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July 28, 2016

ヒヨドリにやられる

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tomatos eaten by bulbul

このところ庭のミニトマトが何者かに突つかれ、穴があいているものがある。こんなことは初めて。

朝、ヒヨドリの鳴き声がしているので、ヒヨドリの仕業ではないかとにらんだ。ミニトマトの近くにブドウ棚があり、毎年、実が色づくとヒヨドリが食べにくる。ブドウは半分はヒヨドリに、半分は人間に(種アリだが、けっこう甘い)と思っていたけど、トマトは困る。

愛鳥家の友人に聞くと、ヒヨドリは甘いもの、赤いものが大好きだそうだ。でも今の季節はまだ山で子育ての最中で、里や町なかに出てくるのはもう少し後とのこと。今年は山のエサが少ないのか、もう子育てが終わったのか。

仕方ないので、トマトとブドウ(人間の分)に袋をかけた。

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こんな青い実もやられてる。

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July 22, 2016

ブラボ展に行く

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アルバレス・ブラボ写真展(~8月28日、世田谷美術館)に行く。朝からの雨がやまず、肌寒い日。世田谷公園の緑はいきいきしている。

ブラボはメキシコを代表する写真家。1930年代から2002年に100歳で亡くなるまで、写真表現の先端で撮りつづけた。若き日には前衛美術や革命運動とも交わりながら、作品の静謐な気配は一貫してる。

30年代メキシコシティの都市風景に惹きこまれる。リベラ、シケイロス、フリーダ・カーロ、エイゼンシュテイン、トロツキーらのポートレートも忘れがたい。

図録は内容の充実といい、印刷といい、これが2500円でできるのかと驚く。買わないわけにいかない。

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July 19, 2016

ドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』を読む

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Don Winslow"The Cartel"(reading books)

ドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』(角川文庫)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/

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July 18, 2016

『暗殺』 植民地の暗殺をエンタテインメントに

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Assassination(viewing film)

5、6年前、『京城スキャンダル』という韓流TVドラマを見たことがある。日本統治下の京城(ソウル)を舞台にしたハン・ジミン主演のラブコメで、日本帰りのモダン・ボーイや反日独立運動家が登場する。へえ、韓国でもこの時代を素材にこんなドラマをつくるんだ、と感じたことがあった。もちろん日本は悪者だけど(植民地支配していたわけだから)、マスコミが伝えるような、なにがなんでも日本憎しの感情的反日でなく、歴史的事実として、ある距離と余裕をもって受け入れているのでなければ、この軽やかさは出てこないんじゃないかと思った。

『暗殺(原題:암살)』にも、似たような感触がある。暗殺しようとする側は、上海にある亡命政権、韓国臨時政府と、3人の暗殺者。暗殺しようとする相手は、朝鮮半島を支配する日本軍将校と、彼に癒着する親日派の実業家。といってもシリアスな歴史ドラマでなく、笑いも交えたアクション映画だ。

暗殺グループを組織することを命じられた臨時政府の警務隊長ヨム(イ・ジョンジェ)は、抗日ゲリラの女スナイパー、アン(チョン・ジヒョン)と、早撃ちの「速射砲」、爆弾の専門家の3人を選んでソウルに送り込む。ところがヨムは日本に密通するスパイで、殺し屋の「ハワイ・ピストル」(ハ・ジョンウ)に自分が送りこんだ3人の暗殺者を殺すことを依頼する。

幼い頃誘拐されたアンは、実は暗殺のターゲットである実業家の娘で、アンの双子の姉(チョン・ジヒョンの2役)は、やはりターゲットである日本軍将校と結婚しようとしている。結婚式はソウルの三越百貨店で行われることになり、アン、ハワイ・ピストル、ヨムが一堂に会する……。

主演の3人、それぞれに過去の記憶が鮮明だ。

アンを演ずるチョン・ジヒョンは『猟奇的な彼女』から、もう15年たつんだなあ。あの頃は可愛さが先に立ったけど、今は成熟した大人の女。腕利きスナイパーなのに目が悪く、狙撃するときメガネをかけるのがおかしい。惚れ惚れする美しさに円い眼鏡が愛嬌になってる。

