『ノクターナル・アニマルズ』 リンチとイーストウッドの結合
Nocturnal Animals(viewing film)
真紅のカーテンの前で、異常に太った女が裸で音楽に合わせ踊っている。肉はたるみ、皺だらけの醜い肉体が、アメリカ国旗を手にしながら。異形の姿と真紅のカーテンの組み合わせは、どうしたってデヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』を思い出させる。
のっけからおどろおどろしい映像が何かと思ったら、スーザン(エイミー・アダムス)がオーナーである美術ギャラリーの展示物。ロスでギャラリストとして成功したスーザンのもとへ、20年前に別れた夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から「ノクターナル・アニマルズ(夜の獣たち)」という小説の草稿が送られてくる。エドワードはかつてスーザンを「ノクターナル・アニマル」と綽名で呼び、そこから発想された小説だという。ロスへ行くので会いたいとの伝言も添えられている。
スーザンは小説を読みはじめる。エドワードとスーザンを思わせる夫婦、トニー(ジェイク・ギレンホール)と妻のローラ(アイラ・フィッシャー)、娘のインディアが車でテキサスへ向かう旅に出る。夜の路上でレイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)ら3人のならず者にからまれ、ローラとインディアはレイプされ殺される。砂漠に置き去りにされたトニーは、警部補のボビー(マイケル・シャノン)とレイを追う……。
現実と小説の世界が同時進行する。現実世界も現在と、小説家志望のエドワードと美術史を学ぶスーザンが知り合った過去が交錯する。小説世界では、妻と娘がレイプされ裸で殺される。そのショットと、現実世界でスーザンの娘が裸でベッドで寝ているショットとが同じ構図で重なる。現実とフィクション世界がシンクロしはじめる。
現実世界で、ギャラリーをもつスーザンと夫のハットンは成功者。ハットンは自分のビジネスで各地を飛びまわりながら、不倫もしている。スーザンは、裸の女が踊るカルト的なアートを、陰で「ジャンク」と吐き捨てる。成功者の偽善の世界。エイミー・アダムス演ずるスーザンは、昼は知的で大人の女だけれど、かつてエドワードが「ノクターナル・アニマル」と呼んだわけは明らかにされない。セックスのことなのか、あるいは強いスーザンに対してエドワードが「自分は弱虫」と自覚せざるをえない二人の関係を比喩的にそう言ったのか。
一方、小説は負け犬の世界。3人のならず者に妻と娘をなす術もなく拉致され、レイプされ、殺された「弱虫」のエドワードは、病気で自暴自棄になった警部補のボビーにそそのかされて、2人で復讐にのりだす。舞台はテキサス、テンガロンハットをかぶるボビー、馬にかわって車で沙漠を走るシチュエーションは、いやでも西部劇を思い起こさせる。弱虫が、ガンマン(ボビー)の助けをえて復讐に乗りだす。ならず者を含め登場人物はみなルーザーで、負け犬同士が戦って自滅していく。
タイトルの「ノクターナル・アニマルズ」は、現実と小説の両方の世界に掛けられている。小説の部分は、それが十分に描かれる。一方、現実の部分では暗示にとどまる。ジェイク・ギレンホールが現実世界に現れるのは過去の回想だけで、現在には遂に登場しない。スーザンに送りつけた小説は、教師をしながら小説を書いている(この設定はアメリカ映画の負け犬の定番)エドワードの彼女に対する復讐なのか。スーザンの不安だけが増殖してゆく。ラストの宮殿ふうな日本レストランも、いかにも成功者の偽善を暗示する。
現実と小説とを対照させながら描く、華やかなセレブの偽善の世界と、西部開拓以来の地にうごめく男たちの世界。デヴィッド・リンチとクリント・イーストウッドがつながる。見事な心理スリラー。トム・フォードの脚本・演出は、これが2作目とは思えない。
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