« August 2016 | Main | October 2016 »

September 27, 2016

『怒り』 クールな小説、ホットな映画

Photo

『怒り』でいちばん見ごたえがあったのは、ずらりと揃えた主役級の役者が今まで見たことのない顔を見せてくれたことだ。

なかでも驚いたのは宮﨑あおい。千葉の漁港で働く渡辺謙の娘役で、原作では小太り、やや知的障害のある女性。新宿の風俗で働いているところを父親に連れ戻され、彼の元で働く流れ者の松山ケンイチと出会う。宮﨑はこれまで知的な女優というイメージがあったし、小太りでもない。宮﨑はこの映画のために5キロ太ったそうだけど、明日のことなど考えず瞬間瞬間の感情のままに生きる女を見事に演じてる。

松山ケンイチはいつものケレン味を封印して、無口無表情。渡辺謙はこの映画ただ一人の父親世代の役者で、無精ひげで娘の行動におろおろする姿が貫禄。

東京でIT企業の社員として働く妻夫木聡はゲイ役。優男の妻夫木はゲイの雰囲気を自然に出してるが、裸になると意外に頑健な身体。相手役の綾野剛は頼りない感じがいい。

沖縄の島にふらっと現れる森山未來は、映画によってずいぶん印象が違う。『モテキ』の軟派学生や、『苦役列車』のぐうたらなフリーターから一変。長髪にひげ面のバックパッカーで、得体のしれない雰囲気をかもしだす。広瀬すずは南の島の少女。若いのにすごい存在感だ。

それぞれの役者を見ているだけで楽しい。東京、千葉、沖縄で三組のカップルが出会い、親しくなり、やがて相手が殺人犯ではないかと疑いはじめる(沖縄はちょっと違うが。ここだけはややステレオタイプ)。下手をすれば冗長になりそうな三組のストーリーを、李相日監督は都会、港町、南国それぞれの風景を取り入れて手際よく語ってゆく。はっとするショットを交えたカメラワーク、場所と場所のつなぎで効果的な音の使い方、うまい監督なんだな。

大作にふさわしい出来。ただ残念だったのは後半、物語が盛り上がるところで感情表現が過多なこと。これは日本映画を見ていつも感ずることだけど、宮﨑あおいや広瀬すずが泣き叫び、坂本龍一の音楽がこれでもかと高鳴る。そのため原作の持ち味であるクールさが失われ、ホットな映画になってしまった。妻夫木聡が路上で静かに涙を流す。渡辺謙が無音で崩れおちる。それで十分じゃないだろうか。泣くのがいつも女性であることも、思い込みと悪しき定型を感じさせる。過剰な表現は観客も「泣ける」かもしれないけど、そのぶん見終わった後に残るものが失われたような気がする。


| | Comments (0) | TrackBack (7)

September 25, 2016

一葉旧宅からロシア民謡の日

1609251w
walking around Hongo,Tokyo

雨のなか、本郷へ。仕事に関連して樋口一葉の旧宅跡を見にいった。本郷は起伏が多い。菊坂から一本裏へ入った菊坂下道。下道の反対側は鐙坂で両側が高くなっており、谷を走る道であることがわかる。江戸から明治初めにかけて、台地は武家や富裕層が住み、低地には細民が暮らしていた。菊坂下道は当時の地割りをそのまま残していて、人ひとりやっと通れる道や行き止まりの道もある。

下道から細い路地を入った奥に、一葉が住んだ旧居跡がある。階段を上ると鐙坂に通じている。手前の井戸は一葉も使ったものという。一葉はここに18歳から21歳まで住み、針仕事で家族を養いながら小説を書きはじめた。

ここから5分ほど歩いた西片町の崖下には、一葉が最後に住み結核で亡くなった旧居跡もある。谷底と崖下に住んだ一葉。そういう場所と一葉の小説とは深くつながっている。

1609252w

夜は本郷(元富士町)の喫茶店で「うたごえ喫茶ナイツ!」。

友人のソプラノ歌手、室井綾子さんはじめ、クラシック畑の声楽家5人の出演。みな「ロシア声楽曲研究会」のメンバーだそうで、ロシア語と日本語で「黒い瞳」「カリンカ」などおなじみの曲を歌う。

