『パターソン』 映像で詩を書く
『パターソン(原題:Paterson)』を見ていて、やたらに双子が出てくるのが目についた。これって何なんだろう?
主人公はニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。彼は密かにノートに詩を書きためている。パターソンが朝、歩いて仕事場に向かう途中、道のベンチに老いた双子の兄弟が同じ服を着て談笑している。バスを運転していると、乗客には双子の少女がいる。仕事を終えて帰る途中、詩を書いている少女に出会うが、彼女もまた双子のかたわれ。
パターソンは、この町が生んだアメリカを代表する詩人、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズが好きで、彼のぶ厚い初期詩集を愛読している。テキスタイルデザイナーの妻・ローラ(ゴルシフラ・ファラハニ)が朝の会話で、ウィリアムをカルロス・ウィリアム・カルロスと名と姓をひっくり返し、他愛ない冗談に夫婦で笑う。ウィリアム-ウィリアムズをカルロス-カルロスにして言葉遊びを楽しんでいる。パターソンに住むパターソンも、パターソン-パターソンということになる。
そうか。何度も出てくる双子は、同じ言葉の重なりを面白がる感覚を映像に移したんだな。パターソン-パターソンの言葉の重複も、同じ服を来た双子の姿も、どこか微笑をさそうおかしみを湛えている。そんなあたりから、この映画の主題が見えてくる。ジム・ジャームッシュは映像で詩を描いてみようとしたんじゃないか。
この映画は、ちゃんと韻も踏んでいる。月曜日から一週間の物語だけれど、月曜日から次の月曜日まで、一日の始まりは決まって夫婦がベッドで寝ているのを上から俯瞰する同じショット。パターソンが枕元の腕時計を見ると日によって6時10分だったり15分だったり。ローラと言葉を交わしたり交わさなかったり、ローラがシーツに首までくるまっていたり、美しい背中を見せていたり、日によって微妙にショットが異なる。
韻を踏みながら、映像を少しずつ変奏させてゆく。それはパターソンが詩を書くスタイルに同期している。パターソンが書きとめる詩は、ごく日常的な題材や記憶を材料にしている。例えばこんな感じ(詩はロン・パジェットがこの映画のために書いた)。スクリーンに、パターソンの手書きの文字が映しだされる。
When you’re a child/you learn/there are three dimensions:/height, width, and depth./Like a shoebox./Then later you hear/there’s a fourth dimension:/time./Hmm./Then some say/there can be five, six, seven… /I knock off work, /have a beer /at the bar./I look down at the glass/and feel glad.(PBS NEWSHOUR)
パターソンは毎日決まった時間に起き、ニュージャージー・トランジット社パターソン23番ルートのバスを運転し、昼休みにはお気に入りの滝が見える公園で弁当を食べ、仕事が終わると家に帰って愛犬マーヴィンの散歩に出て、アフリカ系老人が経営するバーでビールを一杯だけ飲む。ローラがつくったケーキがオープンマーケットで200ドルを売り上げ喜んだり、バーで別れ話の男女のトラブルに巻き込まれたり、その日、その日、誰にでもあるような小さな出来事がある。なにしろこの映画の最大の事件は、マーヴィンがパターソンの詩作ノートを食いちぎってしまうことくらい。パターソンは「I hate you.」と一言だけ言ってマーヴィンを許す。パターソンの日々から滲みでる詩と映像とが一体になっている。
ローラがデザインする、白黒の丸や波形を使ったカーテンや服のデザインが繰り返し出てくるのもまた、この映画にヴィジュアルな韻を与えている。穏やかな夫婦の日々が、そのまま美しい。
最後に永瀬正敏が日本から来た詩人として、おいしい役どころで登場。ローラのゴルシフラ・ファラハニはどこかで見た顔だと思ったら、イラン映画『彼女が消えた浜辺』に出ていた。ジャームッシュは若い頃は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のタイトルのようにストレンジな味を好んだけれど、年をとるにつれ普通(オーディナリー)のなかに映画の題材を見つけるようになった。ニュージャージーの、ニューヨークから十数キロに位置する取りたてて特徴のない町の風景も素敵だ。
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