ヨムのイ・ジョンジェは『新しき世界』では中国朝鮮族出身の警察官で、ギャング組織への潜入捜査官を演じていた。今回は、拷問を受けて日本軍の協力者になったが、心の底には祖国への忠誠心が流れているようにも見える。どちらも複雑な役どころで、悲しみをたたえた風貌がぴったり。

ハワイ・ピストルのハ・ジョンウは『悲しき獣』のチンピラ殺し屋から一転、マカロニ・ウェスタンふうというか香港ノワールふうというか、腕利きで金にも困っていなさそうな二枚目の殺し屋を豪快に演じてる。彼と彼を助ける「爺や」がいるせいで、この映画に無国籍アクション映画のテイストが加わった。

ドラマ部分は、この3人がそれぞれに絡む。アンとハワイ・ピストルは男と女。アンとヨムは抗日同志としての信頼と裏切り。ヨムとハワイ・ピストルは好敵手としての友情。アンはさらに、暗殺のターゲットとの親子の情。とにかく盛りだくさんで、しかもそれが主題でなくアクション場面がメインなんだから欲張りすぎというか……。アンを軸にドラマ部分がもっと深く描かれていたら、映画史に残る傑作になったかも。

1930年代の上海とソウルも、よく出来ている。セットとVFXの組み合わせだろうけど、日本語の看板もおかしくはない。日本人を演ずる役者たちも、訛りながらも日本語をしゃべる。このあたり、ハリウッド映画が描く日本と日本人よりちゃんとしてるかもしれない。

かと思うと、古典的名作『灰とダイヤモンド』から、ちゃっかり名場面を拝借したりもする。死者の名前を呼びながらロウソクをともすシーン、洗濯された白いシーツがはためくラスト・シーン。チェ・ドンフン監督のお遊びなのか、歴史の闇に消えていった無名の暗殺者という共通の主題へのオマージュなのか。

『京城スキャンダル』同様、日本はもちろん悪者で(植民地支配していたんだから当然)、日本軍将校が暗殺のターゲットになっているけれど、それより親日派の実業家と日本軍に密通したヨンという裏切者に対する暗殺が主題として重くなっている。しかも裏切者のヨンを、いかにも悪役という役者でなくイ・ジョンジェという演技派のスターが演じているあたりに、この映画の懐の深さを感ずる。ま、シリアスなドラマでなくエンタテインメントだからということもあるだろうけど。

嫌韓・反韓の偏見さえなければ、楽しめます。一方、日本のマスコミではこの映画を「反日映画」の文脈で伝えたところもあったけど、記者の感性を疑うなあ。植民地時代の暗殺を素材にしているから反日じゃなく、大切なのは映画の底に流れているものを見極める目でしょう。単純な二元論では映画の微妙で大事なところが見えなくなってしまう。

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July 17, 2016

『ホースマネー』 純粋化への意思

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Horse Money(viewing film)

映画は総合芸術だという言い方がある。文学・絵画・音楽・演劇・写真といったさまざまな芸術ジャンルの要素をもっているからだし、実際にある場所と生きた人間(たとえスタジオであっても。またアニメーションであれば現実をイラスト化したもの)を撮影しなければ成り立たないということでは、現実社会とも密接な関係をもっている。その意味では、不純物をたくさん含んだ芸術ともいえる。

映画を見ていてときどき感ずるのだが、純粋化を志向して映画をつくる監督がいる。どの方向に純粋化するかは監督によってそれぞれだけど、映画がもっているある要素を極限まで拡大し、逆にそれ以外のさまざまな要素を切り捨てることによって自分のスタイルをつくろうとする。そんな映画を見ると、スタイルの極北へ行こうとする意志を感ずる。

最近のホウ・シャオシエン監督の作品にそういった志向を感ずるし、ペドロ・コスタ監督にもそれを感ずる。コスタの新作『ホースマネー(原題:Cavalo Dinheiro)』もそうだった。

リスボンのスラム、フォンタイーニャス地区に暮らす移民たちが登場する。かつてのアフリカの植民地、カーボ・ヴェルデからやって来て、今は病気で入院している老人ヴェントゥーラ。夫を亡くしたヴィタリナ。彼らが独白というかたちで、過去の人生を振り返る。

といっても起承転結のある物語があるわけでなく、断片的なセリフがつぶやかれるだけ。時に詩のような言葉も混ざる。そういった言葉をつなぎあわせることで、少しずつ彼らの過去が浮かびあがってくる。

