« July 2017 | Main | September 2017 »

August 31, 2017

福島でJアラートに遭遇

1708311w

福島県の裏磐梯・五色温泉に滞在していた8月29日朝6時すぎ、スマホがいきなり大音量で鳴りだした。なにごとかと思って見るとJアラートというやつで、「北朝鮮がミサイルを発射した模様。頑丈な建物や地下に避難してください」というもの。屋外の防災無線も同じことを放送しはじめた。ミサイルといっても日本に狙いを定めて撃ったわけではあるまいと思ってTVをつけると、「上空を通過した」との画面。まだ眠かったので、もうひと眠りしようと寝てしまった。滞在していたホテルの廊下も屋外も、しんと静まりかえったまま。人があわてている様子はない。

2時間ほどして起きTVをつけたら、「避難指示」が出た北海道や東北の街が映っていた。朝早かったこともあり、人々が避難している様子はなかった。「発射」から「上空通過」まで十分ちょっとだから、「頑丈な建物に避難」と言われても動きようがなかったというのが正直なところだろう。でもJRは東北・秋田新幹線を含めて北海道・東北の全線をストップさせ、学校を休校にしたところもあった。政府と公共部門が前のめりで、国民はどうしたらいいか戸惑っている。

そもそも、ミサイルが日本を標的にして発射されたのか、太平洋上のどこかを標的にして日本の上空を通過するのかは、まったく意味合いが違う。前者なら「避難指示」は当然のことだけど、後者なら、今回北海道・東北の一千万人以上に「避難指示」が出たわけだが、政府は本気で避難させようとしたのか。そうは思えない。

政府は北朝鮮のミサイル発射を「完全に把握」していたそうだし(首相も前夜から珍しく公邸に泊まっていた)、防衛相もすぐに「上空通過」と判断した。現在、日本と北朝鮮の間に対立や緊張があるにしても、明日にでも戦争が始まるという緊迫した状態ではまったくない。現在の情勢で北朝鮮が実際に日本を標的にミサイルを発射することがないのは政府は百も承知だろう(日本が集団的自衛権を発動してグアム標的のミサイルを攻撃しない限り)。「攻撃」ではなく「上空通過」なら、ありうるのはミサイルが不具合を起こして日本の領土に落ちてくる可能性。(その可能性は論理的にはありえても、現実にはどうか。ミサイルの故障は打ち上げ直後と大気圏突入時に多い。「上空通過」しているミサイルが日本の領土に落ちる可能性は天文学的とまでは言わなくても、ほとんどないはずだ。──カッコ内の文章は後で追加)そんな不測の事態に対して、実態として自衛隊が対処できないのは多くの人が認めている。

そう考えてみると、ミサイルを口実にJアラートを発動し、国民の危機感をあおる、というのが政府の目論見なんだろう。安倍政権が考えそうなことではある。北朝鮮は今後も太平洋にミサイルを飛ばすと公言しているようだけど、仮に関東や関西の大都市圏上空を飛ぶことになっても政府はJアラートを出すつもりなんだろうか。金正恩の危険なゲームは許されないけど、それを利用して危機感をあおろうとするこの国の政府も危ないことをやろうとしている。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 27, 2017

『ベイビー・ドライバー』 車とダイナーと美少女

Baby_driver
Baby Driver(viewing film)

冒頭の5分間に目をみはった。大音量のパンク・ロックが流れている。真っ赤なスバルの運転席に座るベイビー(アンセル・エルゴート)が音楽に合わせて身体や唇や指先を動かす。ギアを入れたり、アクセルを踏む動作も音楽のリズムに乗っている。銀行強盗を働いた仲間が車に走りこんでベイビーが車を急発進させ、ドリフトし、スピンターンし、高速道路を縫うように逃走する。その動きもセリフのタイミングもすべてリズムに乗っている。それだけではない。カットとカットのつなぎも、音楽のリズムと同期している。まず音楽があり、すべてが音とリズムに合わせてつくられている。

これが全編つづいたらすごいと思ったら、さすがにそこまではいかない。物語を動かさなければいけないから説明的な会話も入るわけだし。とはいえ、カーチェイスの場面になると音楽と画面がシンクロすることは変らない。ほとんどの画面に音楽が鳴っている。

