『午後8時の訪問者』 ミニマルな映画
The Unknown Girl(viewing film)
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の『午後8時の訪問者(原題:La Fille Inconnue)』には、いっさいの無駄がない。無駄な映像がなく、無駄なセリフがなく、無駄な音楽がない。カメラは登場人物の傍らにはりついて、そこから離れようとせず、風景などのショットは挿入されない。殺された少女がどんなふうにこの国にやってきたのかや、主役の医師の家庭環境なども説明されない。音楽はいっさい入らず、終始、高速道路を走る車の音だけが流れている。必要最小限の要素でつくられた、ミニマリズムの映画。
もっとも一般論で言えば、それが即いい映画という訳でもない。心を揺さぶる映像の迫力。ジョークや洒落たセリフ。適度な説明。ぴたりとはまった音楽。そういう遊びがあってこそ、映画の快楽はいよいよ大きくなる。でもダルデンヌ兄弟は、そうした遊びを引き算して映画をつくることを自分たちのスタイルとして選んだ。
ベルギーのリエージュ。医師のジェニー(アデル・エネル)は引退する老医師の診療所で、研修医とともに代診をしていた。帰り支度をしていた午後8時、誰かがベルを鳴らす。研修医がドアを開けようとするが、ジェニーは診療時間外だからと止める(彼女には、勤務することが決まった病院の歓迎パーティーの予定があった)。翌日、近くの川で身元不明の若い女性の死体が発見される。防犯カメラには、女性が診療所のベルを鳴らす姿が映っていた。医師として罪悪感にさいなまれたジェニーは、女性が誰なのかを調べはじめる……。
リエージュはダルデンヌ兄弟が生まれ育った土地であり、彼らの過去の映画の舞台でもある。殺風景な工業都市。診療所は、労働者階級や移民が暮らす貧困地区にある。ジェニーが手掛かりを求めて家々を訪ねはじめると、労働者家庭の現状や、移民が集まるカフェ、若者がたむろする廃工場、移民の売春組織などが浮かびあがってくる。
とてもぶっきらぼうな映画なのに最後まで引き込まれるのは、女性が誰なのか、なぜ殺されたのかの謎を追う、サスペンスの要素だけは引き算の果てに残しているからだろう。『ある子供』や『ロルナの祈り』もそうだったように。小生、サスペンスやミステリーなどのジャンル映画が好きなので、そこに惹きつけられる。
ドキュメンタリー出身らしく、ひたすら主人公を追うカメラと、カメラの動きによって徐々に謎が見えてくるジャンル映画の要素が溶けあってる。それが、似たようなテイストをもつケン・ローチやミヒャエル・ハネケと違うダルデンヌ兄弟のスタイルなんだろう(もっとも隣で見ていた中年夫婦は文字通りジャンル映画を期待していたらしく、見終って「なに、この映画」と文句を言っていた。邦題はそういう誤解を意図的に誘導してる)。
最後にジェニーは、決まっていた病院勤務を辞退し診療所を引き継ぐことを決意する。前作『サンドラの週末』でもマリオン・コティヤールが全編すっぴんだったけど、この映画でもアデル・エネルは化粧っ気なしで、にもかかわらず魅力的な女性医師を演じている。
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