カメラは彼らが暮らすスラムを映さない。地下道、狭い病室、工場の廃墟、エレベーターの内部といった狭い空間。光と影のコントラストが強烈で、彼らは闇のなかにいるように見える。画面は主に彼らの上半身を捉え、動きは少ない。時に静止画か写真のようにも見える。

だからこの映画では物語とアクションが排除されようとしているらしい、と感じられる。物語とアクションは、映画が19世紀末に生まれて以来、もっとも基本とされてきた要素。20世紀に入って、物語性を解体するという作業は文学や映画で行われてきたが、これもその延長上にあるということか。それに加えアクションまで最小限に抑えて、なおかつ映画が成立するかという問いがコスタ監督にはあるのだろうか。

そんな純化が図られる一方でこの映画を現実につなぎとめているのは、登場人物が俳優でなく実際の移民たちということだろう。さらには、影と光のコントラストで抽象化されているとはいえ、実際に彼らが生活しているスラムで撮影されていること。ヴェントゥーラとヴィタリナだけでなく、たくさんの移民を彼らが暮らす場所で撮影したショット(写真のような静止画)は、強く印象に残る。

もうひとつ、ヴェントゥーラが閉じ込められたエレベーターには武装した兵士がいて(このショットは確か前作にも登場した)、ヴェントゥーラを威嚇しているように見える。コスタ監督のインタビュー(公式HP)によると、これは1974年のカーネーション革命(サラザール独裁体制を終らせた民主化革命)の記憶。当時若かったコスタは民主化革命に身を投じたが、移民にとってこの革命も恐怖にしか感じられなかったと後に知った、と語っている。

そのように現実や歴史に碇を下ろす一方で、物語やアクションを排除しようとする意思。そんなコスタ監督のスタイルには、ホウ・シャオシエンに感ずるのと同じ矛盾した思いを感ずる。一方で、こういうスタイルの極北にどういう映画ができるのか、それを見てみたいという期待。その一方で、物語やアクションやその他諸々の夾雑物が入り混じっていることこそ、見世物として生まれ産業として発展した映画の面白さとリアリティーじゃないのか、という疑問。ふたつの感想を共に感じて、他人にどう話していいか迷う映画だった。

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July 13, 2016

猿出没注意

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静岡県三島に墓参に行き、熱海に1泊。全国で野生動物の生息域が広がっているが、斜面に広がった町と森の境界に当たるここにも「猿出没注意」の貼り紙が。この宿泊施設は数十年来ているけれど、はじめてのこと。

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July 09, 2016

『あゝ新宿』展とシンポジウム

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Oh! Shinjuku exhibition & symposium

久しぶりに母校へ行って、『あゝ新宿─スペクタクルとしての都市』展(~8月7日、早稲田大学演劇博物館)と、関連企画「新宿1968-69 ドキュメンタリー/ハプニング/ジャズ」に参加した(7月8日、大隈記念講堂)。

演劇博物館は小生が在籍した学部のそばにあったのに、毎日通っていた時代には授業の合間に一度しか覗いた記憶がない。若いというのは無知なもんです。

館正面には、褌一丁で新宿の街頭に立つ若き唐十郎が。展示室に入ると、山下洋輔トリオが1969年にバリケード封鎖された早稲田で演奏したライブ録音「DANCING古事記」のジャケットと音楽が迎えてくれる。ピットイン、DIG、DUGなどジャズ・ライブハウス、ジャズ喫茶の写真。新宿駅西口フォークゲリラと群衆の写真。アートシアター新宿文化のパネル脇で流れる大島渚『新宿泥棒日記』の映像。状況劇場、天井桟敷、現代人劇場の公演ポスターと写真。磯崎新の幻の新都庁案、祝祭広場のデザイン。

あの時代の新宿に通った者として、混沌とした熱気を思い出した。もっといろんな資料があるだろうに、展示会場が狭いのが残念。

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大隈講堂ではまず、テレビ映像3本を上映。田原総一朗が東京12チャンネル時代につくった「バリケードの中のジャズ(「DANCING古事記」と同じ出来事)」「新宿ラリパッパ」の2本と、歌舞伎町から生中継という空前絶後の試みで混乱した「木島則夫ハプニングショー」。

