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November 30, 2017

『リュミエール!』 映画の原初の魅力

Lumiere
Lumiére!(viewing film)

1895年、フランスのルイとオーギュストのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明し、最初の映画を撮影して公開した。これは評判を呼び、以後、20世紀に向かって映画は世界中で製作され人々に楽しまれるようになっていく。

『リュミエール!(原題:Lumiére!)』はリュミエール兄弟が撮影した1422本の映画のなかから108本を選んでデジタル修復したものだ。122年前、映画が発明されたその場の空気に立ち会うことができるのが素晴らしい。

当時、フィルム(35ミリ)の長さの制約から、1本の映画は50秒だった。108本が、ナレーション(僕が見たのは立川志らくの日本語版)とともに映しだされる。

最初の1本は、リュミエール工場の門から働きおえた人々が出てくる「工場の出口」。まるでキートンの喜劇みたいな「水をかけられた散水夫」。散水夫がホースで水を撒いていると、別の男がホースを踏んで水を止め、散水夫がホースの先を覗いたとたん水が噴出する。観客席に向かって走る機関車に轢かれるのではないかと観客が逃げたことで神話になった「ラ・シオタ駅への列車の到着」。機関車のアクションと質感、機関車とホームが対角線になった構図、機関車の黒と人々の白い服が対照的な光と影。映画の原初的な魅力が50秒に詰まっている。

これらはクラシックとして僕も見た記憶があるけれど、見たこともない映像が次から次に出てくる。舟の進水式を真横から撮った1本は、手前と向こう岸で見守る人々の間を、ものすごい質量を感じさせる船が左から右へ移動する。僕は『スター・ウォーズ』第1作の冒頭を思い出した。ニューヨークの街路を撮影した、石造ビル群と路面電車。マルセイユの市街。ベトナムで貧しい子どもたちにお菓子をばらまくフランス女性や、アヘンを吸ってごろんとする中国人など植民地時代の風景もある。

写っているものだけでなく、手法もいろいろ。ヴェネツィアの運河の移動撮影。カッターにカメラを乗せての撮影は、船が波に揺れるので手持ちで撮っているように見える。後退するカメラをベトナムの少女が追ってくるショット(車に乗せて撮影?)も手持ちのような効果を出してリアル。それだけでなく、すべて演出の作品もある。ノンフィクションふうなフィクション。

映画を初めて見た人間の驚きを追体験できる。いやー、面白かった。


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November 22, 2017

松浦寿輝『名誉と恍惚』を読む

Meiyo_matuura

松浦寿輝『名誉と恍惚』(新潮社)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/

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November 21, 2017

わが家の紅葉

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autumn leaves in my garden

今年は紅葉が遅かったけど、週末に冷え込んだせいで一気に色づいた。このカエデは若葉のとき赤く、やがて緑になり、秋に紅葉する。

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アロニア・アルブティフォリア。枝を一輪挿しに挿すと、いい感じになる。

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November 20, 2017

「驚異の超絶技巧!」展へ

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「驚異の超絶技巧!」展(~12月3日、日本橋・三井記念美術館)へ行ってきた。キャッチは「明治工芸から現代アートへ」。超絶技巧による七宝、陶磁、木彫、牙彫、金工、漆功などの明治工芸と、その技巧を受け継いだ現代アートが100点以上展示されている。

浮き彫りというより猫の頭や菊の花の立体を貼りつけたような大型花瓶(明治)と、蛇の頭が飛び出した蛇皮模様の七宝ハンドバッグ(現代)が並んでいる。皿の上に骨が露出した秋刀魚の食べ残しが載った、信じられないような一木作りの木彫(現代)。うっとりするような色彩のアジサイ模様の七宝花瓶(明治)もある。

明治工芸はほとんど輸出産業のない時代、主に輸出用につくられた。江戸の技巧を受け継ぎながら、欧米の美意識に合わせたために異胎をはらんだというか、過剰で超リアルで、時にグロテスク。職人技の極致。現代作家のものは、その技術を最新テクノロジーも使ってさらに発展させ、アートの目で捉えなおした。騙されたり、うなったり、思わず笑ってしまったり、あまりのリアルにぞっとしたり。楽しい。


