『オン・ザ・ミルキー・ロード』 生きる歓び哀しみ
On The Milky Road(viewing film)
エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』や『黒猫・白猫』を見たときは、ほんとうに驚いた。バルカン半島の映画になじみがなかったせいもあるけれど、バルカンの複雑な歴史と民俗を背景に、映像と音楽が一体になったお伽噺のような人間の悲喜劇。その祝祭的なリズムはクストリッツァ監督以外の誰にもつくれない。『オン・ザ・ミルキー・ロード』は、久しぶりにそのリズムにひたることのできる映画だった。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のさなか。銃弾飛び交うセルビア人地域最前線の村。戦う兵士の傍らを、コスタ(エミール・クストリッツァ)が戦闘など知らぬ気にミルク缶を運んでゆく。内戦で家族を殺され精神に変調を来したコスタを、銃弾もよけて飛んでいるようだ。
ミルクを生産しているのは壁に大時計を持つ農家。祖母が仕切るこの家の孫娘ミレプ(スロボダ・ミチャロヴィッチ)はコスタに惚れている。祖母が、軍の将校で戦争に出ている孫のジャガ(ブレドラグ・ミキ・マノイロヴィッチ)に嫁を取り、ジャガとミレプ、2人の孫の結婚式を同時にやろうと考える。町から花嫁(モニカ・ベルッチ)がやってくるが、花嫁は実は多国籍軍(英国軍)に追われている。コスタは花嫁に恋をしてしまう。村の楽団が陽気な民族音楽を奏で歌って踊ってどんちゃん騒ぎの後、敵の英国軍が村を襲ってジャガとミレプの兄妹は殺される。生き残ったコスタと花嫁も敵に追われるのだが……。
この映画は人間ばかりでなく、動物も重要な登場人物。コスタは戦闘現場のそばをロバに乗り、飼っているハヤブサを肩に載せて歩いてゆく。村ではガチョウが、食用にされたブタの血に羽を赤く染めガアガアと歩きまわる。コスタは崖に棲む大蛇にミルクをやっている。この蛇がやがてコスタと花嫁を救う。クマもいる。羊の群れもいる。コスタと動物は同じ世界に住んでいるみたいだ。
音楽が常に鳴っている。バルカンのロマ音楽をベースにしたブラス音楽。コスタも民族楽器を弾く。戦闘シーンでも音楽が鳴り響き、砲弾の音とドラムの音の区別がつかなかったりする。
後半は敵の兵士に追われたコスタと花嫁の逃避行。音楽に合わせて深刻な物語が陽気なリズムで進むうち、クストリッツァの映画がいつもそうであるように、現実からふわっと離陸してお伽噺の世界に近づく。敵に追われ大樹に登って隠れたコスタと花嫁が、抱き合ったまま昇天していくように空中に浮かび上る。クストリッツァだなあ、と思う。
一方、群れに隠れた2人を囲んだ羊たちが地雷に接触し、次々に飛び散って死体になってゆく俯瞰のショットは、内戦の記憶が今も癒えない悲しみを伝えてくる。ユーゴ内戦やボスニア紛争で、正教のセルビアはカトリックのクロアチアを支援した欧米から敵役のように見られたけれど、戦争の死者に国籍や宗教による違いがあっていいはずがない。日本人にはよく分からないけど、セルビア人であるクストリッツァの映画は、欧米ではいまだ微妙な問題を孕んでいるのかもしれない。
50代も半ばになったモニカ・ベルッチが、顔に深く皺をきざみながらも美しい。クストリッツァは、モニカをヒロインに迎えたいがためにこの物語を書き、モニカの相手役を務めたんじゃないかと思いたくなる。戦争に引き裂かれる愛を描きながら、にもかかわらず生きることは歓びというクストリッツァ流の寓話に昇華させた傑作だと思う。
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