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September 16, 2016

下谷和泉橋通りの医学所を探す

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lookinf for the hospital in Edo period

ある仕事の必要から、幕末に下谷和泉橋通りにあった「医学所」を探すことになった。「医学所」は幕末に幕府がつくった西洋医学の病院で、後に東京帝国大学医科大学付属病院となる。大槻俊斎、伊東玄朴、緒方洪庵、松本良順(司馬遼太郎『胡蝶の夢』の主人公)らが頭取(病院長)を務めた。

和泉橋はJR秋葉原駅近くにある。和泉橋通りは現在の昭和通り。ほかに分かっているのは、藤堂藩邸の近くだったこと。藩邸の塀を過ぎると伊東玄朴の住まいがあり、医学所はその隣だったこと。

国会図書館で幕末に刊行された「江戸切絵図」の「下谷絵図」を(デジタル・アーカイブに入っているので自宅のパソコンで)見る。和泉橋から北へたどる。藤堂和泉守と書かれた屋敷の二筋先に「伊藤玄ト」と書かれている。もうひとつ、「御府内往還其外沿革図書」という地図を見る。こちらは藤堂藩邸の先に「種痘所」と記された一画がある。神田お玉が池に開設され、火事で焼けて下谷和泉橋通りに移ってきた「種痘所」は「医学所」の前身だ。

プリントアウトした二枚の地図と現在の地図を持って、秋葉原へ。ヨドバシカメラのアーケードを抜けて昭和通りへ出、御徒町方向へ向かう。藤堂藩邸跡には三井記念病院があるはずだが、昭和通りには面していない。切絵図では藩邸から二筋だけど、現在は細い通りが何本も走っている。どこなんだろうと歩いているうちに蔵前橋通りにぶつかると、角に台東区教育委員会の案内板が建っていた。「伊藤玄朴居宅跡・種痘所跡」とある。跡地には高層ビルが建設中だった。

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昭和通りを戻り、東に入って三井記念病院へ。病院の由来を記したパネルが貼ってある。維新後、明治政府は横浜の軍事病院を旧藤堂藩邸に移し、医学所を含めて「大病院」と称した。1876(明治9)年、「大病院」は本郷の現在地(東大病院)へと移転し、その跡地に三井家が三井慈善病院を開設したそうだ。

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