『バンコクナイツ』 「沈没組」の視線
テレビや映画や出版で、「日本はこんなにすごい」「日本人は素晴らしい」的なものが目立つようになったのは、安倍政権がメディア批判をするようになって以来。政権のメディア対策とメディアの自主規制と、そこそこ商売になることが相まってのことだろう。「嫌○○」のようなイデオロギー色はなく、一見脱色しているように見えても、その底には「自分たちは優れている」というナショナリズムの匂いがする。
それ以上に気になるのは、こういうテレビや映画や本を喜んでいる人たち、特に若い人たちの間で、この国の外側への関心、逆に外側からこの国がどう見えているかといった視点、つまりはこの国を相対化して見る視線が弱いのではないかということ。外国旅行をする人が減ったとか、外国のポップスでなくJポップとか、外国映画でなく日本映画とか、そんな現象からも関心が内向きになっているのがわかる。
そんなところに現われたのが『バンコクナイツ』。一貫してインディペンデントで映画をつくってきた集団「空族」の冨田克也監督が『サウダーヂ』につづいて撮った新作だ。タイのバンコクという窓からは、日本と日本人がこんなふうに見えている。
日本語の看板が並ぶ歓楽街タニヤ通りのクラブ「人魚」。イサーン(東北部)から来たラオ族のラック(スベンジャ・ポンコン)はNO.1の売れっ子。ヒモで店のポン引きビン(伊藤仁)と同居しながら、稼いだ金を故郷の家族に送っている。そんなとき、かつての恋人オザワ(冨田克也)と再会する。元自衛官のオザワは、バンコクにいる元上官が怪しげなプロジェクトを引き受けた関係から、イサーンを経てラオスへ調査にいくことになる。ラックはオザワに同行して故郷に帰る……。
この映画に登場する日本人は「沈没組」と呼ばれている。目的や野心をもってやってきたにせよ、流れついたにせよ、バンコクで風俗の仕事やなんでも屋やヒモや怪しげな仕事でその日暮らしをしている。彼ら沈没組とラックたち「人魚」のホステスの日々が映画の中心。バンコクに長期滞在して脚本を書き(冨田と相澤虎之助の共同脚本)、現地のキャストで撮影しているから、『サウダーヂ』もそうだったけど、半ばドキュメンタリーのようなテイストになっている。僕はこういうクラブに行ったことがないので、ひな壇にドレス姿のホステス十数人が並んで客に選んでもらおうとするショットの華やかさに度肝を抜かれる。日本人客を一発で仕留める舞台装置。
沈没組ではない日本人も出てくる。「人魚」でラックたちと遊ぶ「社長」や企業の駐在員。女たちを店から連れ出し、あるいは現地妻にして、ラックたちにとっては貴重な金づるになる。この日本人とラックたちとの関係は、お金を介した遊びでありビジネスだから、金を持つ側と持たない側の経済関係になる。
それに比べると、その日暮らしの沈没組はラックたちと同じ地平、同じ目線で動いている。当然ながら互いに打算と利己心があり、それらと絡み合いながらも同じ地平に立つ者として男と女の感情が働いて、惚れたハレたの世界が生まれる。再会したオザワとラックは、三輪タクシーで夜のバンコクを走る。タイのポップミュージックがかぶさる、そのショットが切ない。
オザワとラックが旅に出るあたりから、ロードムービーふうな味も加わる。イサーンのノンカーイ県という田舎町。話される言葉もタイ語からラオ語に変わる。こんなところにも外国人向けのバーがあって、「沈没組」らしきフランス人がたむろしている。この地域独得のモーラムというダンサブルな音楽が流れる。森からは、現実か幻想か定かでないが今も隠れている左翼ゲリラの連絡員が現れる。
オザワはラックと別れてラオスに向かう。ベトナム戦争時にホーチミン・ルートを米軍に爆撃されたクレーターのような孔がいくつも残る丘のショットは、初めて見る光景。これはすごい。森のゲリラやクレーターの風景から、映画は東南アジアの現代史まで視野に収めはじめる。クレーターの脇では謎のヒップホップ・グループ(フィリピンのTondo Tribe)が森に消える。
オザワとラックの旅は終わり、それぞれバンコクに戻ってくる。オザワとラックの、焼けぼっくいに火がつきそうでつかない風情がうまい。日本人とタイ人の関係だけでなく、タイ族ホステスがラオ族ホステスを見下す、タイ国内の複雑な民族関係をうかがわせる描写もある。ラックの幼馴染みの妹がラックを頼って故郷からバンコクに出てくる。そして今日もタニヤ通りは賑わっている。
3時間の長尺だけど、最後まで目を惹きつけられる。艶っぽい夜のバンコクと対照的に美しいイサーン地方の風景(撮影はスタジオ石)。それにかぶさるタイ・ポップスの数々。映画が「沈没組」の視線に立ったことでバンコクの夜に働く女性たちへの共感が生まれる。といっても、ヒューマニズムや大国批判といったところに収斂するわけでもない。雑多なものが雑多に詰めこまれ、それが大きな川のようにゆったりと、でもテンポよく流れている。そんな大河のような映画だ。
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