団塊に属する小生あたりが、時代現象としての「うたごえ喫茶」を体験したいちばん若い世代だろうか。大学に入りたてのころ、先輩に誘われて新宿の「ともしび」に行ったことがある。甘く物悲しい旋律のロシア民謡はよかったが、声をそろえて歌う雰囲気になじめなくてそれきり行かなかった。ロシア民謡をこんなにまとまって聞くのは、それ以来かも。

室井さんがひとりで歌った「モスクワ郊外の夕べ」はジャズでもときどき演奏されるけど、澄んだ歌声に感情がこもって聞きほれました。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 20, 2016

オルハン・パムク『黒い本』を読む

Kuroi_orhan
Orhan Pamuk"Kara Kitap"(reading books)

オルハン・パムク『黒い本』(藤原書店)の感想をブック・ナビにアップしました。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 19, 2016

『シン・ゴジラ』 凍ったゴジラが目覚めるとき

Photo
Shin Godgilla(viewing film)

遅ればせながら『シン・ゴジラ』を見た。映画としてよくできているのに加えて、あからさまな比喩や意味ありげな暗喩がいたるところに散りばめられて、映画を見た誰もが何かを語りたくなるようにできている。

ゴジラ・ファンなら、本作がそのリメイクである『ゴジラ』第1作と比較してみたくなるだろう。アニメ・ファンなら、同じ庵野秀明監督の『エヴァンゲリオン』シリーズと関係づけて熱く語ってみたくなるだろう(残念ながら僕はどちらでもない)。映画やアニメのファンだけでなく、シン・ゴジラが引き起こす混乱はいやでも東日本大震災と福島原発の事故を思い出させるから、この映画を震災後の政治と社会に引き寄せて語りたくなる人もいるにちがいない。

実際、このところウェブや活字メディアやテレビで、『シン・ゴジラ』ほど語られた映画はない。僕もそのいくつかを読んで、なるほど、うまいこと言うなあと感心した。

もともと1954年につくられたオリジナル『ゴジラ』が、作品それ自体を離れてさまざまな語られ方をした映画だった。ゴジラは南太平洋の核実験によって異常成長したという設定だったし、映画が公開されたのは第5福竜丸がビキニ環礁の核実験で放射能を浴びたその年だった。だからゴジラはしばしば核や戦争の比喩として論じられてきた。

体内に生体原子炉を持つシン・ゴジラの設定は、第1作の設定とその後さまざまに語られた言説をうまく取り込んでいる。シン・ゴジラは襞と襞の隙間が赤く発光していることからも明らかなように、ウランやプルトニウムが核分裂で発生させる高熱を利用した原子力発電所を思わせる。

科学史家の神里達博が、こう言っているのが眼にとまった。映画の結末でこの国の未来は「ゴジラを管理し続けるという宿命を背負った」と(9月16日、朝日新聞)。矢口(長谷川博己)のチームは、ゴジラは体内の原子炉が発する熱を血流によって冷却していると考えた。ならば冷却システムである血流を凍結させてしまえばいいと、動けなくなったシン・ゴジラに血液凝固促進剤を投与して凍結させてしまう。

だからゴジラは凍っているだけで、死んでいない。これは福島原発の現在の姿に重なっている。福島原発は一時の小康状態を保っているだけで、メルトダウンした核燃料はそのまま格納容器の底にたまっているし、プールには燃料棒が残っている。もし廃炉に成功(いつのことか)する前に再び大きな地震や津波に襲われたら、さらなる放射性物質がまきちらされる危険は常に残っている(これはもちろん福島だけのことでなく、日本中の原発が地震、津波、火山爆発の危険にさらされている)。

