『火の山のマリア』 命を宿す山
グアテマラ映画を見るのははじめて。フランスのプロダクションと共同製作された『火の山のマリア(原題:Ixcanul=火山)』はグアテマラ出身であるハイロ・ブスタマンテ監督の長編処女作。グアテマラの現実を背景に、火山の麓に生きるマヤ系先住民少女のたどる運命を地を這うように描く。
マリア(マリア・メルセデス・コロイ)は、コーヒー農園を管理するイグナシオの土地を借り小作として働く農夫の娘。父は、男手ひとつで子供を育てるイグナシオの後妻にマリアを嫁がせることを決めて喜んでいる。マリアにはコーヒー農園で働く恋人がいて、アメリカへ不法入国することを考えている。マリアは一緒に連れていってとせがむが、彼はマリアを置いて旅立ってしまい、マリアは自分が妊娠していることを知る……。
物語だけ取り出せば、いつの時代、どの国にもある話だろう。でもこの映画を「よくある話」でなくしているのは、マリアの母親と彼らの背後にそびえる火山の存在だ。マリアの母親フアナ(マリア・テロン)は、山に生きる先住民の生き方を体現している。マリアを連れて溶岩の原で火山に祈りを捧げる。娘が妊娠したことを知ると岩から飛んで堕胎させようとするが、やがて「この子は生まれてくる運命だ」と悟って娘とお腹の子をいとおしむ。イグナシオに従順で大人しい夫が近代文明にやや染まっているのに対して、フアナは先住民の信仰と暮らしを守っている。
彼らの村の背後にそびえる富士山のような火山は、その印象的な形からしてグアテマラ高地にあるアグア山だろう。この映画ではスペイン語とカクチケル語が話されるが、アグア山の麓にはマヤ系カクチケル族が暮らしている。16世紀、スペインの征服者が麓にアンティグアの町をつくったが、アグア山の爆発で壊滅したという。
草木が生えず、今も水蒸気を吹くアグア山が繰り返し写される。その姿が圧倒的だ。子を宿したマリアは「自分が火山になったみたい」とつぶやく。子(火山)を宿したマリアと彼女を守る母、背後のアグア山とは一体になっていると感じられる。マヤの神である火山の姿は命そのものだ。暗い色調で深みのある画面が素晴らしい。
麓の原野には毒蛇が棲息していて、農民たちは作物の種をまけない。先住民の間には妊婦が歩くと毒蛇が逃げるという言い伝えがあって、マリアは自ら進んで毒蛇の原に足を踏み入れるのだが。
国民の4割を占めるマヤ系先住民がスペイン語を公用語とするシステムから取り残されている様子も描きながら、自然と一体になって生きる先住民の誇り高い生を刻みつけた。映画の最後、母がマリアにマヤの民族衣装を着せ、髪を結う。その母と娘の意思的な表情が美しい
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