ベイビーは幼い頃の事故で耳鳴りがし、音楽を聞くと耳鳴りが消えるのだ。すると、天才的なドライブ・テクニックが発揮される。強盗団のボス、ドク(ケビン・スペイシー)に雇われ、逃走車のドライバーとして分け前をもらっている。仲間は強面のバッツ(ジェイミー・フォックス)、バディ(ジョン・ハム)とその愛人。

音楽はほとんど知らない曲ばかりだった。1960年代くらいからのソウル、ロック、パンク、ダンス・ミュージックなど。聞いたことがあるような音が数曲あり、調べてみるとビーチ・ボーイズ、デイブ・ブルーベック、T・レックス、サイモン&ガーファンクル(タイトルの「ベイビー・ドライバー」は彼らの曲)だった。時代もジャンルもさまざまで、どの世代が見ても、ああ、これ知ってるなと感ずる曲があるだろう。それも計算のうちか。

ベイビーの耳鳴りは、両親が運転中に事故死したとき、同乗して衝突の瞬間を目撃したトラウマによるらしい。母親への思慕が、バッツやバディからは「ベイビー」と呼ばれるキャラクターをつくっている。子どものように押し黙り、打ち解けようとしない。そんなベイビーが、母親が働いていたダイナーでウェイトレスのデボラ(リリー・ジェームズ)に出会う。デボラに若かった母の面影が重なる。

監督のエドガー・ライトはイギリス出身の若手。映画フリークらしく、過去のいろんな映画の記憶が感じ取れる。ギャングのお抱え逃走運転手という設定が『ザ・ドライバー』を受けていることは言うまでもない。ほかにも、ダイナーと車と美少女、1950年代ふうファッションは『アメリカン・グラフィティ』、バディとベイビーが仲間割れして車同士ぶつかりあうシーンは、銃を車におきかえた『レザボア・ドッグズ』といった気配だ。ベイビーとデボラが車で逃げるのは『俺たちに明日はない』だし(通行人が2人を見て「ボニーとクライドか」と叫ぶ)、最後は『バニシング・ポイント』のシチュエーションになる(スバル、トヨタ、三菱と日本車が出てくるけど、最後はやっぱりシボレーでした)。

もっとも、バニシング・ポイントと思った観客は肩透かしをくらって、ベイビーは投降してしまう。1970年代ニュー・シネマとは違い、ベイビーは良い子なんだ。ラストは50年代ふうの車とデボラに迎えられてハッピーエンド。その、しれっとしたあたりが今どきなのかも。楽しめました。

| | Comments (2) | TrackBack (7)

August 26, 2017

『夜明けの祈り』 信仰と命と

Innocentes
Les Innocentes(viewing film)

ポーランド映画、あるいはポーランドを舞台にした映画というと、つい見たくなってしまう(本作は仏・ポーランド・ベルギー合作)。若い頃、ポーランド映画に入れ込んだ記憶が今もうずくからだろうか。『灰とダイヤモンド』『夜の終りに』『尼僧ヨアンナ』『パサジェルカ』『水の中のナイフ』といった映画は青春時代の鮮烈な映画体験として残っていて、仮に生涯の10本を選ぶとすればどれを落とすか迷いに迷うだろう。

『夜明けの祈り(原題:Les Innocentes)』は修道院の物語と知って、すぐに『尼僧ヨアンナ』を思い出した。悪魔に憑かれ悦楽に身を委ねる尼僧と彼女を救おうとする青年僧を主人公にしたこの作品は、善悪正邪がはっきりしない、カトリック国で社会主義国だった当時のポーランドでは異色の映画だった。荒野に建つ石造の修道院を舞台にし、光と影のシンプルな構図のモノクローム画面が記憶に残っている。

『夜明けの祈り』の冒頭を見て、ああ、まぎれもなくポーランドの風景だなと思った(って映画の記憶で、行ったことはないんですが)。夜明けの祈りのあと、若い尼僧が修道院を抜け出して雪の舞う森を歩く。シンプルな構図も、色彩に乏しくモノクロームに近い画面も、音楽が入らない静謐さも、かつてのポーランド映画の空気に似ている。バルト海に近い北ポーランドの平原地帯で撮影されている。

1945年、第二次大戦末期。若い尼僧は町に来て、駐留するフランス赤十字に助けを求める。女医のマチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)が一緒に赴くと、修道院にはソ連兵に暴行され妊娠した7人の修道女がいた。事実に基づいた物語だそうだ。