続いて山下洋輔が登場し、47年ぶりに大隈講堂のピアノに向かう。短いけれど力のこもった演奏2曲。シンポジウムは田原総一朗、山下洋輔、五箇公貴(テレビ東京プロデューサー)、松井茂、宮沢章夫、岡室美奈子(司会)。仕掛けとやらせがやがて本物の出来事になるという田原のドキュメンタリー論と、仕掛けの実例が面白い。

今日は黒ヘルとか中核とかいう言葉に解説がいらないのがすごい(学生諸君は後で調べてね)、という言葉に会場が沸く。

こういう展覧会とシンポジウムが無料なのは大学ならでは。もっと仕掛けてほしいな。

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July 06, 2016

『クリーピー 偽りの隣人』 凶悪な緑

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Creepy(viewing film)

黒沢清のホラーでは、こうなったからこうなるという因果関係の説明なしに、いきなり恐怖が始まる。その予兆として、なんでもない風景が禍々しく見えてくるショットが挿入されることが多い。

『クリーピー 偽りの隣人』では、犯罪心理学者・高島(西島秀俊)と妻・康子(竹内結子)が引っ越してきた家の隣家のショット。シネスコ画面手前にフェンスで囲まれた空地があり、日陰になっている。その向こうに隣家がある。画面の奥左半分はここも日陰の家屋、右半分が庭で、そこにだけ強い太陽の光が当たっている。庭は手入れされていないらしく、雑草が高く伸びている。にわかに風が吹き、ゆらぐ緑が強烈なコントラストのなかで凶悪な色に見えてくる。その数秒のショットがすごい。

東京の稲城市でロケされているようだ。稲城は多摩丘陵にあり、アップダウンと緑の多い新興住宅地。丘の上から自宅や不審な隣家を見下ろす。隣人の西野(香川照之)と康子がトンネルと傾斜のある道で出会う(脇には緑の雑草)。自宅と隣家を真上から見下ろすショットがある。そんな具合に、見上げたり見下ろしたりする視線と凶悪な緑色、トンネルの闇がドラマに影を落としている。撮影は黒沢と組んできた芦澤明子。

元刑事の高島は、かつての同僚(東出昌大)から6年前の一家失踪事件の分析を頼まれる。調べると、失踪した一家の隣に住んでいた隣人の存在が浮かびあがる。引っ越した高島夫妻は、隣家の西野の言動に不審を感ずる……。

殺人の動機から方法から背後の人間関係からすべて言葉で説明しなければ気がすまないテレビの2時間ドラマを見慣れた目には、黒沢清のホラーは説明もなく、唐突で、そのうえ観客をびっくりさせる脅しもないから、奇妙な映画に見えるだろう。よく分からないけど、怖い。

香川照之は、こういうのがはまり役でまたかとも思うけれど、うまいし怖いから仕方ない。彼なしでは成り立たない映画かもしれない。西島秀俊はところどころ偏執的なところがほの見えて、香川照之とコインの表裏のような役どころ。

もうひとつ、気になったショット。なかほどで、トンネル手前で香川照之と竹内結子の姿かたちがほとんどひとつに重なっている奇妙な画面。その後、手をつないでいたらしい二人が手を放して別れる。しばらくして竹内結子の腕に注射痕のあるのが写され、そこではじめてそのショットの意味が分かる。竹内結子が香川照之に引き込まれてゆく過程はほとんど描写されないが、竹内結子が自宅でぼんやりしているショットでそれが暗示される。

隣家の内側へカメラが入ってからは、いかにも黒沢清好みの装置と展開になる。『岸辺の旅』も悪くないけど、やっぱり黒沢清の本領はこっちだなあ。


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July 01, 2016

チャンビ写真展がすごい

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Martin Chambi photo exhibition

東京・池尻のSUNDAY(世田谷区池尻2-7-12)で7月3日(日)までやっているマルティン・チャンビ写真展が素晴らしい。

ペルーの先住民として生まれたチャンビが1920~50年代にかけてガラス乾板やフィルムで撮影したインディオたちの肖像、クスコの町の風景、マチュピチュ遺跡など。人格がにじみ出るポートレート、くっきりした光と影に縁どられた風景には、未開の地に出かけた白人がエキゾチックな風物を採集する視線でなく、インディオが自ら生きる土地と人々に向けた暖かな視線がある。

チャンビに惚れた写真家の白根全氏が身銭を切って開催にこぎつけた。2日午後1時からギャラリートークもある。


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