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June 30, 2016

にんにく醤油漬け

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pickling garlic in soy sauce

国産にんにくが安く手に入ったので醤油漬けに。これをやると、いつも皮むきで爪がいたくなる。にんにくも醤油も、炒め物に納豆にと重宝する。

壺は若い頃やっていた陶芸でつくった水指。本来の用途に使われたことのない可哀そうなやつだ。


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June 27, 2016

竹内街道から当麻寺へ

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from the Takenouchi Road to Taima Temple in Nara

ボランティアで大阪へ行く用事があったので、翌日は奈良へ。竹内(たけのうち)街道を歩くことにする。

近鉄南大阪線磐城駅を降りてすぐのところに、竹内街道の始点になる長尾神社がある。竹内街道は「日本書紀」に「推古天皇二十一(613)年、難波より京(飛鳥)に至る大道を置く」とあり、全長30キロにわたる大和朝廷の官道だった。ここから二上山の南にある竹内峠を越え、河内平野を横切って堺に至る。法隆寺の仏像なども、この道を通って難波から飛鳥へ運ばれたんだろう。

左の森が長尾神社。ここから1.5キロほどが国道166号から離れた旧道として整備されている。

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道は竹内峠に向けてゆるい上り坂になっている。道の左側から水の流れる音がする。暗渠になっているが、かつては流れが見えたんだろう。新しい家が多いが昔ながらの白壁の家もある。

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左手の背後に葛城山が見えている。このあたりの水田は飛鳥に京ができて以来、千数百年にわたってこのままの姿なんだろうな。

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右手には二上山(にじょうさん)。

竹内で幼少年期を過ごした司馬遼太郎は、当時の風景をこう描写している。

「むかって左の翼は葛城山であり、右の翼は二上山である。その山脈のふもとには幾重にも丘陵がかさなり、赤松山と落葉樹の山が交互にあって、秋などは一方では落葉樹が色づき、一方では赤松がいよいよ赤く、また右の翼のふもとの赤松山の緑に当麻寺の塔がうずもれ、左の翼のふもとには丘陵のほかに古墳もかさなり、白壁の農家が小さく点在して、こう書いていても涙腺に痛みをおぼえるほどに懐しい」

これは戦前の、あるいは戦後も高度成長期以前の記憶だろう。いま、拡張された国道にはひっきりなしに車が行き交い、建物も新しくなったけれど、目をこらせば司馬遼太郎が見た風景を想像することはできる。

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国道165号を越えると竹内の集落に入り、傾斜が少しきつくなる。

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日曜日の午前中、時間がゆったり流れている。

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元造り酒屋の建物が休憩所に整備されている。

裏に綿引塚という松尾芭蕉の句碑がある。芭蕉の門人が竹内にいて、芭蕉はここに滞在したこともあり、句もつくった。

綿引や琵琶になぐさむ竹のおく

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二上山の麓にある当麻寺へ、当麻の集落を歩く。玄関先に面白い注連縄があった。近くにある天神さんの講で、20年にいちど、つけかえるそうだ。

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塀の角に七福神がいる家も多い。

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当麻寺の三重塔。東塔、西塔と、ふたつの塔が創建当時から現存するのは当麻寺だけだそうだ。

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本堂(正面)と講堂(右)、金堂(左)。本堂の本尊は当麻曼荼羅。原曼荼羅は損傷が激しく、現在安置されているのは室町時代に転写された文亀曼荼羅と呼ばれるもの。印刷でしか知らなかったが、じっくり見ることができた。

3時間ほどの散歩。梅雨の晴れ間で日差しが強い。門前でソバを食べ、当麻寺駅まで歩く。


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June 23, 2016

『レジェンド 狂気の美学』 トム・ハーディ賛江

Legend
Legend(viewing film)

この映画、楽しむ視点を間違えた。『L.A.コンフィデンシャル』『ミスティック・リバー』の名脚本家ブライアン・ヘルゲランドが監督としてつくった映画だから見にいったんだけど、その点では期待はずれというか、いささか不満の残る内容だった。でも、主役のトム・ハーディを楽しむつもりなら、間違いなく満足できる。

