June 28, 2017
June 26, 2017
『セールスマン』 増幅される不安
家族──それがアスガー・ファルハディ監督の映画を一貫している主題だ。
『彼女の消えた浜辺』から『別離』『ある過去の行方』、そして『セールスマン(英題:The Salesman)』まで、それは変わらない。近代化とイスラム教がぶつかりあうイラン社会のなかに生きるさまざまな家族。なんらかの問題をきっかけに、彼らが引きずり込まれる心理的葛藤を、ミステリー的な手法で映画にしてきた。その問題とは、男と女の性的な問題であることが多い。日本社会にいると気がつかないけど、性的な問題に厳しい戒律のあるイスラム社会では挑戦的な映画づくりだと思う。
主人公は都会に住むインテリ夫婦。夫のエマッド(シャハブ・ホセイニ)は高校教師で劇団に所属する俳優。妻のラナ(タラネ・アリドゥスティ)も女優で、2人でアーサー・ミラーの「セールスマンの死」に主演している。舞台初日の夜、ラナは自宅のアパートでシャワーを浴びているとき何者かに襲われる。
冒頭から、2人を襲う不安を予感させる出来事がつづく。2人が住んでいたアパートが隣の建設工事で傾き、住民は我先に外へと逃げる。壁とガラス窓に亀裂が入る。劇団仲間から新しいアパートを紹介されるが、鍵のかかった一室には前の住人の荷物や派手な女ものの靴が残されている。事件が起きて、前の住人は娼婦で、男たちが部屋を訪れていたことを2人は知ることになる。ラナを襲ったのは、前の住人の客だったのか。
エマッドは警察に届けようと言うが、ラナはそれを拒否する。このあたりから、夫婦の間に細かい亀裂が入りはじめる。エマッドは自力で犯人を突き止めようと動き出す。部屋には、犯人が置いていったらしい札が残されていた。そのとき何が起こったのかは、怪我をしたラナは気を失って覚えていないと言う。エマッドは疑心暗鬼におちいる。観客にも、もちろん分からない。女性の肌の露出を嫌うイスラム社会では、妻の裸を見られたというだけでも夫にとっては大きな侮辱だろう。
現実の出来事と並行して、「セールスマンの死」の舞台稽古から本番が進行している。時代から取り残された夫婦の物語。シャワーを浴びた女がバスタオルで登場する場面で、役者は真紅の分厚いコートを着ている。イランではバスタオルでの登場は許されないのだろう。そういえばイラン映画はセミヌードも性的な場面も見た記憶がない。「裸なのにコート着てる」と稽古している役者が笑う。
赤は「禁止」を意味する色。この場面での赤いコートは、演出家の抵抗の意思表示なのかもしれない。それに対応するのかどうか、日常生活でのラナも真紅のヘジャブを着用している。こちらの赤は、ラナが性的な視線の対象にされたとことの比喩か。どちらも印象的な赤。
意外な犯人がわかったときの2人の表情もまた複雑だ。夫のエマッドは、インテリらしく極めて抑制された怒りを示す。被害者であるラナは、悲し気に事態を見守るだけ。夫婦の間の亀裂は、犯人が分かってもなお修復されないように見える。わかりやすい起承転結でなく、これからこの2人はどうなるのかと観客も不安させて終わる。
ファルハディ監督は、かつてモフセン・マフマルバフ監督が亡命せざるをえなかったことに抗議して、イラン政府から映画製作を禁止された経歴を持つ。アカデミー外国映画賞を受賞した今回は、トランプ政権の反イスラムの姿勢に抗議してタラネ・アリドゥスティとともに受賞式をボイコットした。芯の通った映画監督だ。
June 25, 2017
June 24, 2017
June 22, 2017
June 18, 2017
『僕たちの本棚 ブック・ナビ 2001-2016』を刊行しました
友人2人とやっている書評サイト「ブック・ナビ」を単行本にまとめました。16年間で360本以上の書評のなかから約100本を選んだものです。新刊を毎月1冊、勝手に選んで勝手に書いているだけなので、好奇心のおもむくまま、取り上げた本はあきれるほど幅広いというか、ばらばらというか。580ページの分厚い一冊になってしまいました。章タイトルを書き写すと、
ジャズを聞いたり映画を見たり
古代に旅し、昭和の戦争を考える
言葉が豊かにしてくれる、この世界
右手に世界地図、左手にグラス
