『蜜のあわれ』 官能と老残と
『蜜のあわれ』は、映画と小説についていろいろ考えさせてくれる。
原作者である室生犀星は、この幻想小説を映画にすることを考えていた。そもそもこの小説自体が、1959年に発表される3年前に公開されたフランス映画『赤い風船』に影響を受けて書かれたものだった。犀星は雑誌連載を終えて「後記」にこう書いている。
「『赤い風船』を見た後に、こういう美しい小事件が小説に書けないものか知ら……と、一か月くらい映画『赤い風船』に取り附かれ……。お前が知らずに書いた『蜜のあわれ』は偶然にお前の赤い風船ではなかったか、まるで意図するところ些かもないのに、お前はお前らしい赤い風船を廻して歩いたのではないか」
そして実際に、犀星は『赤い風船』のアルベール・ラモリス監督に『蜜のあわれ』を映画化してほしいと単行本を送ったという。実現はしなかったが。そのことからもわかるように、『蜜のあわれ』の赤い金魚は犀星流の赤い風船だったのだ。
この小説は全編が会話体で書かれている。登場人物は4人。金魚の化身である赤子(映画では二階堂ふみ)、金魚を飼う老作家(大杉漣)、死者で老作家の愛人だったらしいゆり子(真木よう子)、赤子を老作家に売った金魚売り(永瀬正敏)。老作家と彼が飼っている金魚の赤子との会話を中心に物語が進む。
「夕栄え……がお臀にあたっていたら、言語に絶する美しさだからね」
「おばかさん、そんなこと平気で仰有るなら、あたい、もう遊んであげないわよ。人間も金魚もいつもきちんとしたことばを口にすべきだわ」
映画では冒頭に近いところで、この場面がある。二階堂ふみ(?)の円く柔らかなお尻が柔らかな光を受けている。この映画の通奏低音を見る者に印象づける素敵なショットだ。
小説はこんな会話が延々とつづく。情景描写は一切ない。小説によっては、読んでいて映像が次々に浮かんでくるようなものもあるけれど、ここではその手がかりになる情景描写がないから、読み手は会話のなかの乏しい情報から風景を想像するしかない。
その意味では、非映像的な文体といえるだろう。もっとも、映像的な文体をもつ小説を映画化して面白い作品になるかといえば、そうとも限らない(例えば司馬遼太郎の小説を映画化したもので成功例はほとんどない)。その意味では映像化する際の自由度が高いというか、映像化する者の腕が試される小説ではある。
室生犀星自身は、この小説をどんな映画にしようと考えたんだろうか。老作家と金魚の化身である少女の恋。『赤い風船』のように朱色の金魚と少女をめぐるメルヘン的な物語にもなりうるし、谷崎潤一郎『痴人の愛』のように奔放な少女に振り回される男の滑稽と悲哀、あるいは『瘋癲老人日記』や川端康成『眠れる美女』みたいな老人の性をめぐるエロチックでフェティッシュな物語にもなりうる。
僕が読んだ限り、人間と金魚と死者が会話するこの小説にエロチックな場面はあるものの、全体がそれに傾いているわけでもない。童話ふうな味わいもあるし、戦後の風俗小説ふうなところもある。根っからの変態である谷崎や老年にいたってネクロフィリア小説を書いた川端に比べれば、室生犀星は健全なんだなあ。
そんないろんな要素のなかから監督の石井岳龍がスポットライトを当てたのは朱色の官能性と、老作家のキャラをより立たせることだった。大きな朱色の金魚と部屋を照らす夕陽。金魚の化身である二階堂ふみは常にひらひらと尾のついた朱色のドレスを着ている。老作家と金魚が同衾する場面は、小説では老作家のお腹の上で金魚がはねている映像を喚起するだけだけど、映画では大杉漣と二階堂ふみのからみになる。といって、それがリアルに描写されるわけではない。程の良いエロティシズム。
映画ではゆり子に小説より重要な役割が与えられている。小説ではゆり子が老作家の愛人というより弟子だったと読めるけれど、映画では幽霊のゆり子は金魚の赤子に明らかな嫉妬の眼差しを向ける。ゆり子が死んだのも、老作家とのことが原因だったように受け取れる(ゆり子は赤子の朱と対照的に常に白い死装束)。また、映画には出てこない学校教師の愛人(韓英恵)も登場する。老作家は赤子と戯れるかたわら、愛人のアパートに通っている。
さらに小説には出てこない芥川龍之介(高良健吾)が登場する。映画の時代設定は、映画館でシネマスコープが上映されているから戦後。でも芥川は昭和初期に自殺しているから、彼もゆり子と同様に死者なのだ。才能あふれる芥川に対して、駄文を書いてきた老作家という対照が強調される。
だから最後、老残の作家が金魚の化身である少女と夕陽の当たる室内でダンスに興ずるシーンには、深い官能というより生きながらえてしまったいささかの滑稽味があった。
かつて石井聰互の名で傑作『狂い咲きサンダーロード』を撮った監督が、歳をくってこういう映画をつくったかと思うと感慨深い。
Comments
ご覧になったんですねー。
赤子とゆり子、赤と白の対比も面白かったです。
これ、よくぞここまで仕上げてきたなと思いました。映画化不可能だったと思うけど、妄想掻き立ててっていう設定が見事でした。
Posted by: rose_chocolat | April 16, 2016 01:57 PM
かつて鈴木清順が映画化を考えたそうですね。見てみたかった。もっと色彩が官能的に、物語はより破天荒になったかもしれません。犀星地元の資本が集まって製作したせいか、全体に品よく仕上がっていました。
Posted by: 雄 | April 16, 2016 07:57 PM