トム・ハーディの映画はよく見ている。デビュー作『ブラックホーク・ダウン』や『レイヤーケーキ』はまったく印象にないけれど、『インセプション』や『裏切りのサーカス』で記憶に残り、『欲望のバージニア』でいい役者だなあと感じ入った。その後『ダークナイト・ライジング』『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』『チャイルド44』『マッド・マックス 怒りのデスロード』『レヴェナント』と立てつづけに面白い映画に出演してる。僕が好むクライム、アクション系統の映画によく出てるんですね。いま、いちばん旬の役者。イギリスでは舞台俳優としても活躍しているそうだ。

もっとも日本で女性に人気があるかといえば、そうでもなさそう。相手を見つめる眼差しや厚い唇が男の色気を感じさせるけど、いまの日本では男も女もロリコンふうな幼さが人気だから、トムみたいに成熟した濃い男はだめなんだろう。

『レジェンド 狂気の美学(原題:Legend)』で演ずるのは1960年代ロンドンの伝説的なギャング、クレイ兄弟。トム・ハーディが1人2役をこなすのが見どころ。

ロンドンの下町イーストエンドに生まれたレジ―とロンのクレイ兄弟は暴力でのしあがった。政治家やセレブともつながり、街を支配する。兄のレジ―は頭脳明晰。アメリカ・マフィアと組んでカジノに手を広げる。子分の妹フランシス(エミリー・ブラウニング)に惚れ、フランシスに「犯罪と手を切って」と懇願されナイトクラブの経営に力を入れる。他方、弟のロンはゲイであることを公言し、いつ切れるかわからず、切れれば手がつけられない暴力派。兄のレジーが収監されている間にナイトクラブをゲイのクラブにしてしまったりする。対立するギャングを容赦なく殺す。

兄のレジーを演ずるトムは、いってみればいつものトム・ハーディ。それに対して弟のロンに扮するときは眼鏡をかけ、オールバックに髪をなでつけ、トム・ハーディらしさを極力殺している。神経質そうに顔を歪め、発する言葉もぎこちない。クールな暴力と激情的な暴力。戦略家と制御不可能な男。常識家と変わり者。フランシスを愛する男とゲイ。兄と弟の対照的なキャラクターを演じ分け、これ見よがしでなく、一人二役をほとんど感じさせないのがすごい。言葉は兄弟そろって、dayを「ダイ」と発音するロンドンの労働者階級訛り。2人が取っ組み合いをするシーンはどんなふうにつくったんだろう。

映画はフランシスの独白による叙事的な手法。叙事的な語り口は年代記など長大な物語を語れるが、ひとりの登場人物に思い入れしにくくなる。当時のポップスが絶えず流れているのも気になり、そのせいもあって映画にいまひとつ入りこめなかった。

1960年代ロンドンのイーストエンドの街やナイトクラブ、ファッション、車など(僕は実際に知らないけど)の再現に力がそそがれている。ロンドン子なら懐かしさに涙するだろうな。


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June 22, 2016

大根の収穫

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harvesting a Japanese white radish

今年はじめての大根の収穫。このところの雨で何日か畑をさぼっていたら、トウが立っていた。


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June 21, 2016

DUGのけむり草

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at jazz cafe DUG in Shinjuku

最近また新宿のDUGに行くようになった。また、というのは40年以上前、20代のころよく行っていたから。もっとも靖国通りに面した現在の店でなく、紀伊国屋書店を裏口に出た隣にあった時代。重いドアを開けるとジャズがどっと流れてきて、たばこが煙る狭い階段を下りてゆくのが快かった。カウンターでコーヒーを飲みながら女友達を待った記憶は今もときどき蘇って胸がちくちくする。

最近よく行くようになったのは、新宿で時間があるとき寄っていたブルックリン・パーラーが混みだし、入れないことが多くなったせい。どちらの店もそのときの気分で、お茶でもアルコールでも頼める。ブルックリン・パーラーはブルックリンの地ビールが飲めるのがいいのだが、若い子が何人も入口で待っているのを見てあきらめ、そうだ、DUGがあったじゃないかと久しぶりに歌舞伎町方面に足が向いた。

今日は映画を見た帰り。小腹が空いたのでチョコレート・ブラウニーを食べながらレッド・ガーランドを聞いていると、店のオーナーで写真家の中平穂積さんが大きな植物をかかえて入ってくる。雲のように、あるいは煙のようにもわっとした薄い灰緑の花。中平さんが自ら壺に活ける。店の雰囲気に合っているのはさすが。けむり草というそうだ。その名前とたばこの煙を連想したことから40年前の煙ったいDUGを思い出した。



