『ヘイル、シーザー!』 笑えないコーエン兄弟
『ヘイル、シーザー!(原題:Hail,Caesar!)』はコーエン兄弟流の50年代ハリウッド・グラフィティーなんですね。
1950年代ハリウッドはローマ帝国映画やミュージカル、西部劇の全盛時代。ロバート・テイラーを思わせる人気俳優ベアード(ジョージ・クルーニー)がキリスト受難劇映画の撮影中、コミュニストの脚本家グループに誘拐され洗脳される。ミュージカルのトップスターでジーン・ケリーを思わせるバート(チャニング・テイタム)はコミュニスト・グループの一員で、ソ連に亡命を試みる。西部劇のスター、ホビー(アルデン・エーレンライク)はシリアスなドラマに起用されるが、強烈な南部訛りで監督(レイフ・ファインズ)を困らせる。人気上昇中の女優・ディアナ(スカーレット・ヨハンソン)は、子供がいることをマスコミに悟られないよう四苦八苦している。
そんな俳優たちのトラブルを一手に引き受けるのがスタジオの何でも屋エディ(ジョシュ・ブローリン)。そのエディを狂言回しに、エゴイストでかっこつけたがりの俳優たちのドタバタがコメディ・タッチで描かれる。エディ自身にはロッキード社への転職話が進行しているけれど、最後には高給を蹴ってスタジオに残ることで映画への愛が貫かれる仕組み。
50年代ハリウッドのいろんな出来事をヒントに、『ベン・ハー』ふうだったり『雨に唄えば』ふうだったりファム・ファタールふうだったりと、色んな映画のそれらしいシーンを頂戴して飽きさせない。
でもこの映画、見ていて能天気に笑ってすます気にならない部分もあったなあ。
言葉の訛りを笑いのネタにすることもそうだけど、いちばん気になったのはこの映画がハリウッドの赤狩りを背景にしているところ。赤狩りは、米議会の非米活動委員会がハリウッドに共産主義者がいるとして19人の監督・脚本家・プロデューサー・俳優を喚問した出来事。19人のうち聴聞会への出席を拒否した10人は「ハリウッド・テン」と呼ばれ映画界から追放された。「テン」のひとりドルトン・トランボは投獄され、「テン」ではなかったがジョセフ・ロージーやチャールズ・チャップリンもハリウッドを追われ活動の場をヨーロッパへ移した。
今となってみれば赤狩りは第二次大戦後の冷戦時代に、ソ連と共産主義への恐怖・不安を背景にした集団ヒステリーによる魔女狩りだった(9.11後のアメリカのような)。トランボもロージーもチャップリンもコミュニストではなかったが、米国への愛国的な忠誠を拒んだためスケープゴートにされた。ソ連と共産主義の影におびえた国民心理が、ありもしない「敵」をつくりあげたというに近い。
『ヘイル、シーザー!』では、コミュニストの脚本家たちが「ザ・フューチャー」というグループを組織している。「マルクーゼ教授」というイデオローグも出てくる(UCLA教授だったヘルベルト・マルクーゼ? 彼は左翼ではあってもソ連共産主義批判の本を書いているから共産党とは無縁だと思うが)。誘拐されたベアードは洗脳され、帰って来てエディに左翼かぶれの言葉を吐き、顔面を張られて正気に戻る。ミュージカル・スターのバートは、LA沖に現れたソ連潜水艦に「雨に唄えば」ふうな振りで得意満面で乗り込む(ちなみにジーン・ケリーは赤狩りに抗議し、「ハリウッド・テン」を支持する署名をしたひとり)。
コーエン兄弟のお遊びに目クジラ立てるのも野暮だけど、影に怯えて魔女をでっちあげた当時のアメリカ人の心理をきれいさっぱり忘れ、ソ連崇拝のこんなお間抜け集団があったんですよと言わんばかりのギャグにはどうにも笑えない。コーエン兄弟は別に彼らの思想を云々するわけじゃなく、単にチャニング・テイタムが「雨に唄えば」ふうにソ連潜水艦に乗り込むシーンや、ジョージ・クルーニーがローマ帝国将軍の恰好をして洗脳されるシーンを撮りたかったんだろう、とは思う。でも、その笑いは歴史をきれいに忘れたからこそ成り立つものじゃないかな。フィクションでコメディであるからこそ、アメリカ国民の無意識が露出しているような気もする。
まあ、僕が若い頃見たジョセフ・ロージーのひりひりしたヨーロッパでの諸作品や、小物だったため追放されなかったがハリウッドに残って骨太なエンタテインメントをつくりつづけたロバート・アルドリッチの映画が忘れられないから、この映画の設定やギャグに過剰反応したんだろうけど。コーエン兄弟のコメディ・タッチの映画は単純なお笑いでなく、いつもひねくれエッジの効いた笑いを取るけれど、この新作に関しては笑おうとして凍りつく瞬間があった。


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