厳格な修道院長は何が起こったかを隠そうとする。身ごもった修道女たちは、その事実と信仰を両立させることができず苦悩する。当初、修道女たちは他人に肌を見せるのは罪と考え診察を拒むが、マチルドはシスターのマリア(アガタ・ブゼク)の協力を得て夜、赤十字を抜け出しては診察をつづける(途中でソ連兵に乱暴されそうになったりしながら)。やがて、出産が始まる。

出産したばかりの我が子と添い寝する修道女の顔はすでに「母」になっている。修道院長は養子に出すと言って赤ん坊を抱いて修道院を出るが、後でマリアが訪ねると子どもはいない……。

マチルドが同僚の医師と酒を飲んだり、ダンスを踊ったり「世俗」のシーンではカメラが手持ちになったり、よく動き、修道院のシーンになると端正な構図の静止画になる。音楽も修道院の教会音楽と酒場のダンス音楽が対照的。

僕にはキリスト教がよく分からない。だからこういう映画の深刻な意味を受け取れていないかもしれない。近代になってからのラテン系カトリックはかなりゆるい宗教というイメージがあるが、北ヨーロッパの修道院にはまだ中世の厳格なカトリックの戒律が残っているのだろう。修道女の妊娠も出産も、あってはならないこと。突然襲った暴力に、修道女たちは祈る以外の対処法をもたない。そこにマチルドが、まず無垢な命(Les Innocentes)を救うという医師の倫理で対処することで、事態が動きだす。

最後、マチルドが修道院から赤十字へトラックで戻る途中、世俗に戻ることを決心して院を出た元修道女が歩いているのを乗せる。彼女はマチルドに「タバコくれない?」とねだって印象的な笑顔を見せる。

良い映画だった。ただヒューマニズムにのっとったこの作品、悪魔が青年僧を破滅させる『尼僧ヨアンナ』のように何十年も記憶に残るかというと、うーん、どうだろう。監督はフランスのアンヌ・フォンテーヌ。


| | Comments (0) | TrackBack (1)

August 21, 2017

『ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦』 政治の非情

Anthropoid
Anthropoid(viewing film)

ナチス親衛隊のハイドリヒ暗殺がテーマと聞けば、どうしても古典である『死刑執行人もまた死す』を思い出してしまう。

このハリウッド映画は、ナチス・ドイツからアメリカに亡命したユダヤ系のフリッツ・ラング監督によってつくられた。ハイドリヒ暗殺直後から物語が始まり、暗殺犯と彼をかくまう大学教授一家、暗殺犯と教授の娘の偽装恋愛などが絡み、犠牲を払いながらも主人公の暗殺犯は無事生きのびる。プラハ市民が団結してナチス協力者を暗殺犯に仕立て上げるこの映画は、劣勢になりつつあったとはいえナチス・ドイツがヨーロッパを席巻していた1943年につくられた。史実とは別の、光と影の映像が美しい良質なプロパガンダ映画(『カサブランカ』のような)といった趣だった。

『ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦(原題:Anthropoid)』は史実に沿って、イギリスで訓練を受けた7人のグループがプラハに送り込まれ、暗殺を決行し、密告されグループが壊滅するまでを描く。前半はサスペンス、最後の30分はすさまじい銃撃シーンで、初めから終わりまで息もつかせない。ナチスに抵抗した地下組織を描く「レジスタンス映画」は第二次大戦後、フランスはじめ各国でつくられたが、第二次世界大戦から半世紀以上たって今なおこのジャンルの映画がつくられるのは、ハイドリヒの暗殺とナチスへの抵抗がチェコ人にとっては戦後のチェコスロバキア建国につながる歴史的事件だったからだろう(チェコ・英・仏合作)。

主人公は暗殺を実行するヨゼフ(キリアン・マーフィー)とヤン(ジェイミー・ドーナン)。イギリス政府とチェコ亡命政権がハイドリヒ暗殺(エンスラポイド作戦─原題)を決め、2人はパラシュートでプラハ近郊の森に降下する。怪我したところを農夫に助けられた2人だが、密告しようとしたこの農夫をヨゼフが殺す。経験の浅いヤンは手が震えて引き金を引けない。ナチスは密告者に報酬を約束していた。国内にレジスタンスがいる一方、密告者もいる実状を冒頭で描き出す。