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November 19, 2017

『密偵』 植民地に生きる<分裂>

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The Age of Shadows(viewing film)

『密偵(原題:밀정)』は韓国で昨年公開され、1270万人の観客を動員したヒット作。ワーナー・ブラザース韓国プロダクションが製作し、ヒットメーカーでハリウッドで監督経験もあるキム・ジウンが監督した、韓国映画の主流をゆく作品。僕が好むパク・チャヌクとかキム・ギドクとか少数派のアート系映画とは違う。1920年代、日本植民地下の朝鮮半島で、日本の総督府警務局と独立運動組織・義烈団のサスペンスに満ちた追跡劇だ。

去年、やはり植民地下の朝鮮半島を舞台にした2本の韓国映画を見た。上海にある韓国亡命政府の警官が日本軍将校を暗殺しようとする『暗殺』、日本人華族の家を継いだ朝鮮人と姪の倒錯した欲望と復讐を描いた『お嬢さん』。

どちらも植民地時代の話だから日本と日本人が悪役として登場する。とはいえこれは韓国人から見た歴史的事実として自明のこと。「水戸黄門」の悪徳代官や悪徳商人のような、善悪がはっきりした大衆エンタテインメントの約束ごとの要素が大きい。ことさら反日的な感情が映画のなかで表に出ることもなく、映画の出来もよく、どちらも楽しめた。『密偵』にもまた同じような感想を持ち、たっぷり楽しんだ。

ジョンチョル(ソン・ガンホ)は、朝鮮人ながら総督府警務局の警官。上官のヒガシ(鶴見辰吾)から、朝鮮独立を呼号し爆弾テロを繰り広げる義烈団のリーダー、ウジン(コン・ユ)に近づいて内偵するよう命じられる。ウジンはウジンで、ジョンチョルを義烈団に引き込もうと、義烈団の団長チュサン(イ・ビョンホン)にジョンチョルを引き合わせる。折から、上海から爆弾をソウルに運び、ヒガシら日本人を暗殺しよとする計画が動き出す。

この映画の日本人役は総督府幹部のヒガシと、ジョンチョルとともに義烈団を追う若い警官ハシモト(オム・テグ)。ヒガシ役に鶴見辰吾を配し、鶴見もことさら悪役面することなくまっとうに演じているので、安心して見ていられる。ハシモトを演ずるオム・テグは、日本語をしゃべり直情的な日本警官を演ずる。

映画の前半は、朝鮮民族なのに日本の警察官として働くジョンチョルの苦悩に焦点が当てられる。義烈団のメンバーから裏切り者とののしられるが、自分を引き立ててくれたヒガシにも恩義を感じている。義烈団に協力するよう求めらるが、態度を明らかにしない。このあたりの引き裂かれた苦悩はソン・ガンホの見せどころだ。

これを見ていて、先日ソウル高裁で有罪判決が出た朴裕河『帝国の慰安婦』(著作によって起訴され有罪判決が出るなど、近代国家とは思えないが)の一節を思い出した。彼女は、年齢も境遇も経緯も多様で韓国人も陰に陽に関与した朝鮮人慰安婦が、なぜ「純白のチョゴリを着た少女」として、まったき被害者の像が「公的記憶」としてつくられることになったのかと問い、こう答えている。

「韓国が植民地朝鮮や朝鮮人慰安婦の矛盾をあるがままに直視し、当時の彼らの悩みまで見ない限り、韓国は植民地化されてしまった朝鮮半島をいつまでも許すことができないだろう。それは、植民地化された時から始まった韓国人の日本への協力──自発的であれ強制的であれ──を他者化し、そのためにできた分裂をいつまでも治癒できないということでもある。換言すれば、いつまでも日本によってもたらされた<分裂>の状態を生きていかなければいけないことを意味する」

朴裕河の著作が裁判にかけられ有罪になったように、日韓の問題はすぐさま政治問題と化し、しばしば加害者対被害者、100%の黒対100%の白という単純な構図に落とし込まれる。この本は韓国人向けに書かれたもので、彼女は、植民地下の朝鮮人が味わった苦悩と<分裂>を正面から受け止めなければ、その<分裂>はいつまでも解決されないと書いている。