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June 20, 2016

『エクス・マキナ』 ロボットのエロチシズム

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Ex Machina(viewing film)

『エクス・マキナ(原題:Ex Machina。「機械仕掛けの」の意)』は脚本家アレックス・ガーランドの初監督作。過去の名作SFのいろんな要素を組み合わせながら、クールなエロチシズムを漂わせているのが面白い。ロボットの姿は『メトロポリス』から、コンピューター(人工知能)の反乱というテーマは『2001年 宇宙の旅』から、そして物語は『ブレードランナー』の前日譚といった趣になっている。

それに低予算(インディペンデントのイギリス映画で1500万ドル)だからか登場人物は4人、人里離れた研究所が舞台(ノルウェーの山岳地域でロケ)という設定が、制約を逆手にとった静謐な雰囲気を高めている。ミステリーの密室ものや猟奇殺人といったジャンル映画の要素もある。

ケイレブ(ドーナル・グリーソン)は検索エンジンの世界的企業に勤めるプログラマー。ある日、巨万の富をもち、人里離れた施設で研究する社長のネイサン(オスカー・アイザック)に呼ばれる。研究所にはネイサンと英語を解さないメイドのキョウコ(ミズノ・ソノヤ)の2人だけがいる。ケイレブはネイサンから、女性型ロボットのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)に装着した最新型人工知能の性能を測るテストを行うよう命じられる。やがて、エヴァの性能を測るはずのケイレブが逆にエヴァの性能の実験台になっていることが分かってきて……。

ミステリーものの常道で、研究所を訪れたケイレブが少しずつ不安を高めていく。支配的なネイサンの態度。表情を変えないメイド。仕切られたガラス壁にはひび割れがある。突然の停電。監視カメラが作動しなくなった瞬間、ロボットのエヴァはケイレブに「ネイサンを信じないで」とつぶやく。

この映画がアカデミー賞視覚効果賞を取ったのは、なんといってもエヴァという女性型ロボットの造形でしょうね。人間と同じなのは顔と手のみ。頭は銀色の金属、上半身と腰は網をかぶせたグレイの物質、上半身と腰の間や脚は透明で、金属製の骨格や配線が透けて見える。エヴァが動くと透明部分の背景も移動するわけで、このあたりがVFXの見せどころなんだろう。

後半になると、ネイサンが何体もの女性型ロボットをつくっていたことが判明する。なかには人間そっくりのもある。クローゼットを開けると裸の人型ロボットが出てきたり、人肌のパーツをはがしたり装着したりのシーンは、猟奇犯罪もの映画の応用編とでもいうか。

そのことを知ったケイレブは実は自分もロボットなのではないかと疑い、自分の眼球の周囲を広げてみたり、腕にナイフを突き刺したりする。これは『ブレードランナー』で、探偵役のハリソン・フォード自身が実はレプリカントではないかと疑わせる描写があったことを踏まえてるんじゃないかな。

といった具合に色んな映画の色んなアイディアが合体され、それでいながら全体として静かでミステリアスな雰囲気に満ちているのがいいな。


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June 13, 2016

『海よりもまだ深く』 恥ずかしさと共感と

Photo
After the Storm(viewing film)

自分はなんでこんなに映画が好きなんだろうと考えることがある。

いくつもの答えがありうるなかでいちばん気に入っているのは、映画を見るということはほんのいっとき他人になりその人生を生きる、夢のようなものだからというものだ。もちろん、たとえば小説を読むことによっても他人の人生を生きることができる。でも映画は活字を読んで知性による想像力を働かせるのとは違い、無意識の自分が夢を見るのに似ている。

映画館に入って暗闇に包まれるのは、いわば眠りに入っていくのに等しい。そこで昼間の自分はいなくなり、別の自分になってその視覚や聴覚が働きだし、他人の人生を生きる。映画が終わり(夢が覚め)、館内が明るくなり、外へ出ればまたいつもの自分が戻ってくる。

