『淵に立つ』 赤と白のドラマ
赤い色彩をこんなふうに観念的とでもいえそうな手つきで扱った映画を久しぶりに見た。
日本映画なら、すぐに鈴木清順が思い浮かぶ。赤いスーツや郵便ポストなど赤い小道具に満ちた『東京流れ者』、真っ白な室内の障子が外れると外が真っ赤な『関東無宿』、娼婦に赤や紫などの衣装をわりふった『肉体の門』。もっとも清順の場合、様式的な遊びの気配が濃厚だったが。そういえば巨匠、小津安二郎も赤いヤカンとかの小道具にこだわったのではなかったか。
『淵に立つ』の赤は欲望の赤である。白はその対極の清潔さを表わすが、その清潔さには偽善が仕込まれている。
金属プレス業を営む利雄(古舘寛治)と章江(筒井真理子)の家に、利雄の知り合いらしい八坂(浅野忠信)がふらりと現れて居つく。八坂はいつも白いワイシャツを着て、第一ボタンをしめている。寝るときも白いワイシャツ。最初に赤が現れるのは、娘の蛍(篠川桃音)の発表会用に章江が仕立てている衣装。敬虔なクリスチャンである章江が赤い衣装をもって、八坂の部屋に来て裁縫をする。後になってわかるのだが、赤の衣装を手に八坂の部屋に入ったのは章江が無意識に彼を誘っていることを示しているし、赤の衣装を着る蛍が欲望の対象になることをも示している。
章江が潔癖症であるのは、心のなかの赤い欲望を自ら否定してしきれないことを表わしているだろう。一家が河原へピクニックに出かけ、二人きりになった八坂が章江の身体に手をはじめて触れるとき、かたわらに赤い花が咲いている。別の日、歩きながら八坂が白いつなぎの作業服の上を脱ぐと、その下から真っ赤なTシャツが現れる。家へ戻った八坂は欲望をむきだしにして、キッチンにひとりでいる章江に迫る。そして事件が起きる。
8年後、住込みの工員・幸司(太賀)──実は八坂の息子──が娘の蛍の身体に触ろうとするとき、かたわらには赤いデイパックがある。
映画の最後に近く、章江は八坂の幻を二度見る。一度目は、干された白いシーツの背後から現れる白いワイシャツ姿の八坂。二度目は、真っ赤なシャツを着た八坂。白の八坂と赤の八坂に翻弄され、章江は淵に立つ。
八坂と利雄がもつ過去の秘密が物語の核になっている。妻の章江も娘の蛍も、その秘密を知らない。それが家族を破滅させる。冒頭からラストまで、誰も泣き叫ぶことなく静かに進行する「罪と罰」。その代わり、白と赤の色彩が抑えに抑えられた感情を代弁している。色彩の扱いは図式的すぎる気もするが、それを救って余りあるのが赤と白を身につける浅野忠信の存在。底知れぬ深さを感じさせてすごい。
深田晃司監督の映画ははじめて見た。カンヌの新人賞的な「ある視点」部門審査員賞を取ったのも、是枝裕和に代表される日本の家族映画とひと味もふた味も違った作品だからだろう。


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