(と見えた)2人が当事者になり、被害者が別の事件の犯人でもあり、最後にシャオチーが自らの動きが引き起こした誘拐監禁事件に決定的に関わってくる。
その目まぐるしく関係が入れ替わるサスペンスが見事。33歳のチェン・ウェイハオ監督はこれが長編2作目。台北の衛星都市・新北を舞台に、高速道路網を俯瞰した都市風景や、デヴィッド・リンチ風な夜の道路の描写など、これまで台湾映画では見たことがなかった。英題にマザーグースの一編を引き(Who Killed Cock Robin)、そのコマドリを何度か象徴的に登場させる。かと思うと、1箱100万円単位のものもある高級茶・東方美人茶が小道具に使われて生活感を醸し、政治の裏を見つめる社会派的な視線もある。
長谷部誠ふうな好青年のカイザー・チュアンと、時にはっとするような肉感的な表情を見せるシュー・ウェイニンが複雑な役どころを演じている。事故の被害者である若い男を演ずるのはアン・リーの息子メイソン・リーで、こちらも個性的。これまで東アジアの犯罪スリラーものといえば韓国映画が目立ったけれど、台湾映画にも新しい世代が出てきたことを実感させる映画だった。
January 12, 2018
『レディ・ガイ』 知的B級映画
ミシェル・ロドリゲスをはじめて見たのは『マチェーテ』だった。『マチェーテ』は、1960~70年代にアメリカで山のようにつくられた「グラインドハウス」というB級映画(タランティーノがこれで育ったことは有名)を蘇らせた作品。強い男と色っぽい女、すぐに銃をぶっ放し、ストーリーは単純。アメコミのテイストをもったアクション映画だった。ミシェルは革命派の女闘士役で、黒皮のパンツにタンクトップ、機関銃を手に大暴れしていた。どうやら、この映画で彼女のイメージが決まったみたい。
『レディ・ガイ』もまた意識的にB級映画のテイストをもち、ミシェルの役どころも似たようなもの。ただしウォルター・ヒル監督の映画だけに、ひとひねりもふたひねりもして香辛料が利いている。
ひとつめのひねりは、主人公はもともと男だったのに性転換手術を施され女になってしまったとの設定。殺し屋のフランク(ミシェル・ロドリゲスが男装)は、彼が殺した男の姉で性転換手術の名医レイチェル(シガニー・ウィーバー)の罠にはめられ、復讐のため手術を施され、場末の安ホテルで気がつくと女になっている。
奇想天外な設定。ウォルター・ヒルは、共同脚本のデニス・ハミルの原案を読んだとき、これはすごいB級映画になるぞと長いこと企画を温め、フランスでグラフィック・ノベルにして刊行してもいる。元男という設定だから、ミシェルは歩き方、表情のつくり方、発声も男の演技をする。顔の包帯をはずし、手術着を脱ぐと女になっていてうろたえるシーンは倒錯的なエロティシズムを発散する。女になったフランクが、自分をこんなにしたレイチェルと、罠にはめたギャングに復讐を挑むハードボイルド・アクションがこの映画の半面。
ふたつめのひねりは、ミシェル・ロドリゲスの敵役にシガニー・ウィーバーを配したこと。シガニー・ウィーバーといえば、言うまでもなく「戦う女」のイメージをもった女優。『エイリアン』では、タンクトップにマシンガンでエイリアンに挑んだ。『レディ・ガイ』のミシェルの服装は、『エイリアン』のシガニーを下敷きにしているのではないか。シガニーは『エイリアン3』ではスキンヘッドにもなっている。この映画でも髪を男のようになでつけ、スーツにネクタイ姿にもなって、銃ではなく言葉で「戦う」。だから、この映画のミシェルとシガニーは「戦う女」の新旧女優対決といった趣きがある。
逮捕されたレイチェルは、ガレン博士(トニー・シャルーブ)の診察とカウンセリングを受ける。この部分は、シェークスピアやポーが好きで知識と教養を持ち、しかし精神に異常をきたしているかもしれないレイチェルとガレン博士の丁々発止の対話劇。単純なBムービー・アクションに終わらない。こちらの半面を面白がれるかどうかで、この映画の評価はがらりと変わってしまうだろう。