谷崎潤一郎は若いころ映画フリークだった。「肉塊」という小説のなかで映画論めいたものを語っていて、そこには「映画というものは頭の中で見る代りに、スクリーンの上へ映して見る夢なんだ」とある。短編のなかには、夜、町を歩く主人公が闇をくぐりぬけると光り輝く別の世界があり、そこで数奇な経験をする、いわば映画体験を小説の構造に置き換えたものもある。

もっとも、別の自分になるつもりで映画館に行ったら、思いがけず自分に会ってしまうことだってある。この主人公(少なくともその一部)は自分だと感じてしまう映画に出会ったときは、なにがしかの恥ずかしさと、その裏腹の共感を覚えて心穏やかに見ていられない。

若い頃だけど、『ボギー! 俺も男だ』でウディ・アレン演ずるダメ男を見ていて──ふだんは映画は一人で見るのに珍しく女友達と行ったせいもあるだろうが──自分に出会ったみたいに感じ、隣の女友達が笑うのが自分が笑われているようで気になって仕方なかったことがある。

──と、長い前置きになってしまったけど、『海よりもなお深く』の良多(阿部寛)にも自分を感じた。15年前に新人賞を取ったきり次が活字にならない自称小説家の良多は、取材のためと自己弁護して探偵事務所で生活費をかせいでいる。妻の響子(真木よう子)は愛想をつかして息子と出ていってしまった。良多は未練たらたらで、妻に恋人ができたのを盗み見して嫉妬する。養育費の払いも滞り、稼いだ金はギャンブルに使ってしまう。日々の生活で気になった会話はメモして机の前に貼り、小説を書こうとはするのだが……。

「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」と、脚本・監督の是枝裕和はこの映画について語っている。大きくなったらこうなりたいと若いころ夢見た自分をそのまま実現できる人はごく少数だろう。たいていの人は、こうありたいはずだったのに、という悔恨を抱えて日々を送っている。無精ひげをはやし長身を折るように肩をすくめる阿部寛がなにがしか自分の分身に思えてくると、真木よう子(妻)も樹木希林(母・淑子)も小林聡美(姉・千奈津)も吉澤太陽(息子・真悟)も、自分の身近にいる誰彼を連想してしまうから面白い。

ばらばらになった元家族が、台風の日に母親がひとり住む団地で一夜を過ごすことになる。

樹木希林は、中年になった息子もいつまでも幼い子供のように扱う母親を、演ずるというよりそのものになりきっている。テレサ・テン「別れの予感」(映画のタイトルはこの歌の歌詞から)が流れる部屋で樹木希林と阿部寛がかわす会話は身につまされる。二人になった隙に身体に触れてくる夫を避けながら、でも義母に気を使わなければならない真木よう子のよそよそしい感じもうまいなあ。

是枝裕和は『誰も知らない』から『空気人形』くらいまでは表現意識を感じたけれど、最近の作品はそんな角(?)も取れて円熟してきた。小津安二郎と成瀬巳喜男に代表される日本の家庭劇をいちばんよく継いでいるのが是枝監督だろう。『海街diary』は舞台が鎌倉の和風住宅だったので否応なく小津を思い出させたけど、団地が舞台でこの男と女の感じは成瀬ふうかな?

山崎裕のカメラは、狭い団地の室内をそう感じさせず、台風一過の朝のすがすがしい空気感など、さりげないけど見事だ。

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『谷崎潤一郎文学の着物を見る』を読む

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大野らふ+中村圭子編著『谷崎潤一郎文学の着物を見る』(河出書房新社)の感想をブック・ナビにアップしました。

ブック・ナビ

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June 12, 2016

ハーブの収穫

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picking leaves of mint and lemmongrass

今年3度目のミントとレモン・グラスの収穫。レモン・グラスはちらほら花が咲き、ミントは蕾が出てきたので、これが最後か。ミニトマトも実がついてきたので、もうじき収穫できそう。


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June 10, 2016

『ディストラクション・ベイビーズ』 純粋破壊衝動

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Destruction Babies(viewing film)

自主映画の世界で評価の高い真利子哲也監督の商業映画デビュー作『ディストラクション・ベイビーズ』は、ひたすら暴力を描く。そのシンプルさと、主役を演ずる柳楽優弥が全身から発する気味悪さによって、映画全体が不穏な気配に満ちている。