2人はプラハでレジスタンス側の一家に匿われる。何も知らない夫とレジスタンス側の妻、娘のマリー(シャルロット・ルボン)、バイオリニストを志す息子、伯母が一緒に住む。このあたりの家族構成や、ヤンとマリーが愛し合うようになることは、『死刑執行人もまた死す』の設定を借りているのかもしれない。国内のレジスタンスと送り込まれたヨゼフらの会合では、「もし暗殺を実行すれば、すさまじい報復を受けることになる」と亡命政権の指令に疑問をはさむ幹部もいる(実際そのようになり、ナチスは報復として1万3000人のチェコ人を殺害した)。

暗殺シーンは史実通りなのかどうか。メルセデスのオープンカーに乗るハイドリヒに向けたヨゼフの機関銃が故障し、ヤンが投じた爆弾でハイドリヒが負傷。暗殺に失敗するが、ハイドリヒは1週間後に死亡して、結果として作戦は成功する。非常事態のなかで犯人の捜索。市民から人質が取られ(一家の夫も)、犯人が発見されるまで毎日数人が処刑される。抵抗組織の会合では、市民が殺されるのに苦悩するヨゼフが自ら名乗り出ると提案するが、否決される。2人を匿った一家の息子は拷問を受ける。レジスタンスの協力者のなかから密告者が出る。このあたりのリアリズムは史実なのかどうか知らないけど、レジスタンス映画の傑作『影の軍隊』を思い出させる。

グループは正教会の地下に潜む。密告からドイツ軍が包囲し、銃撃戦になる。7人全員が射殺、あるいは用意した青酸カリで自殺。作戦には成功したものの大きな犠牲を出し、映画は救いのないかたちで終わる。

でもロンドンのチェコ亡命政権はこの犠牲を必要としていた。事件の3年前、英仏独伊が合意したミュンヘン協定でチェコはドイツ領に編入されて保護領となり、チェコは消滅した。チェコは英仏など連合国になかば見捨てられたかたちだった。だから亡命政権としては、どんな犠牲を払ってでもナチス幹部であり「ユダヤ人絶滅」を指揮したハイドリヒを暗殺してみせる必要があった。事実、この暗殺の成功をチャーチルは喜び、それが戦後のチェコスロバキア復活につながった。映画の主人公たちと殺されたチェコ市民は、歴史的に見ればそのための捨て石だった。

戦争と政治の非情、そのなかで運命に殉じる男たち女たちを、緊迫したサスペンスとアクションで描き出した力作。手持ちの16ミリカメラ、デジタルではなくフィルムで撮影され、荒い粒子と沈んだ色彩が戦中のプラハの街と空気を再現している。監督はショーン・エリス。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ブレイディみかこ『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』を読む

Hanano_brady

ブレイディみかこ『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(ちくま文庫)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 14, 2017

『ダイ・ビューティフル』 生の肯定と色の氾濫

Diebeautiful3
Die Beautiful(viewing film)

夏から秋にかけて、フィリピン映画が3本たてつづけに公開される。こんなこと初めてじゃないかな。いま公開中の『ローサは密告された』(8月7日ブログ参照)、10月に公開される『立ち去った女』、そしてこの『ダイ・ビューティフル(原題:Die Beautiful)』。『ローサ』はドキュメント・タッチのリアリズム、『立ち去った女』は評判によるとアート系、『ダイ・ビューティフル』はエンタテインメント色のある正統派とバラエティーも豊か。各国の映画祭で注目されているのも納得できる。

この映画のヒーロー(ヒロイン)は性同一障害のパトリック(パオロ・バレステロス)。障害を自覚した高校時代から、トリシャと名を変え女性として生き、早すぎる死を迎えるまでを、時を自在に行き来しながら描く。ジュン・ロブレス・ラナ監督の円熟した物語の才に驚く。

高校以来の性同一障害同士の友人(恋人)としてトリシャとともに生きるのがバーブ(クリスチャン・ハブレス)。この男優2人の異性装がとにかく美しい。映画が始まってすぐ、ゲイのミスコンテストに念願かなって優勝したトリシャが突然死してしまう。2人はメイクアップで生計を立てていたが、美しく死にたいというトリシャの遺言でバーブは葬式までの7日間、日替わりでトリシャの遺体にメイクをほどこす。アンジェリーナ・ジョリーだったり、ビヨンセだったり、ジュリア・ロバーツだったり。なかでもアンジェリーナ・ジョリーは絶品。

葬儀の1週間が進行するのに並行して、過去が回想される。ゲイであることを隠さずバーブと組む高校時代。憧れのバスケット部員と仲間に犯される体験。家の体面を汚すと怒る父親との対立、家を出る決断。トリシャと名前を変え、バーブとともに各地のゲイ・コンテストで金を稼ぐドサ回りの日々。乳房をつくる手術を受け、養女をもらって「母」になる。