この映画では、日本の警官となったジョンチョルの分裂と苦悩が、「日本は悪」というお約束の物語のなかではあれ、映画の根幹をなす主題になっている。『暗殺』でも、日本軍に密通した裏切り者の苦悩が描かれていた。大衆エンタテインメントである映画のなかで、こうした主題がごく自然に描かれるようになっている。僕はそこに韓国社会(政治ではなく)の成熟を感ずる。こういう映画を、韓国の側からも日本の側からも「反日映画」と呼ぶのはふさわしくない。それは、映画の陰影に富んだ表現を政治のレベルに引き下げてしまうものだろう。

映画の後半は、中朝国境の安東からソウルへ向かう列車のなか。裏切り者は誰かをめぐる緊迫したサスペンスになる。ウジンたち義烈団の5人が密かに爆弾を持って一般客を装い列車に乗っている。それを追ってジョンチョルとハシモトが列車に乗り込む。ジョンチョルは既にウジンたちに肩入れすることを決めている。ところが情報がハシモトに筒抜けになっている。団員のなかに裏切り者がいるらしい。それが誰なのかを、ウジンはあぶりだそうとする。

列車内の追跡劇はいかにも映画的で、過去に名作もたくさんある。ここでも、義烈団に共感するジョンチョル、ひたすら義烈団を追うハシモト、団内部の裏切り者を明らかにしようとするウジン、ウジンに心を寄せる女性団員のゲスン(ハン・ジミン──彼女が主演したTVドラマ『京城スキャンダル』も植民地下のソウルを舞台にしたラブ・コメで、この時代を軽やかに描いていることにびっくりした)、それぞれの思惑をもちながらのサスペンスが素晴しい。

映画はさらにソウル駅でのアクション、拷問や裁判シーンに、最後に「お約束」のジョンチョルとヒガシの対面まであって、息つくひまもない。エンタテインメントの枠のなかであれ、日本に協力して生きる男の苦しみをじっくり描いて見せたこの映画の懐は深いと思った。

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November 16, 2017

国実マヤコ『明日も、アスペルガーで生きていく。』をいただく

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かつての仕事仲間だった国実さんから初めての著書をいただいた。

アスペルガー症候群という名前を聞いたことはあっても、どんな症状のどんな病気なのかは知らなかった。アスペルガー症候群と診断され、さまざまな形の「生きづらさ」を抱えて生きる8人にじっくり話を聞き、それをもとに彼ら彼女らの物語がフィクションに仕立てられている。

「記憶する女」「こだわりの強い男」「喜ばれたい女」「婚活の終わらない男」「演じ続ける女」「愛を表現できない男」「捨てられない女」「部屋から出ない男」── 五感が過敏で、得意なことと苦手なことの差が極端に大きく、人と調和するのが苦手。それぞれの物語が短篇小説を読むようにくっきりと立ち上がる。

アスペルガー症候群はここから先が病気で、この手前は健康とはっきり線が引けるものではない。読んでいて、これは自分のことだと感ずる人も多いのではないか。フィクションの部分には、著者自身の体験も投影されているかもしれない。だけでなく、この病気の専門家に解説してもらうことで医学的な正確さも担保している。

書籍編集者をしていたとき、国実さんとは一冊だけ写真関係の文庫を一緒につくったことがある。初めて彼女の机に行ったとき目に入ったのは、ガラスの下に入れられた若尾文子の映画の一シーン。今どきの若い女性が若尾文子か、と驚いた。僕も若いときからの若尾文子ファンで、しかも作品の好みが一緒だったので、『刺青』や『清作の妻』について年齢差を忘れて盛り上がった記憶がある。そんな個性的な彼女らしさが十分に発揮された本です。

国実マヤコ『明日も、アスペルガーで生きていく。』(四六判並製、本体1,200円+税、ワニブックス刊)

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November 13, 2017

『彼女がその名を知らない鳥たち』 犯罪純愛映画

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沼田まほかるの原作を読んでないのにこんなこと言うのもなんだけど、最近の若い作家や監督の小説や映画に接するとき、設定の面白さや、それをどんでん返しする驚きといった構成の技に頼ったものが多いような気がする。その手法にリアリティを持たせるのはディテールの描写だと思うけど、それが足りないと、構えだけでかくて大味な仕上がりになる。