東京のど真ん中、東京駅のそばに凍結して動かないゴジラは、そんな状況の象徴と読めないだろうか。凍結したゴジラを、どう解体するのか。内部の原子炉をどう処理するのか。映画はまったく終わっていない。いや、次の映画はそこから始まる。『シン・ゴジラ』の続編ができるとしたら(当然、考えられているだろう)、ゴジラの目覚めから物語が生まれるだろう。

ゴジラの目覚めがもたらす不安と恐怖は、日本列島を再び襲うかもしれない地震、津波、火山爆発、原発事故の不安と恐怖に重なっているかもしれない。

それから、ネットで盛り上がっているゴジラの尻尾だけど、僕がこれを見て連想したのはギーガーのエイリアンと、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」だった。ギーガーは当然として、藤田の戦争画を思い出したのは、この絵が岩も波も、殺し殺される兵士たちも、土も小さな花も、ほとんど区別しがたく暗い茶色に塗り込められ凍結されたひとつの生命体のような印象を持ったからだ。ゴジラの尻尾は、それに似ていた。ゴジラはどこまでも戦争を引きずっているらしい。


| | Comments (0) | TrackBack (9)

September 16, 2016

下谷和泉橋通りの医学所を探す

1609161w
lookinf for the hospital in Edo period

ある仕事の必要から、幕末に下谷和泉橋通りにあった「医学所」を探すことになった。「医学所」は幕末に幕府がつくった西洋医学の病院で、後に東京帝国大学医科大学付属病院となる。大槻俊斎、伊東玄朴、緒方洪庵、松本良順(司馬遼太郎『胡蝶の夢』の主人公)らが頭取(病院長)を務めた。

和泉橋はJR秋葉原駅近くにある。和泉橋通りは現在の昭和通り。ほかに分かっているのは、藤堂藩邸の近くだったこと。藩邸の塀を過ぎると伊東玄朴の住まいがあり、医学所はその隣だったこと。

国会図書館で幕末に刊行された「江戸切絵図」の「下谷絵図」を(デジタル・アーカイブに入っているので自宅のパソコンで)見る。和泉橋から北へたどる。藤堂和泉守と書かれた屋敷の二筋先に「伊藤玄ト」と書かれている。もうひとつ、「御府内往還其外沿革図書」という地図を見る。こちらは藤堂藩邸の先に「種痘所」と記された一画がある。神田お玉が池に開設され、火事で焼けて下谷和泉橋通りに移ってきた「種痘所」は「医学所」の前身だ。

プリントアウトした二枚の地図と現在の地図を持って、秋葉原へ。ヨドバシカメラのアーケードを抜けて昭和通りへ出、御徒町方向へ向かう。藤堂藩邸跡には三井記念病院があるはずだが、昭和通りには面していない。切絵図では藩邸から二筋だけど、現在は細い通りが何本も走っている。どこなんだろうと歩いているうちに蔵前橋通りにぶつかると、角に台東区教育委員会の案内板が建っていた。「伊藤玄朴居宅跡・種痘所跡」とある。跡地には高層ビルが建設中だった。

1609162w

昭和通りを戻り、東に入って三井記念病院へ。病院の由来を記したパネルが貼ってある。維新後、明治政府は横浜の軍事病院を旧藤堂藩邸に移し、医学所を含めて「大病院」と称した。1876(明治9)年、「大病院」は本郷の現在地(東大病院)へと移転し、その跡地に三井家が三井慈善病院を開設したそうだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 10, 2016

2本のフィリピン映画

Kinatay
Kinatay & Captive(viewing film)

面白いフィリピン映画をDVDで二本見た。ブリラーテ・メンドーサ監督の『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド(原題:Kinatay)』と『囚われ人(原題:Captive)』。

『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』は、マニラの警察学校に通う男が警察官のギャング組織に取り込まれて殺人の手伝いをさせられ、のっぴきならない状況に追い込まれる一夜を描いた作品。