暴力といっても、強い者が弱い者に一方的にふるう暴力ではない。泰良(柳楽優弥)は路上で強そうな男や集団をみると、いきなりなぐりかかる。相手はやくざだったり集団だったりするから、たいていぶちのめされ、顔面から血を流して倒れる。それでもこりない。そのしつこさに、最後には男たちも辟易して逃げていく。そして肝心なことは、泰良がなぜ殴りかかるのか、その理由はいっさい説明されないことだろう。泰良自身もほとんど言葉を発せず、「楽しけりゃええけん」とつぶやくのみ。

そんな泰良に裕也(菅田将暉)がまとわりつき、一緒に行動するようになる。もっとも裕也は勝てそうな相手にしか喧嘩をふっかけない。いわゆるチャラ男というやつ。喧嘩に勝って相手の車を奪うと、車内にいたキャバクラ嬢・那奈(小松菜奈)をトランクに押し込めて郊外に車を走らせる。事故を起こし、男を死なせてしまう。泰良、裕也、那奈の3人に共犯意識が漂う。とはいえ、警察に事情を聞かれた那奈はあくまで被害者を装う。

もうひとり、泰良の弟・将太(村上虹郎)がいる。将太は普通の高校生で、家を出て町を放浪する兄の泰良を探し回る。映画のはじめと終わりで2度ほど、将太のショットの後、男が歩くのを後ろから捉えるショットがつづく。パーカーのような似た服を着ているので、それが兄なのか弟なのか観客はとまどう。そのとまどいは、画面がその顔を捉えた瞬間、それが弟で、しかも兄のような暴力をふるう男に豹変するのではないかという不安に変わる。

愛媛県松山の市街と港の三津浜でオールロケされている。泰良たちの暴力のかたわら、神輿と神輿をぶつけあう三津浜の喧嘩祭のシーンが対置される。こちらは、人間の破壊衝動を共同体が祭に昇華させている。泰良たちの暴力は、共同体が薄くなった、あるいは壊れた結果だというふうにも読める。

ラストシーンは、泰良という一人の殺人者──社会から見れば理由なき殺人鬼──が誕生したことを告げる。柳楽優弥の面構えは、『復讐するは我にあり』の緒方拳を思い出させる。

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June 09, 2016

三種のアジサイ

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3 kinds of hydrangea in my garden

庭の三種類のアジサイがようやく花をつけた。

これがいちばん遅く、ようやく小さな花が咲いた。七、八年前、塀を作りなおした際に根を半分削ってしまい、それ以来勢いがなくなった。ことしも数個しか蕾をつけていない。いちばんきれいな花なのだが。

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これは逆にいちばん勢いのいいアジサイ。毎年、どんどん大きくなり、隣の梅の木を圧倒しそうなくらい。その割に花の美しさはいまいちで、わが家では「図体ばかり大きくて」と可哀そうに評判悪い。

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2年ほど前にいただいたアジサイ。赤味の入った、なかなかいい色の花をつける。


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June 06, 2016

『ヘイル、シーザー!』 笑えないコーエン兄弟

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Hail,Caesar!(viewing film)

『ヘイル、シーザー!(原題:Hail,Caesar!)』はコーエン兄弟流の50年代ハリウッド・グラフィティーなんですね。

1950年代ハリウッドはローマ帝国映画やミュージカル、西部劇の全盛時代。ロバート・テイラーを思わせる人気俳優ベアード(ジョージ・クルーニー)がキリスト受難劇映画の撮影中、コミュニストの脚本家グループに誘拐され洗脳される。ミュージカルのトップスターでジーン・ケリーを思わせるバート(チャニング・テイタム)はコミュニスト・グループの一員で、ソ連に亡命を試みる。西部劇のスター、ホビー(アルデン・エーレンライク)はシリアスなドラマに起用されるが、強烈な南部訛りで監督(レイフ・ファインズ)を困らせる。人気上昇中の女優・ディアナ(スカーレット・ヨハンソン)は、子供がいることをマスコミに悟られないよう四苦八苦している。

そんな俳優たちのトラブルを一手に引き受けるのがスタジオの何でも屋エディ(ジョシュ・ブローリン)。そのエディを狂言回しに、エゴイストでかっこつけたがりの俳優たちのドタバタがコメディ・タッチで描かれる。エディ自身にはロッキード社への転職話が進行しているけれど、最後には高給を蹴ってスタジオに残ることで映画への愛が貫かれる仕組み。

