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February 24, 2016

『ディーパンの闘い』 郊外の戦争

Dheepan
Dheepan(viewing film)

『ディーパンの闘い(原題:Dheepan)』の舞台はパリ近郊の都市ル・プレ・サン・ジェルヴェ。パリ北東、かつてパリ市街を囲んでいた城壁に沿って巡る環状道路の外側にある。映画で見ると、なだらかな緑のなかに工場や無機的な建築のアパートが並んでいる。住民にはアフリカ、中東、東欧、アジアから来た移民・難民がたくさんいる。その2世の若者がイスラム国などイスラム過激派に加わったことで問題になった「郊外」である。

そんな団地の管理人として、スリランカ内戦から逃れてきた元兵士ディーパン(アントニーターサン・ジェスターサン)がやってくる。郊外と難民、いまフランスのみならずヨーロッパを揺るがすテーマを取りあげて、しかもノワールの雰囲気とアクションを交えたエンタテインメントに仕立てる。ジャック・オディアール監督の見ごたえある映画だった。

ディーパンはスリランカの少数民族タミル人が組織した反政府ゲリラ「解放の虎」の元兵士。戦いに敗れ、家族を失い、見も知らぬ女性ヤリニ(カレアスワリ・スリニパサン)、孤児の少女イラヤルと3人で家族と偽り難民としてパリにやってきた。支援団体の手配で郊外団地の管理人として住み込むことになる。

団地はドラッグ密売組織が人の出入りを管理し、夜は組織の若者が武器をもってたむろする無法地帯になっている。「妻」のヤリニは団地の寝たきり老人の世話をすることになるが、老人の甥は密売組織のリーダーで部屋には怪しげな人間がたむろしている。

外では家族としてふるまう3人だが、家のなかでは他人。管理人として仕事に励むディーパンと、親戚のいるイギリスへ渡りたいヤリニは、ことあるごとに言い争いになる。イラヤルは学校になじめない。それでも少しずつフランス語を覚え、ディーパンとヤリニもやがて心を通わせるようになる。ある日、ヤリニとイラヤルは密売組織同士の銃撃戦に巻き込まれる……。

タミル語とフランス語、英語が飛びかう。主役の3人はアジア人(3人とも映画初出演)。もし日本でこういう映画をつくれば必ず主役を助ける日本人を登場させるところだが、この映画でフランス人はギャングとしてしか出てこない。というか、そもそもこういう設定、外国人主役でこの国で映画がつくれるかどうか。年に20万人の移民を受け入れ、いまや多民族国家であるフランスの現実を反映しているんだろうけど、こういう映画が成り立つこと自体フランス映画の成熟というものだろう。

ディーパン役のジェスターサンは実際に「解放の虎」の元兵士で、現在はフランスで作家として活動している。映画出演は初めて。ヤリニ役のスルニパサンはインドの演劇畑の役者。2人のごつごつした存在感が、見知らぬ土地で暮らす難民がぶつかる困難とシンクロして映画をリアルにしている。2人の控えめなラブシーンも素敵だ。

望遠系のレンズで撮ったスリランカの森のざわめきと象の眼のショットが何度か挟まれる。広角系のクールな映像ではなく望遠系を多用したショットが、ディーパンの思いとともに監督の熱い血を感じさせる。

最後、ディーパンが立ちあがるところは東映任侠映画のカタルシスに似るけど、それもまたよし。


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February 23, 2016

嶋津健一トリオを聞く

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Simazu Ken'ichi Trio live

久しぶりに嶋津健一トリオを聞いた(2月22日、青山・Body & Soul)。

このところ加藤真一(b)、今村健太郎(ds)と組んだライブが多い。ふたりは2組ある嶋津トリオの別のトリオのメンバー。よく歌うベースの加藤と、若くて切れのいい今村のドラムスと組んだこの新しいトリオがいちばんいい音を出すと思う。

ライブはいつものように、島津が好きな作曲家の曲とオリジナルとを半分ずつ。エリントン、ミシェル・ルグラン、ジョニー・マンデル、A.C.ジョビンら。

ルグランの「シェルブールの雨傘」は、CDに収められた情感あふれる演奏から一転しスイングしまくって客をのせる。マンデルの「シースケープ」は嶋津好みの美しいバラード。ジョビンの「3月の水」もボサノバのテイストを抜いて現代音楽みたい。と思うと、リストの「愛の夢」をクラシックとは思えない編曲で見事なジャズに。オリジナルの「はらぺこ」はハードパップ。「嶋津の子守歌」は加藤のベースが、かのバードランドの名曲を連想させるメロディを弾く。ピアニスト嶋津の多彩な魅力を堪能しました。


