『ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦』 政治の非情
ナチス親衛隊のハイドリヒ暗殺がテーマと聞けば、どうしても古典である『死刑執行人もまた死す』を思い出してしまう。
このハリウッド映画は、ナチス・ドイツからアメリカに亡命したユダヤ系のフリッツ・ラング監督によってつくられた。ハイドリヒ暗殺直後から物語が始まり、暗殺犯と彼をかくまう大学教授一家、暗殺犯と教授の娘の偽装恋愛などが絡み、犠牲を払いながらも主人公の暗殺犯は無事生きのびる。プラハ市民が団結してナチス協力者を暗殺犯に仕立て上げるこの映画は、劣勢になりつつあったとはいえナチス・ドイツがヨーロッパを席巻していた1943年につくられた。史実とは別の、光と影の映像が美しい良質なプロパガンダ映画(『カサブランカ』のような)といった趣だった。
『ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦(原題:Anthropoid)』は史実に沿って、イギリスで訓練を受けた7人のグループがプラハに送り込まれ、暗殺を決行し、密告されグループが壊滅するまでを描く。前半はサスペンス、最後の30分はすさまじい銃撃シーンで、初めから終わりまで息もつかせない。ナチスに抵抗した地下組織を描く「レジスタンス映画」は第二次大戦後、フランスはじめ各国でつくられたが、第二次世界大戦から半世紀以上たって今なおこのジャンルの映画がつくられるのは、ハイドリヒの暗殺とナチスへの抵抗がチェコ人にとっては戦後のチェコスロバキア建国につながる歴史的事件だったからだろう(チェコ・英・仏合作)。
主人公は暗殺を実行するヨゼフ(キリアン・マーフィー)とヤン(ジェイミー・ドーナン)。イギリス政府とチェコ亡命政権がハイドリヒ暗殺(エンスラポイド作戦─原題)を決め、2人はパラシュートでプラハ近郊の森に降下する。怪我したところを農夫に助けられた2人だが、密告しようとしたこの農夫をヨゼフが殺す。経験の浅いヤンは手が震えて引き金を引けない。ナチスは密告者に報酬を約束していた。国内にレジスタンスがいる一方、密告者もいる実状を冒頭で描き出す。
2人はプラハでレジスタンス側の一家に匿われる。何も知らない夫とレジスタンス側の妻、娘のマリー(シャルロット・ルボン)、バイオリニストを志す息子、伯母が一緒に住む。このあたりの家族構成や、ヤンとマリーが愛し合うようになることは、『死刑執行人もまた死す』の設定を借りているのかもしれない。国内のレジスタンスと送り込まれたヨゼフらの会合では、「もし暗殺を実行すれば、すさまじい報復を受けることになる」と亡命政権の指令に疑問をはさむ幹部もいる(実際そのようになり、ナチスは報復として1万3000人のチェコ人を殺害した)。
暗殺シーンは史実通りなのかどうか。メルセデスのオープンカーに乗るハイドリヒに向けたヨゼフの機関銃が故障し、ヤンが投じた爆弾でハイドリヒが負傷。暗殺に失敗するが、ハイドリヒは1週間後に死亡して、結果として作戦は成功する。非常事態のなかで犯人の捜索。市民から人質が取られ(一家の夫も)、犯人が発見されるまで毎日数人が処刑される。抵抗組織の会合では、市民が殺されるのに苦悩するヨゼフが自ら名乗り出ると提案するが、否決される。2人を匿った一家の息子は拷問を受ける。レジスタンスの協力者のなかから密告者が出る。このあたりのリアリズムは史実なのかどうか知らないけど、レジスタンス映画の傑作『影の軍隊』を思い出させる。
グループは正教会の地下に潜む。密告からドイツ軍が包囲し、銃撃戦になる。7人全員が射殺、あるいは用意した青酸カリで自殺。作戦には成功したものの大きな犠牲を出し、映画は救いのないかたちで終わる。
でもロンドンのチェコ亡命政権はこの犠牲を必要としていた。事件の3年前、英仏独伊が合意したミュンヘン協定でチェコはドイツ領に編入されて保護領となり、チェコは消滅した。チェコは英仏など連合国になかば見捨てられたかたちだった。だから亡命政権としては、どんな犠牲を払ってでもナチス幹部であり「ユダヤ人絶滅」を指揮したハイドリヒを暗殺してみせる必要があった。事実、この暗殺の成功をチャーチルは喜び、それが戦後のチェコスロバキア復活につながった。映画の主人公たちと殺されたチェコ市民は、歴史的に見ればそのための捨て石だった。
戦争と政治の非情、そのなかで運命に殉じる男たち女たちを、緊迫したサスペンスとアクションで描き出した力作。手持ちの16ミリカメラ、デジタルではなくフィルムで撮影され、荒い粒子と沈んだ色彩が戦中のプラハの街と空気を再現している。監督はショーン・エリス。
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