小説の快楽に溺れて
僕たちの社会、昨日と今日
21世紀初頭に世界で何が起こり、どんな本が出て、団塊世代がそれにどう反応し、どう読んだか。そんなことのささやかな記録になるのではないかと考えました。
カバーには友人の写真家・平地勲さんが素敵な写真を提供してくれました。やはり友人のデザイナー・神田昇和さんが銀の箔押しで洒落た装幀をしてくれました。中味はともかく、外側は間違いなく一級品です。ちなみに本文組みは小生がイン・デザインという組版ソフトを勉強して半年がかりで仕上げました。
仕様 四六判上製 576ページ
発行所 ブック・ナビ
価格 2,000円(含送料、本体1,800円)
興味をお持ちの方はメールでご連絡いただければ幸いです。
pea01052@nifty.com
June 05, 2017
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 微妙な距離感
Manchester by the Sea(viewing film)
『マンチェスター・バイ・ザ・シー(原題:Manchester by the Sea)』を見始めてすぐ、あ、この風景は見覚えがあると思った。ニューヨークからボストン行の鉄道アムトラックに乗ると、列車はロングアイランド湾に沿った海辺を走る。小高い丘と緑の平地、入り組んだ海岸線に沿って点々と小さな町が見えてくる。典型的なアメリカンスタイルの住宅。入江にはたくさんのボートやヨットが係留されている。映画の風景そのもの。
マンチェスター・バイ・ザ・シー(これ、町の名前)はマサチューセッツ州ボストンの北40キロの海岸にあり、僕が見たロングアイランド湾沿いの町々とは少し離れている。でも町の構造は同じだろうと思う。一言で言えば中流白人の町。
ウィキペディアによれば、マンチェスター・バイ・ザ・シーはアン岬の突端にあり、風光明媚でボストン富裕層の別荘地として発展した。人口は5000人で、その98%が白人。貧困ライン以下の人間は5%。エドワード・ホッパーの絵のような白い灯台も出てくる。いわばホッパーの絵の登場人物が動き出したのがこの映画ということになるかも。
リー(ケイシー・アフレック)はボストン郊外でアパートの便利屋として働いている。自分の殻に閉じこもり、住民となじもうとしない。兄危篤の知らせを受け故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻るが、兄は亡くなっていた。遺言によってリーは兄の子供で16歳のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人になる。リーはパトリックと兄の家で暮らし始めるが、彼には忘れられない過去があり、ことあるごとにその記憶に苛まれる。
冬の港町。延々と流れる「アルビノーニのアダージョ」。ずいぶん古風な映画だなあと思う。リーが弁護士事務所で思いまどって外を見る。視線に沿って、雪に閉ざされた庭のショットが挿入される。今どきそんなクラシックなモンタージュをする映画は少ない。でもそんなふうに丁寧な映像を積み重ねつつ、リーの過去が少しずつ明らかになってゆく。
リーは甥のパトリックが子供のころから面倒を見てきて、パトリックも叔父を慕っている。でも、一緒に暮らし始めると2人の間に小さな齟齬が起こる。パトリックは、父の遺体を埋葬できる雪解けまで冷凍しておくことに反対し、それがトラウマ化したのか、冷凍庫の冷凍肉を見て嘔吐しそうになる。父のボートを売ることにも反対する一方、バンドを組み、2人のガールフレンドを二股にかける。思春期の甥と、心の傷を乗り越えられない叔父。
元妻でリーの知り合いと再婚したランディ(ミシェル・ウィリアムズ)とも再会し、きまずい会話をかわす。でも元夫婦の男と女の関係はあくまでサイドストーリー。本筋はリーとパトリック、男ふたりの関係だ。男と男の映画は過去にもたくさんあった。親子、兄弟、友達、あるいは敵同士。でもこの映画は叔父と甥という微妙な関係の微妙な距離感が主題になっている。ラストショットがその微妙さを見事に掬いあげた。
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