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『俳優 亀岡拓次』 下品にならない匂い

Photo
The Actor Kameoka Takuji(viewing film)

冒頭、仕事を終えた亀岡拓次(安田顕)が行きつけのスナックのトイレで盛大におならをぶっ放す。この映画、ほかにもゲップとか嘔吐とか紙おむつとか、亀岡が彼の身体から排出するものが物語の重要な鍵になっている。亀岡が発する身体の匂いがこの映画を染めあげている。そういう映画は得てしてこてこてのテイストになってしまいがちだけど、『俳優 亀岡拓次』はそこを下品にならないぎりぎりで処理して、(たぶん若い女性にも)気持ち悪さを感じさせない。

それは監督の横浜聡子が女性だからなのか、若い世代(38歳)だからなのか。その両方なのか。濃い(濃すぎる)日本映画をたくさん見てきた世代からすれば、それが不満でもあり、でも今の感覚からすればこのあっさり加減がいいのかな、と思ったり。

脇役専門の役者、亀岡拓次は37歳、独身。撮影現場の仕事が終われば、脇役仲間と酒を飲むだけの日々。仕事と自分の生活がのんべんだらりとつながっていて、二日酔いで時代劇の現場に行き刀の柄が腹に入って思わず吐いたり。そのリアルを思いがけず監督に称賛されたり。キャバクラのシーンで素人女性とのからみでは「本物の酒でやります」と場を盛り上げたり。殴られるシーンでは白目を飛び出すように剥く特技をもっていたり。珍しく演劇に出て大女優(三田佳子)の乳をもみ、褒められたのか貶されたのか分からない言葉をかけられたり。

全体をつなぐのは、ロケ先の諏訪で入った居酒屋を手伝う安曇さん(麻生久美子)への淡い恋。そのとき店のテレビでは、アメリカの女性宇宙飛行士が不倫に決着をつけるため紙おむつをはいて大陸を車で横断したというニュースが流れている(このニュースは僕も覚えている)。亀岡は「今度は紙おむつをはいて会いにきますよ」と安曇さんに言い、実際に東京から諏訪まで紙おむつをはいてバイク(ちゃんとしたバイクでなくてカブ。スクリーン・プロセスが懐しい)で会いに行く。

亀岡が安曇さんに紙おむつをはいてと言うシーン、原作では安曇さんが「私が替えてあげますよ」と応ずるらしいが、映画では笑っているだけ。原作通りなら、そこでがらりと空気が変わってしまうだろう。そのセリフは楚々とした麻生久美子に似合わない。ただ広大なアメリカ大陸でなく東京から諏訪なので、トイレに行く時間も惜しんで車を飛ばすその面白味がいまいち伝わらなかったのが惜しい。

安田顕は芝居の世界では名のある人らしいけど、脇役専門という設定どおり何本かの映画で顔は知っているけど名前は知らなかった。これで覚えましたね。いくつもの撮影現場の監督が新井浩文、染谷将太、山崎努と主役級の役者が脇に回り、安田顕を主役にするキャストもこの映画にふさわしい。

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February 19, 2016

劉震雲『盗みは人のためならず』を読む

Nusumi_ryuu

劉震雲『盗みは人のためならず』(彩流社)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/


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February 10, 2016

奥鬼怒温泉で雪見風呂

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a trip to Okukinu Spa

奥鬼怒温泉へ行ってきた。去年の秋につづいて二度目。鬼怒川源流近くにある三つの温泉のひとつ、加仁湯。標高1400メートルにある。

宿のご主人によると今年の雪の少なさは記憶にないくらいで、1月17日の雪でようやく本格的な雪景色になった。それでも周囲の風景は例年なら4月上旬くらいのものだそうだ。

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ここは5本の源泉を持ち、そのうち4本が硫黄泉で濁り湯。湧き出るときは透明だが、時間がたつと白濁する。内湯、三つの露天風呂など六つの風呂があるが、源泉掛け流しなので温度の調節がむずかしいようだ。熱い湯もあればぬるい湯もある。鬼怒川を見下ろすかたちになるこの露天はいつもちょっとぬるめ、長時間入っていられるので気持ちいい。

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対岸には岩が柱のようになる柱状節理があり、ライトアップされている。


