『消えた声が、その名を呼ぶ』 壮大な旅
『そして、私たちは愛に帰る』が記憶に鮮やかなファティ・アキン監督の新作『消えた声が、その名を呼ぶ(原題:The Cut)』がオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺をテーマにしていると聞いたとき、アキン監督はアルメニア系かと思った。
そうではなかった。アキン監督はドイツに移民したトルコ人の両親から生まれている。虐殺の加害者側に属する。監督はこの映画についてこう語っている。「(この問題が)タブーであるという事実に興味を覚えました。……全国民が歴史家や政治家によって騙され、何世代にもわたり『そんなことは起こらなかった』と嘘をつかれていたら、国民はその事件を胸の内に閉じ込めるだけになります。それが、多くのトルコ人に起きていることです」。
トルコとアルメニアの間でいまだホットな政治問題となっているテーマを取り上げるのは、ドイツ在住とはいえ勇気とさまざまな配慮が必要だったろう。いってみればアメリカ在住の日系人監督が南京虐殺か従軍慰安婦をテーマに映画をつくるようなものだから。
映画は虐殺だけでなく、虐殺の結果として世界に散らばったアルメニア人を追う壮大な旅の映画でもあった。
主人公はトルコ東南部のアルメニア人村に住む鍛冶職人ナザレット(タハール・アキム)。第一次世界大戦のさなか、アルメニア人にオスマン・トルコ政府に反対する動きがあったことから、男たちが連行され強制労働に従事させられる。やがて男たちは虐殺され、残された家族も砂漠地帯を「死の行進」と呼ばれる過酷な移動でキャンプに移される(人数に諸説あるが、数十万のアルメニア人が殺されたという)。
この映画で印象的なのは、トルコ人が悪、アルメニア人が善、一方的な加害者と被害者という単純な二元論ではないことだ。殺す側も殺される側も、生きることと自らの倫理観のはざまでさまざまな選択を強いられる。
ナザレットは、虐殺を命じられたトルコ兵が彼を殺すことをためらったことから、喉の傷(the cut)によって声を失うが生きながらえる。行方不明になった双子の娘を探してさまようナザレットはキャンプにたどりつくが、そこは水も食料も乏しく人々は死に瀕していた。再会した兄嫁はナザレットに「殺して楽にしてほしい」と懇願し、ナザレットは彼女の首を絞める。
ナザレットはアラブ人商人に助けられる。戦争が終わり、敗北したトルコ人は町を追われる。人々はトルコ人に石を投げつけるが、ナザレットは石を投げるのをためらう。双子の娘を探す旅に出たナザレットは、ふたりがレバノンの孤児院からキューバのアルメニア人に嫁いだことを知り、キューバに向かう。ところが夫になるはずのアルメニア人は娘が脚に障害をもっていたことから結婚を断っていた。娘たちは労働者としてアメリカへ渡っていた。それを知ったナザレットは男を襲い、さらなる旅のために金を奪う。
そんなふうに善悪を超えたところでナザレットは娘を探してシリア、レバノン、キューバからアメリカへ旅する。フロリダからノースダコタへとアルメニア・コミュニティを追い、ついに娘のひとりに巡り合う。
ナザレットの旅は、虐殺の後、世界中に散ったアルメニア人の軌跡を象徴するものだ。殺されたアルメニア人、生きながらえて世界各地にさまようことになったアルメニア人のひとりひとりに、この映画と似たようなストーリーがあるのだろう。そんな歴史がこの映画を支えている。
脚本のマルディク・マーティン(『レイジング・ブル』などスコセッシ作品を書く)はアルメニア系アメリカ人。アルメニア系脚本家とトルコ人監督に、スコセッシやアルメニア系カナダ人アトム・エゴヤン監督らが協力して完成した。つくられるべくしてつくられ映画だろう。


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