『彼女の人生は間違いじゃない』 福島と渋谷の間
『不貞の季節』(2000)から一昨年の『さよなら歌舞伎町』『娚の一生』まで、廣木隆一監督のミニシアター系の映画はだいたい見てきた。今この国で好きな映画監督は? と聞かれれば、真っ先に名前を挙げる監督のひとりでもある。でも今度の新作は、見るのにちょっとためらいがあった。
というのは『彼女の人生は間違いじゃない』というタイトルが、なんだか廣木監督らしくないなあと感じていたから。もっとも、これが廣木監督自身の小説を原作としていること、福島県郡山出身の廣木が東日本大震災と原発事故を素材にした小説であることは情報として知っていた。
にしても、主人公の存在に対する価値判断をあらかじめ読者や観客に明らかにしてしまう、それも断定口調で同意を強いてくるようなニュアンスが、この監督にふさわしくないと思ったから。廣木監督の映画(ミニシアター系)は、いつも善悪正邪の単純な価値判断をしにくい人物ばかりを描いてきたのではなかったか。今回は自らの故郷を舞台にしたことで、ちょっとつんのめっているんじゃないかな。
そんなふうに身構えていたせいか、始まってしばらく映画に入りきれなかった。ちょっとした説明的なセリフに引っかかったり、東京スカイツリーや渋谷駅といった分かりやすい東京の象徴が繰り返し出てくるのが気になったり。でも主人公のみゆき(瀧内公美)がデリヘルとして派遣されたホテルでトラブルになり、三浦(高良健吾)が助けに入るあたりから、いつもの廣木映画のリズムに入りこめるようになった。
みゆきは福島の海岸沿いの町で仮設住宅に住み、市役所に勤務している。母は津波で流され行方不明、父(光石研)は農地が放射能汚染されて耕作できず、補償金を毎日パチンコにつぎこんでいる。週末には、父に英会話教室に通うと嘘をついて東京へ行き、デリヘルのバイトをしている。
映画は福島でのみゆきの生活と東京でのデリヘル嬢の日々、そして高速バスでの往復を淡々と描写してゆく。みゆきはなぜデリヘル嬢になったのか。映画のなかでは、まったく説明されない。彼女は市役所勤務だし、補償金もあるし、少なくとも経済的理由からではない。
ただ終盤の回想で、デリヘル嬢を志願してきたみゆきと三浦とが会話をかわすシーンがある。切羽詰まった目をしたみゆきが、「デリヘルやりたいんです」と言うと、三浦が「お前にはやれないよ」と告げる。押し問答したあげく、みゆきは三浦の前で裸になってみせ自分の決意を伝える。このシーンが伝えるのは、みゆきは自分でもよく分からない衝動に突きあげられている、ということだろうか。両親に愛され、市役所職員として堅実に働いてきたそれまでの自分を破壊するものか、解放するものか。それはみゆきだけでなく、監督にも、見ている観客にもよく分からない。ただその切実さだけが伝わってくる。
最後に近くなって、みゆきの周囲ではいくつかの変化が起きている。三浦はデリヘルのマネジャーをやめ、本業の役者に戻って舞台に出る。父は出荷の見通しが立たないままではあるが、畑の雑草を狩りはじめる。東京駅のトイレでいつも会うデリヘル嬢は、みゆきに「交通費かかるから一緒に東京で住まない?」と誘いかけるが、みゆきは答えない。みゆきは、これからどうするのか。答えの出ないまま映画は終わる。
そういうみゆきのすべてをひっくるめて、監督は「彼女の人生は間違いじゃない」と言う。とはいえ、やっぱりこのタイトルはそぐわない、観客の想像力に任せても同じ答えが出るにちがいない、それだけの力を持った映画だと思った。
いつもながら廣木監督は女優を美しく撮る。バスの座席からぼんやり窓の外を眺めるみゆき。ホテルのバスでお湯に顔を浸し目を開けるみゆき。デリヘルを志願して三浦に訴えるみゆき。瀧内公美の、いくつものはっとさせるショットがある。だからこそ、いろんな女優を使ったメジャーな映画のオファーが次々にあるんだろう。
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