でも全体としてはアメコミのテイストで、シーンとシーンのつなぎ目がストップ・モーションでコミックの絵のようになる。そんな遊びが散りばめられた映画。ラスト、私は徐々に変化していった、とフランクの意味深な独白で終わる。女として生きる、ということか。
January 07, 2018
上野・谷中・南千住を歩く
正月、今年初めてのブログで新年のあいさつを書いていたら、古くからの知人の訃報を受けとった。となると、おめでとう、なんてとても書けない。そうこうしてるうち松の内も終わってしまった。故人についてはいずれ追悼の文章を書きたい。
今年の仕事はじめは、雑誌のコラムを書くための取材。明治維新で彰義隊と官軍が戦った跡を追って上野周辺を歩く。動物園前の広場には、かつて寛永寺の中心、根本中堂などの建物があった。官軍のアームストロング砲で破壊され、以来、がらんとした空間のまま現在に至る。
今の東京国立博物館正門にあった旧本坊表門。官軍の砲撃、銃撃で大小の穴が開いている。現在は隣の輪王殿に移築されている。
寛永寺の裏口にあたる三崎(さんさき)坂の寺に残る彰義隊の砲弾。
寛永寺の正門にあたる広小路の黒門は今、南千住の円通寺に移築されている。多数の銃弾の跡が激しい戦闘をしのばせる。
January 01, 2018
今年の映画 MY BEST 10
今年もそんなにたくさんの映画を見たわけじゃないけど、年末のお遊びとしてベスト10を選んでみました。
1 ローサは密告された
今年はフィリピン映画の秀作が多かった。手持ちカメラが夜のマニラのスラムを走りまわる、骨太な人間ドラマ。密告と憎悪の連鎖のはてに、主人公が揚げ団子をほおばり生きる意思を露わにするのが感動的。
2 バンコクナイツ
バンコクに吹きだまった「沈没組」の日本人を通して見る、この国のリアルな姿。ロードムービーふうな後半では現実がふっと宙に浮き、ありうるかもしれないアジアが見える。
3 ブレード・ランナー 2049
リドリー・スコットとドゥニ・ヴィルヌーヴが見事に融合した。前作の美学を受けつぎつつ、ヴィルヌーヴらしい不安と懐疑の映画。ラスト、砂漠のロサンゼルスに降る雪が忘れられない。
4 オン・ザ・ミルキーロード
久方ぶりに会ったクストリッツァの世界に酔う。バルカンの陽気なリズムにのせて人間も動物も、戦争も愛も、ひとつの世界に融けてゆく。50代半ばになったモニカ・ヴェルッチが美しい。
5 マンチェスター・バイ・ザ・シー
ずいぶん古風な映画だけれど、風景も人間もじわっと染みてくる。離婚した夫と妻、叔父と甥、微妙な人間関係の微妙さを見事にすくいとった。
6 パターソン
ジャームッシュ健在。内容もスタイルも、映像で描いた詩。ニュージャージーの小さな町で、何も起こらない日々が、いちばん素晴しい。
7 立ち去った女
もう一本のフィリピン映画。冤罪で服役した女性の復讐譚を長回しカメラで見せる。路上に生きる貧しい人々の肖像と、哲学的つぶやきの取り合わせが新鮮な驚き。
8 お嬢さん
植民地朝鮮の支配・被支配の関係を、官能の支配・被支配に変換してみせた。被植民者のねじれた欲望、密室の暴力と笑い、濃厚なエロティシズムがいかにもパク・チャヌク。
9 エル ELLE
パリのブルジョア社会で繰り広げられる倒錯のゲーム。冷たい表情を崩さないまま欲望とエゴイズムを露わにするイザベル・ユペールがすごい。
10 彼女の人生は間違いじゃない
主人公は福島と渋谷を往復しながら、原発事故の補償金をパチンコにつぎこむ父との暮らしと、デリヘル嬢の日々。その内面は説明されず、切実さだけが伝わる。
番外(新作ではないけれど)
台北ストーリー 台湾ニューウェーブの幕開けを告げる傑作。
リュミエール! 最初の映画にはすべてがある。
ほかにリストアップした映画は、『午後8時の訪問者』『ノクターナル・アニマルズ』『密偵』『三度目の殺人』『彼女がその名を知らない鳥たち』『夜空はいつも最高密度の青空だ』『ホワイト・バレット』『静かなる叫び』『網に囚われた男』『変魚路』といったところ。一年間、おつきあいいただいてありがとうございました。
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