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February 07, 2016

『消えた声が、その名を呼ぶ』 壮大な旅

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The Cut(viewing film)

『そして、私たちは愛に帰る』が記憶に鮮やかなファティ・アキン監督の新作『消えた声が、その名を呼ぶ(原題:The Cut)』がオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺をテーマにしていると聞いたとき、アキン監督はアルメニア系かと思った。

そうではなかった。アキン監督はドイツに移民したトルコ人の両親から生まれている。虐殺の加害者側に属する。監督はこの映画についてこう語っている。「(この問題が)タブーであるという事実に興味を覚えました。……全国民が歴史家や政治家によって騙され、何世代にもわたり『そんなことは起こらなかった』と嘘をつかれていたら、国民はその事件を胸の内に閉じ込めるだけになります。それが、多くのトルコ人に起きていることです」。

トルコとアルメニアの間でいまだホットな政治問題となっているテーマを取り上げるのは、ドイツ在住とはいえ勇気とさまざまな配慮が必要だったろう。いってみればアメリカ在住の日系人監督が南京虐殺か従軍慰安婦をテーマに映画をつくるようなものだから。

映画は虐殺だけでなく、虐殺の結果として世界に散らばったアルメニア人を追う壮大な旅の映画でもあった。

主人公はトルコ東南部のアルメニア人村に住む鍛冶職人ナザレット(タハール・アキム)。第一次世界大戦のさなか、アルメニア人にオスマン・トルコ政府に反対する動きがあったことから、男たちが連行され強制労働に従事させられる。やがて男たちは虐殺され、残された家族も砂漠地帯を「死の行進」と呼ばれる過酷な移動でキャンプに移される(人数に諸説あるが、数十万のアルメニア人が殺されたという)。

この映画で印象的なのは、トルコ人が悪、アルメニア人が善、一方的な加害者と被害者という単純な二元論ではないことだ。殺す側も殺される側も、生きることと自らの倫理観のはざまでさまざまな選択を強いられる。

ナザレットは、虐殺を命じられたトルコ兵が彼を殺すことをためらったことから、喉の傷(the cut)によって声を失うが生きながらえる。行方不明になった双子の娘を探してさまようナザレットはキャンプにたどりつくが、そこは水も食料も乏しく人々は死に瀕していた。再会した兄嫁はナザレットに「殺して楽にしてほしい」と懇願し、ナザレットは彼女の首を絞める。

ナザレットはアラブ人商人に助けられる。戦争が終わり、敗北したトルコ人は町を追われる。人々はトルコ人に石を投げつけるが、ナザレットは石を投げるのをためらう。双子の娘を探す旅に出たナザレットは、ふたりがレバノンの孤児院からキューバのアルメニア人に嫁いだことを知り、キューバに向かう。ところが夫になるはずのアルメニア人は娘が脚に障害をもっていたことから結婚を断っていた。娘たちは労働者としてアメリカへ渡っていた。それを知ったナザレットは男を襲い、さらなる旅のために金を奪う。

そんなふうに善悪を超えたところでナザレットは娘を探してシリア、レバノン、キューバからアメリカへ旅する。フロリダからノースダコタへとアルメニア・コミュニティを追い、ついに娘のひとりに巡り合う。

ナザレットの旅は、虐殺の後、世界中に散ったアルメニア人の軌跡を象徴するものだ。殺されたアルメニア人、生きながらえて世界各地にさまようことになったアルメニア人のひとりひとりに、この映画と似たようなストーリーがあるのだろう。そんな歴史がこの映画を支えている。

脚本のマルディク・マーティン(『レイジング・ブル』などスコセッシ作品を書く)はアルメニア系アメリカ人。アルメニア系脚本家とトルコ人監督に、スコセッシやアルメニア系カナダ人アトム・エゴヤン監督らが協力して完成した。つくられるべくしてつくられ映画だろう。

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February 06, 2016

浦和ご近所探索 再び敦煌閣

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walking the neighborhood in Urawa

北浦和駅西口線路沿いの敦煌閣へ、先々週につづいて二度目。

甘粛省蘭州出身の夫婦がやっている。ご亭主は蘭州と新宿のヒルトンホテルで中華の修業を積んできた。いったん故郷へ帰ったが、子供さんの教育のために日本に戻ったそうだ。

店構えは町の中華屋だけど、ホテルで修業しただけに味は本格派。

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前回は蘭州牛肉ラーメンを頼んだけど、今日はジャガイモの酢と唐辛子炒め。10年もの紹興酒とともに、いけます。

