『世紀の光』 ヒトの前世
Syndoromes and a Century(vewing film)
『世紀の光(英題:Syndoromes and a Century)』は、なんとも不思議な感触のタイ映画だった。
前半と後半で似た設定、似た会話が二度繰り返される。一度目は田園のなかののどかな病院。二度目は都会のハイテク施設が整った病院。若い女医が新人の男性医師を面接している。その女医と新人医師の、田園と都会それぞれの病院での日常が描かれる。
といっても物語らしい物語はない。女医が老僧を治療する。老僧は「前世は人間じゃなかった」と語る。新人医師が若い僧侶の歯を治療する。二人には同性同士惹かれあっている気配がある。女医は同僚から「恋をしたことは?」と尋ねられ、映像はいきなり恋に落ちたときの記憶に飛ぶ。 病院の庭で祭の夜にコンサートが開かれ、歌手でもある新人医師が歌っている。でもそういったエピソードが次の展開につながっていくわけではない。日常の断片の集積。「鶏のカルマ」といった言葉が病院内で交わされる。ベテランの女医が患者の頭に手を当て、チャクラの説明をしながら気の治療をしている。
そんな断片的なエピソードの合間に、自然の風景や病院内の光景が挟みこまれる。それぞれの病院の庭にある大樹が風に揺らぐのを俯瞰で捉えた印象的なショット。どこまでも続く水田の緑。真っ白な病院の廊下や診察室。機械室にある太い換気パイプの穴が不気味。ノイズのようにかすかな電子音がかぶさる。この映画とデヴィット・リンチを結びつけた誰だったかのコメントがあったけど、確かにこのあたり『イレイザー・ヘッド』を連想させる。
どうもこの映画の主人公は人間ではないみたいだ。因果関係の絡んだ物語を持たないこの映画の登場人物は、映画を構成する一部分にすぎない。あるいは、自己という主体を持った(持っているようにみえる)人間を、彼らを取り巻く外の世界に二方向から溶かしこもうとしているように見える。
外の世界のひとつは、植物や動物といった自然であり、そこで人間は前世は虫か鶏であったかもしれない存在になる。外の世界のもう一方向は無機的な人工物。人間がつくったものでありながら人間から独立し、それ自体で存在しているような世界。自然と人工の二様の世界に囲まれた登場人物たちは、外の世界に浸透され、また外の世界に滲み出る、薄い細胞膜で外部と区切られた生命体にすぎない。でもそんな生命体が営む愛や恋は、だからこそ唯一無二で尊いともいえる。
豊かな自然と都市の混沌がともにあるタイでこそ生まれた映画かもしれない。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブンミおじさんの森』は素晴らしい映画だったけど、これはその4年前、2006年につくられた映画。やっと公開された。
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