50年代ハリウッドのいろんな出来事をヒントに、『ベン・ハー』ふうだったり『雨に唄えば』ふうだったりファム・ファタールふうだったりと、色んな映画のそれらしいシーンを頂戴して飽きさせない。

でもこの映画、見ていて能天気に笑ってすます気にならない部分もあったなあ。

言葉の訛りを笑いのネタにすることもそうだけど、いちばん気になったのはこの映画がハリウッドの赤狩りを背景にしているところ。赤狩りは、米議会の非米活動委員会がハリウッドに共産主義者がいるとして19人の監督・脚本家・プロデューサー・俳優を喚問した出来事。19人のうち聴聞会への出席を拒否した10人は「ハリウッド・テン」と呼ばれ映画界から追放された。「テン」のひとりドルトン・トランボは投獄され、「テン」ではなかったがジョセフ・ロージーやチャールズ・チャップリンもハリウッドを追われ活動の場をヨーロッパへ移した。

今となってみれば赤狩りは第二次大戦後の冷戦時代に、ソ連と共産主義への恐怖・不安を背景にした集団ヒステリーによる魔女狩りだった(9.11後のアメリカのような)。トランボもロージーもチャップリンもコミュニストではなかったが、米国への愛国的な忠誠を拒んだためスケープゴートにされた。ソ連と共産主義の影におびえた国民心理が、ありもしない「敵」をつくりあげたというに近い。

『ヘイル、シーザー!』では、コミュニストの脚本家たちが「ザ・フューチャー」というグループを組織している。「マルクーゼ教授」というイデオローグも出てくる(UCLA教授だったヘルベルト・マルクーゼ? 彼は左翼ではあってもソ連共産主義批判の本を書いているから共産党とは無縁だと思うが)。誘拐されたベアードは洗脳され、帰って来てエディに左翼かぶれの言葉を吐き、顔面を張られて正気に戻る。ミュージカル・スターのバートは、LA沖に現れたソ連潜水艦に「雨に唄えば」ふうな振りで得意満面で乗り込む(ちなみにジーン・ケリーは赤狩りに抗議し、「ハリウッド・テン」を支持する署名をしたひとり)。

コーエン兄弟のお遊びに目クジラ立てるのも野暮だけど、影に怯えて魔女をでっちあげた当時のアメリカ人の心理をきれいさっぱり忘れ、ソ連崇拝のこんなお間抜け集団があったんですよと言わんばかりのギャグにはどうにも笑えない。コーエン兄弟は別に彼らの思想を云々するわけじゃなく、単にチャニング・テイタムが「雨に唄えば」ふうにソ連潜水艦に乗り込むシーンや、ジョージ・クルーニーがローマ帝国将軍の恰好をして洗脳されるシーンを撮りたかったんだろう、とは思う。でも、その笑いは歴史をきれいに忘れたからこそ成り立つものじゃないかな。フィクションでコメディであるからこそ、アメリカ国民の無意識が露出しているような気もする。

まあ、僕が若い頃見たジョセフ・ロージーのひりひりしたヨーロッパでの諸作品や、小物だったため追放されなかったがハリウッドに残って骨太なエンタテインメントをつくりつづけたロバート・アルドリッチの映画が忘れられないから、この映画の設定やギャグに過剰反応したんだろうけど。コーエン兄弟のコメディ・タッチの映画は単純なお笑いでなく、いつもひねくれエッジの効いた笑いを取るけれど、この新作に関しては笑おうとして凍りつく瞬間があった。


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June 04, 2016

梅ジャム梅シロップづくり

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making plum jam and plum syrup with granddaughter

梅ジャムと梅シロップをつくる。今年は梅の木に虫がつき、実がすべて落ちてしまった。なので、買ってきた梅。半分は蜂蜜に漬けてシロップに。夏にソーダで割って飲むとうまい。以前は梅酒をつくっていたが家で酒を飲む習慣がほぼなくなり、10年前の梅古酒がまだ残っている。

梅を茹でて柔らかくし、種を取る。買ってきた梅は小粒が多くて苦労する。果肉を叩き終わったところ。

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弱火でぐつぐつ似る。砂糖はレシピの半分以下にして、かなり酸っぱいジャム。味見させると下の孫は顔をしかめた。

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できあがったシロップとジャム。シロップは夏休みには飲めるようになる。


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