『光りの墓』 夢のなかへ
Cemetery of Splendour(viewing film)
タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の映画をそんなにたくさん見てるわけじゃないけど、これまで彼の映画から政治性を感じたことはない。でも『光りの墓(原題:Rak Ti Khon Kaen)』は珍しく政治性──現在の軍事政権への物言い──をうかがわせる作品になっていた。といってもウィーラセタクン監督のことだから、ナマな政治的メッセージがあるわけではまったくない。
タイ東北部の地方都市。元学校の仮設病院に、眠り病にかかった男たちが収容されている。彼らは突然ことんと眠りに落ちてしまう。そして何かの拍子に目を覚ます。脚に障害をもつ主婦のジェン(ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー)が、訪れる家族のいない患者を世話しにやってくる。病棟には眠っている患者の夢と交流できる能力をもつ女性ケン(ジャリンパッタラー・ルアンラム)もいて、家族と患者との会話を仲立ちしている。ジェンの患者イット(バンロップ・ノームローイ)がふっと目を覚まし、ジェンとイットは病院の庭や近くの湖のほとりで会話する。
病院の構内では軍が地面を掘り起こしている。この場所はかつてラオス民族の王宮だった。軍がその土地を掘り起こす行為は、いわば埋もれた過去を暴く意味をもつことになる。眠り病にかかった患者の傍らには蛍光色に光るパイプのような治療具が設置されている。光が薄ピンクや水色に変化することで、眠っている患者の過去の記憶を呼び起こし、魂を癒す効果をもたらすらしい。
ジェンがテラスで2人の姉妹と話している。2人はいきなり、「私たちは死んでいる」と語る。彼女たちは数日前、ジェンが祈りを捧げに行った廟に祀られる王女姉妹だった。彼女たちは普通の服装をしてジェンと普通に話すけれど、死者なのだ。ジェンもそれを自然に受け入れる。
ジェンとケンが話をしている。ケンは、ジェンの死んだ息子の魂に乗り移り、ケンの姿のまま息子の男言葉をしゃべって、母のジェンと対話する。ケン(息子)がジェンの障害のある脚に頬ずりし唇を近づけるショットは、この監督には珍しいセクシュアルな気配がただよう。
ラオス国境から遠くない地方都市の日々を淡々と描きながら、そこに当たり前のような顔をして何層もの過去が侵入してくる。現在と過去、夢と現実が登場人物それぞれのなかで対話し、ときに争いを繰り広げる。でも映画のなかに異形のものはどこにもなく、あくまで地方都市の日常的な風景であり、木々が風にそよぎ、光が注いでいる。そしてその変哲もない風景が同時に「クメールのアニミズム」や「スピリチュアルな世界」(いずれもウィーラセタクン監督の言葉)に満ちている。
ウィーラセタクン監督はまた「眠り病」というアイディアについて、「この3年間、タイの政治状況は行き詰まった状況でした。僕は、眠ることに魅了され、夢を書き留めることに熱中した。それは、現実から逃げる方法だったと思う」と語っている(公式HP)。映画にこの言葉を重ねてみれば、現在の軍事政権に対して政治的な場所からではなく、森と風と光に満ちた場所から物言いをつけているのがわかるだろう。
この映画はタイで公開されていない。また今後、国外で映画をつくることになるだろうとも監督は語っている。熱帯の森と風と光のなかで映画をつくってきた監督には、なんともつらい選択だろう。
Comments
こんにちは。TBをありがとうございました。
実は私、この作品は眠気に抗う事ができず…。雰囲気はとてもタイらしくてスピリチュアルで良いのですが、何とも眠かったという印象があります。
ところで、
複雑な情勢のタイで作品を作り続けていくことが監督には難しくなってきたのですか…
残念なことですね。
Posted by: ここなつ | April 11, 2016 03:38 PM
この映画、私も落ちました。でも面白い。
ジジイになってから、映画を見ながら気持ちよく落ちることが気にならなくなりました。
これからどこを本拠に映画をつくるんでしょうね。心配です。
Posted by: 雄 | April 11, 2016 08:02 PM