『夜明けの祈り』 信仰と命と
ポーランド映画、あるいはポーランドを舞台にした映画というと、つい見たくなってしまう(本作は仏・ポーランド・ベルギー合作)。若い頃、ポーランド映画に入れ込んだ記憶が今もうずくからだろうか。『灰とダイヤモンド』『夜の終りに』『尼僧ヨアンナ』『パサジェルカ』『水の中のナイフ』といった映画は青春時代の鮮烈な映画体験として残っていて、仮に生涯の10本を選ぶとすればどれを落とすか迷いに迷うだろう。
『夜明けの祈り(原題:Les Innocentes)』は修道院の物語と知って、すぐに『尼僧ヨアンナ』を思い出した。悪魔に憑かれ悦楽に身を委ねる尼僧と彼女を救おうとする青年僧を主人公にしたこの作品は、善悪正邪がはっきりしない、カトリック国で社会主義国だった当時のポーランドでは異色の映画だった。荒野に建つ石造の修道院を舞台にし、光と影のシンプルな構図のモノクローム画面が記憶に残っている。
『夜明けの祈り』の冒頭を見て、ああ、まぎれもなくポーランドの風景だなと思った(って映画の記憶で、行ったことはないんですが)。夜明けの祈りのあと、若い尼僧が修道院を抜け出して雪の舞う森を歩く。シンプルな構図も、色彩に乏しくモノクロームに近い画面も、音楽が入らない静謐さも、かつてのポーランド映画の空気に似ている。バルト海に近い北ポーランドの平原地帯で撮影されている。
1945年、第二次大戦末期。若い尼僧は町に来て、駐留するフランス赤十字に助けを求める。女医のマチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)が一緒に赴くと、修道院にはソ連兵に暴行され妊娠した7人の修道女がいた。事実に基づいた物語だそうだ。
厳格な修道院長は何が起こったかを隠そうとする。身ごもった修道女たちは、その事実と信仰を両立させることができず苦悩する。当初、修道女たちは他人に肌を見せるのは罪と考え診察を拒むが、マチルドはシスターのマリア(アガタ・ブゼク)の協力を得て夜、赤十字を抜け出しては診察をつづける(途中でソ連兵に乱暴されそうになったりしながら)。やがて、出産が始まる。
出産したばかりの我が子と添い寝する修道女の顔はすでに「母」になっている。修道院長は養子に出すと言って赤ん坊を抱いて修道院を出るが、後でマリアが訪ねると子どもはいない……。
マチルドが同僚の医師と酒を飲んだり、ダンスを踊ったり「世俗」のシーンではカメラが手持ちになったり、よく動き、修道院のシーンになると端正な構図の静止画になる。音楽も修道院の教会音楽と酒場のダンス音楽が対照的。
僕にはキリスト教がよく分からない。だからこういう映画の深刻な意味を受け取れていないかもしれない。近代になってからのラテン系カトリックはかなりゆるい宗教というイメージがあるが、北ヨーロッパの修道院にはまだ中世の厳格なカトリックの戒律が残っているのだろう。修道女の妊娠も出産も、あってはならないこと。突然襲った暴力に、修道女たちは祈る以外の対処法をもたない。そこにマチルドが、まず無垢な命(Les Innocentes)を救うという医師の倫理で対処することで、事態が動きだす。
最後、マチルドが修道院から赤十字へトラックで戻る途中、世俗に戻ることを決心して院を出た元修道女が歩いているのを乗せる。彼女はマチルドに「タバコくれない?」とねだって印象的な笑顔を見せる。
良い映画だった。ただヒューマニズムにのっとったこの作品、悪魔が青年僧を破滅させる『尼僧ヨアンナ』のように何十年も記憶に残るかというと、うーん、どうだろう。監督はフランスのアンヌ・フォンテーヌ。
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