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高菜と牛肉の炒飯。

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『ブリッジ・オブ・スパイ』 The Standing Man

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Bridge of Spies(viewing film)

実話に基づいた『ブリッジ・オブ・スパイ(原題:Bridge of Spies)』を見ていて、スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスの組み合わせはかつてのジョン・フォードとジョン・ウェインみたいだなあと思った。映画のなかで「Standing Man(字幕は「不屈の男」だったか)」というセリフが出てきたときだ。

米ソ冷戦のさなか、ソ連のスパイであるアベル(マーク・ライランス)がニューヨークで逮捕される。その直後に米軍のU2偵察機がソ連で撃墜され、パイロットが拘束される。起訴されたアベルの弁護士ドノヴァン(トム・ハンクス)は、密かに東ベルリンでソ連の当局者と2人を交換する交渉を任される。

ドノヴァンはナチス戦犯を裁くニュールンベルク裁判に関わった経歴を持つ弁護士だが、現在は保険関係の仕事をしており、事務所の都合でアベルの弁護を引き受けることになった。周囲からソ連のスパイを弁護するのかと白い目で見られ、自宅に銃弾を撃ち込まれる。それでもアベルに対して公正な態度を貫き、弁護士としてまた交渉役としての役割を果たす。そんなドノヴァンに対してアベルが言うのが「あんたはStanding Manだな」というセリフ。

Standing Manというのは、すっくと立ち尽くす男、信念を貫く男といった感じだろうか。他人に依存せず、自立して、ひとりで生きぬく男というのはアメリカ人が理想とする精神の在り方だ。ヘミングウェーの「敗れざる者(The Undefeated)」という言葉にも通ずる。

かつてのハリウッドで、そんなアメリカの独立独歩の精神を体現していたのはジョン・フォード映画のジョン・ウェインだった。『ブリッジ・オブ・スパイ』のスピルバーグとトム・ハンクスのコンビは、その21世紀版であるように見える。フォード=ウェイン組が草の根保守なのに対してスピルバーグ=ハンクス組は都会派リベラルと体質の差はあるけれど、根っこの精神は同じものだ。

ソ連のスパイを弁護するのかと詰めよる愛国者に対して法律家であるドノヴァンは、スパイであっても憲法に則って裁くのがアメリカという国だと譲らない。それを支えるのは、憲法の文言を文字どおり生きることが自分の精神だという姿勢。その不屈の生き方を、アベルはStanding Manと呼んだ。その正義派ぶりが恰好よすぎる感じもするけれど……。

映画として派手なドンパチがあるわけではないが、ソ連に加え東ドイツ当局も交えた息詰まる交渉がスリリングに描かれる。同時に惹かれたのは冷戦期の空気がよくわかること。東西ベルリンの境界に壁が築かれていく様子が同時進行で再現されているのがリアルだ。50年代のブルックリンの街も。映画としての見事さと、若干の不満(型どおりのヒューマニズムとアメリカ的正義)と、良くも悪くもスピルバーグでした。

脚本に参加しているコーエン兄弟はどういう役割だったんだろう。よく分からなかった。まさか「ソビエト社会主義共和国連邦って国名は長すぎる」とか、ジョーク担当じゃないだろうけど。


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February 05, 2016

石川竜一展へ

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Ishikawa Ryuiti photo exhibition

『Okinawan Portraits2010-2012』『絶景のポリフォニー』で昨年の木村伊兵衛賞と日本写真協会賞をうけた石川竜一の写真展へ(横浜・横浜市民ギャラリーあざみ野、~2月21日)。

受賞作を中心に、それ以前の「脳みそポートレイト」(人体の合成写真。原点がわかる)、「ryu-graph」(カメラ抜きのフィルム上の表現)、「目窓」(インドのスナップショット)などと、近作の「CAMP」(自然風景)、「考えたときには、もう目の前にはいない」(インスタントフィルムによる日記)。

石川が何を考え、何を表現してきたかがわかる充実した展示でした。

同時開催の「『自然の鉛筆』を読む」は写真草創期の作品と機材。こちらも面白い。

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February 03, 2016

梅一輪、やっと咲く

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ご近所の梅はもう満開なのに、わが家の梅がやっと一輪開花。

今年も実がたくさんなって、梅ジャムと梅シロップが楽しめるといいんだけど。


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