新婚で子供が生まれたばかりの主人公が警察官ギャングのミニバンに乗せられ、麻薬代金を払わなかったダンサーを拉致して犯罪の匂いがしてくるのに逃げようとして逃げられず、不安におののく姿が手持ちカメラの不安定な映像で捉えられる。マニラの歓楽街や郊外の夜景など、画面はほぼ暗い。ダンサーを姦して殺し、バラバラにするなど描写は過激。フィリピン・ノワールとでも言ったらいいのか。「キナタイ」はタガログ語で虐殺の意。2009年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞した。

『囚われ人』は、2000年にイスラム原理主義武装ゲリラ「アブ・サヤク」がリゾートで20人の外国人・フィリピン人を拉致して身代金を要求し、1年以上にわたって人質を連れまわした事件の映画化。

武装ゲリラと人質の一行は政府軍に追われて熱帯雨林を転々とする。鮮やかな緑と、そこで繰り広げられる血なまぐさい戦闘の対照がすごい。蛇が鳥を襲ったり、兵士が蜘蛛を戦わせたり、熱帯の動物が大写しで挿入される。ゲリラと人質が行動を共にするなかで、いろんな人間関係が生まれてくる。人質のフィリピン人看護師がゲリラと半ば強制的に結婚させられる。イザベル・ユペール演ずる人質と少年兵士の間に感情の交流が生まれかける。ゲリラは時に住民から食事を供され、礼儀正しく謝礼を払ったりもする。かと思うと、ケガをし足手まといになった人質をあっさり殺しもする。

そんな熱帯雨林の逃避行(に見える)を、メンドーサ監督はここでも手持ちカメラの大胆な映像で物語的な高揚もなく坦々と描き出す。映画は、イザベル・ユペールが救出されたところでぶつりと終わる。

2本とも、単純な善悪や正義で割り切れない人間の行いを見つめている。フィリピン映画は見たことなかったけど、楽しみがまたひとつふえた。

Captive


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 07, 2016

立川博章回顧展

1609071w
Tachikawa Hakusho Retrospective Exhibit

友人に誘われて鳥瞰図絵師・立川博章回顧展(~9月6日、飯田橋・日建設計ギャラリー)へ。

都市計画家として活躍した立川は、三点透視図法という手法で鳥瞰図を描く絵師でもあった。もともと都市計画や建築のプレゼンテーション用だったらしいが、やがて絵図として独立した価値をもつようになった。代表作の江戸鳥瞰図をはじめ、十数点が展示されている。地図と資料をもとに三次元に立ちあがった立体図はすごい迫力。

1609072w

「東京スカイツリー第三次設計案」。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 05, 2016

東京ジャズ・フェスへ

1609051w
Tokyo Jazz Festival

東京ジャズ・フェスティバルの「Jazz ik here」セッションに行く(9月4日、東京国際フォーラム)。

まずはメンバーが30歳そこそこの若いピアノ・トリオ、fox capture plan。ジャズのグルーヴ感をまったく感じさせない(意図的に排除した?)演奏。小生のような年寄りはこれがジャズなの? と言いたくなるが、若い世代にはこれがいいのか。

続いてケニー・バロン・トリオ。こちらはジャズのグルーヴ感のかたまりみたいな演奏。モンクや自作やスタンダード。円熟しきって、それでいて古さを感じさせないのがすごい。ゲストのグレッチェン・パーラトのアンニュイな歌もよかった。

最後はミシェル・カミロと上原ひろみのピアノ・デュオ。チケットを買ったときは上原ひろみトリオだったけど、メンバーが体調不良とかで来日できず、急遽、カミロに声をかけたらしい。カミロはこの1時間のためだけに来日したそうだ。

どの程度リハーサルをやったのか分からないが、最初から息はぴったり。カミロの原色で情感のこもった音と、超絶技巧といわれるカミロの上をいく上原の早く、力のある音と。エリントンの「キャラバン」や「A列車で行こう」では会場が湧きに湧く。トリオよりこちらのほうがお得だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« August 2016 | Main | October 2016 »