映画の場合、設定の面白さにリアリティをもたせられるかどうかは監督と役者の腕にかかっている。今年見た映画で、うまいなあと思ったのは『エル』。『彼女がその名を知らない鳥たち』も、かなりの程度うまくいっていると思った。

冒頭、家具や衣類が散らかった団地の一室で、ソファーに寝そべりクレームの電話をかけているのは十和子(蒼井優)。その部屋の雑然とした感じや、十和子の投げやりな口調と仕草から、この映画の空気が見えてくる。15歳年上の同居人・陣治(阿部サダヲ)が建設現場の仕事を終えた格好で帰ってくる。陣治は十和子のために天ぷらうどんの夕食をつくり、入れ歯を外してシーハー言い、足指のゴミを丸めながら食べる。

2人の様子から、十和子は陣治を見下していること、陣治はそれを承知で十和子の言うなりになっていることが分かる。夜も、十和子が許さないと陣治はベッドを共にできないらしい。蒼井優と阿部サダヲがなにげないセリフのやりとりや、目線、表情で二人の関係をうまく表現してる。

やがて十和子の男関係が明らかになる。クレームをつけたデパートの店員・水島(松坂桃李)が部屋にやってきて、十和子が誘いをかけたようなかけないような微妙な雰囲気から関係が生まれる。つきあってみると、水島は3000円の時計を高級品めかして十和子に贈るような男。一方、十和子はかつて別れた黒崎(竹野内豊)が忘れられない。黒崎は借金をした叔父に十和子をあてがって帳消しにしてもらうような、恰好はいいがゲスな男。刑事が十和子の部屋にやってきて、黒崎が行方不明になっていることを告げる。陣治は十和子の男関係を怪しんで後をつけていた……。

観客が、黒崎は陣治に殺された? と疑いはじめる地下鉄のシーンでは、ちょっとした照明の当て方で下品だが善良らしい陣治の顔に悪意が浮かぶ。やがて、過去と現在の事件が明らかになる。

僕は『花とアリス』以来の蒼井優ファン。といって全部見ているわけではないけど。彼女が演ずる役柄は『百万円と苦虫女』『オーバー・フェンス』『アズミ・ハルコは行方不明』といった、エキセントリックで普通じゃない女の子の系列と、山田洋次の『東京家族』など原節子の現代版みたいな女性の系列がある。

前者のほうが当然好みで、この映画も普通じゃない女の子の系列に属する。辛い記憶は意識下に抑圧し、現在の快のみを求め、自堕落に生きる女。悪魔的なものと天使的なものを瞬間的に行き来する表情が魅力的だ。男女の絡みのシーンも、プロダクションの管理が厳しいこの国では、これはぎりぎりなんだろうな。

白石和彌監督は犯罪映画である『凶悪』が面白かった。犯罪映画であり一風変わった純愛映画(キム・ギドク『悪い男』みたいな)でもある本作も、そうした監督の資質をうかがわせる。南海電鉄とか夕陽丘とか大阪の南側を舞台にしているのも利いている。ただラスト・シーンだけは(原作にあるんだろうけど)、設定倒れのような気がした。


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November 11, 2017

カンナ・ヒロコのライブ

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Hiroko Kanna live at Yokohama

ニューヨーク在住のジャズ・シンガー、カンナ・ヒロコのライブへ(9日、横浜・bar bar bar)。10年前にニューヨークに滞在したときアパートを世話してもらい、いろんなジャズ・クラブへ連れていってもらったので、彼女のライブにはなにを置いても駆けつける。

20代でニューヨークに行って数十年、すっかり円熟した歌い手になった。やはりNYで演奏していた嶋津健一(p)、加藤真一(b)、Jun Saito(ds)の気心の知れたトリオと楽し気に。「ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ」ではヒロコとサイトウのアドリブ交換もあり会場が盛り上がる。


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November 09, 2017

『ブレードランナー 2049』 LAに降る雪

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Blade Runner 2049(viewing film)