画面にはさまざまな色が氾濫している。クローズアップされるメイク道具のパレットやリップスティック。女になったトリシャのピンク壁の部屋。ミスコンテストに着る金銀ラメの光る衣装。トリシャの棺を囲む色とりどりの花(造花?)。ドサ回りで訪れる町の市場や店の色彩。はじめから終わりまで、きらびやかでチープな色で満たされ、それがこの映画の基調になっている。

『ローサは密告された』のブリランテ・メンドーサ監督の映画はマニラの歓楽街やスラムを舞台に、色彩も沈んだトーンで統一されているけれど、この映画の色彩はトリシャとバーブの迷いのない生き方を反映して全体に明るい。監督と美術、キャメラマンの緻密な設計によるものだろう。

ストーリーは定番である「コンテストもの」のヴァリエーションだけど、その枠組みを借りて、トランスジェンダーとして生きた一人の男の生と性を力強く肯定してみせたところに真骨頂がある。

| | Comments (2) | TrackBack (3)

August 07, 2017

『ローサは密告された』 フィリピン映画に圧倒される

Ma_rosa
Ma'Rosa(viewing film)

いま、フィリピン映画が熱い。カンヌやヴェネツィア、ベルリンといった主要な映画祭で次々に賞を取っている。そのトップランナーが『ローサは密告された(原題:Ma'Rosa)』のブリランテ・メンドーサ監督。『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』(2009)と『囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件』(2012)の2本を見たが、ドキュメンタリー的な手法でフィリピンが抱える問題を描き出す。社会派っぽい素材だけれど、骨太な人間ドラマだと思う。

この映画の舞台はマニラのスラム。ばら売りの雑貨屋を営むローサ(ジャクリン・ホセ)は、乏しい収入を補うため「アイス」と呼ばれる覚醒剤も売っている。亭主のネストール(フリオ・ディアス)はその覚醒剤にはまり、店はローサが切りまわす。2人の息子と2人の娘がいる。ある晩、警察がやってきてローサ夫妻は逮捕される。正式な逮捕ではなく、警察署内の別の部屋に連れ込まれ、20万ペソ(約44万円)で見逃してやると言われるのだが……。

照明なし、手持ちカメラの撮影が圧倒的だ。大部分が夜の撮影だけど、デジタルカメラを駆使して現場の灯りだけで撮影されている。登場人物とともに激しく雨の降るスラムを歩き回り、室内は電灯だったり蛍光灯だったりで画面の色合いが変わり、十分な明るさがないので被写界深度が浅く、ピントが手前から奥に移動したり、車のなかでも人物の顔にクローズアップしたり、まるきりドキュメンタリーを見ているリアルさだ。

夫妻に20万ペソもの金はなく、覚醒剤の売人を警察に売る。売人も別室に連れ込まれて金を求められるが、別の警官に連絡しようとして暴行される。その脇では警官たちが酒盛りをしている。ローサの子供たちがやってきて、金策に走り回る。スラムの不良グループの一員らしい長男はテレビを売ろうとする。次男はゲイの知り合いに自分の身体を売って金をつくる。長女は、不仲の親戚に行って罵言を浴びながら、わずかな金を借りる。

ローサを密告したのは、長男の弟分のチンピラだった。弟分は、逮捕された家族を見逃してもらうためにローサを売った。ローサは売人を売る。一方、ローサを逮捕した警官は没収した現金の一部を警察署長に上納する。正規の手続きなしで逮捕し金を要求する警官の腐敗もまた常態化しているのだ。スラムと地域の警察を舞台に、麻薬を巡る非正規逮捕─金の要求─密告の連鎖。末端の警官もまたわずかな給料(日本円で月給2~3万らしい)で、スラムの住民から金を巻き上げている。そのやりきれなさを、手持ちカメラはぶっきらぼうに、思い入れなしで映しだしてゆく。

最後、金策のために警察を出ることを許されたローサが、金のメドもつき、スラムの屋台で魚すり身の揚げ団子をほおばる。クローズアップされた無表情の陰に、生きる意志がみなぎる。

主演のジャクリン・ホセは今年のカンヌ映画祭で主演女優賞を得た。


| | Comments (2) | TrackBack (2)

« July 2017 | Main | September 2017 »