『イレブン・ミニッツ』 カタストロフの予兆
『イレブン・ミニッツ(原題:Eleven Minutes)』の監督、イェジー・スコリモフスキをはじめて「見た」のは高校生だった1960年代。アンジェイ・ワイダの『夜の終りに』だった。この映画でスコリモフスキは共同脚本と、役者としてボクサー役で出演していた。実際にボクシングをやっていた彼は筋骨逞しい男だった。同じころ、ロマン・ポランスキーの『水の中のナイフ』のプログラムで、やはり共同脚本にスコリモフスキの名前を見つけた。監督として映画をつくっているとも書いてあって、そのころポーランド映画に入れ込んでいた僕は、「ポーランド派」の新世代としてどんな映画をつくるんだろうと興味を持った。
スコリモフスキの『早春』(1970)を見たのはずっと後。『早春』はポーランドでつくった映画が「スターリン批判」とされて社会主義の祖国から亡命し、イギリスでつくった作品。アンジェイ・ワイダの歴史意識やロマン・ポランスキーの耽美とは違う、「ヌーベルヴァーグ以後」ともいうべき1970年代ふうの過激な青春映画だった。なんて昔のことを書いたのも、『イレブン・ミニッツ』を見て『早春』のテイストと共通するところがあるなあ、と思ったから。
物語の起承転結にこだわらず、映画的な情感を盛り上げることもなく、斬新な映像を積み重ねる。最後のスローモーションも、似たようなものを1970年代(スローモーションが多用された時代だった)にアントニオーニの映画とか見た記憶がある。スコリモフスキ、実験的精神は歳とっても変わらないなあ。
ポーランドの都市。主要な登場人物は10人ほど。5時から5時11分までの11分間に彼らに起きる出来事が、81分に凝縮されている。そして最後にカタストロフがくる。
ホテルの一室で、映画監督(リチャード・ドーマー)が女優(パウリナ・パプコ)に面接しながら誘いをかけている。女優の夫(ヴォイチェフ・メツファルドフスキ)は、妻と監督との関係を怪しみホテルに駆けつける。路上のホットドッグ店の男は、かつて縁のあったらしい女から唾をはきかけられる。タトゥーを入れ、犬を連れた女がホットドッグを買いにくる。配達先の女とよろしくやっていたバイク便の男は怪しげな包みを受け取り、ホテルに配達に向かう。救急隊の女が、出産しそうになった女を助けに出動する。少年は盗みに入って自殺体を発見し、あわててバスに乗る。
互いに無関係な出来事が、時間を行きつ戻りつしながら描写される。登場人物が操作するスマホやパソコンの動画、監視カメラの映像も入りこんでくる。サイレンやバイクの音といった路上のノイズが強調される。鏡に激突する鳥、高層ビルの向こうを低空で飛ぶジェット機が9.11を連想させる。ダン、ダン、ダン、と時を刻むリズムがひっきりなしに鳴っている。不穏な気配が徐々に高まる。
小さな鏡に映ったバラバラの断片がたくさん集まり、最後にそれが一つになって全体像を露わにし、でも一瞬後にはまたバラバラに砕け散るといった印象。最後、カタストロフの映像は無数のモニター画面のなかの一つとなり、最後にはモニターの小さなノイズにまで縮小される。それが78歳のスコリモフスキがこの世界に対して持っているペシミスティックな時代認識なのか。
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