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、ロジャー・ディーキンス撮影監督という組み合わせは、いまハリウッドだけでなく世界中を見まわしても、ノワールやサスペンス系の映画を撮らせて最高のメンバーじゃないかな。

この2人が組んだ映画はヴィルヌーヴがハリウッドへ進出して以来の『プリズナーズ』『ボーダーライン』、そして『ブレードランナー 2049』と3本ある(『メッセージ』だけは撮影ブラッドフォード・ヤング)。それぞれにジャンルは違うけど、調和的な世界をかき乱す不穏な映像は共通している。

ディーキンス撮影の映画を初めて見たのはコーエン兄弟の『バートン・フィンク』。以来、兄弟の映画をずっと撮っていて、特に『ノー・カントリー』でアメリカ南部の砂漠と田舎町の映像は素晴らしかった。コーエン兄弟ではないけれど、『007 スカイフォール』の荒涼としたスコットランドの風景も忘れがたい。今回はその2人に加えてハンス・ジマーの音楽が、弦楽器の低音のパターンを繰り返して不穏な気配をさらに増殖させる。

『ブレードランナー 2049(原題:Blade Runner 2049)』は、言わずとしれたリドリー・スコット監督『ブレードランナー』の続編。前作から30年後。大停電があって、かつての記録が失われた世界。ロサンゼルス警察のK(ライアン・ゴスリング)は大停電以前の旧型レプリカントを見つけ出し殺害する、ブレードランナーと呼ばれる警官。ある旧型レプリカントを殺害におもむき、庭に埋められた箱から、出産した形跡のある旧型女性レプリカントの遺骨を発見する。Kは上司から、生まれた子供を発見し殺害されるよう命じられる。

新型レプリカントを製造するウォレス社の断片的な記録から、遺骨はかつてブレードランナーだったデッカード(ハリソン・フォード)の恋人のものだったことがわかる。残された木馬のおもちゃと自身の記憶から、Kは自分がその子どもではないかと疑いはじめる……。

脚本は第1作と同じハンプトン・ファンチャー(マイケル・グリーンと共同)が書いていて、だから第1作とのつながりに不自然はない。常に雨が降るロサンゼルスの高層未来建築群と日本語やハングルの看板が林立する下町、巨大なホログラフィーの宣伝といった前作の映像とノワールな空気を踏襲。未来風景とアジアの下町の喧騒が雑居して、「懐かしい未来」といった感じのテイストも、より大規模に再現されている。加えて今回は廃墟のラスベガスでプレスリーやシナトラやマリリン・モンローのホログラフィーまで出てくる。

今回のヒロインは、Kの恋人になるAIホログラフィーのジョイ(アナ・デ・アルマス)。Kが必要とするときだけ姿を現し、セックスするときは他のレプリカントに同期させて身体を借りる。第1作の旧型レプリカントが不完全とはいえ人間を目標に開発され、人間に反乱を起こしたのに対し、今回の新型レプリカントはより人間に従順に、完全な機械としてつくられているらしい。

第1作でデッカードは人間として描かれていたが、実はデッカードもレプリカントではないかとファンの間で議論があった(後のディレクターズ・カットではそれを匂わせるカットも挿入されていた)。今回の2049版でKは、記憶を移植された新型レプリカントになっている。第1作のテーマは「レプリカントの反乱」と「人間とレプリカントの恋」だった。2049版では、果たして自分は人間なのか記憶を移植されたレプリカントなのか、そして自分は人間とレプリカントの間に生まれた子どもではないのかという、レプリカントが自己存在を疑う哲学的(?)な懐疑がテーマになっている。

旧型レプリカントの生殖機能を盗もうとするウォレス社のウォレス(ジャレッド・レト)と部下のラヴ(シルヴィア・フークス)が「敵」として設定されているけれども、第1作のルトガー・ハウアーのレプリカントのような強力なキャラクターではない。だからアクション映画としては、その分やや弱くなる。そのかわり、第1作であいまいにしか示されなかった主題がくっきりして、ラスト、傷を負ったKが沙漠のLAに降る雪(カナダ生まれのヴィルヌーヴ監督は雪が好きだね)を見上げながら死んでゆくシーンが生きてくる。

あれやこれや前作と引き比べながら、たっぷりと楽しめる映画でした。


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