『殺されたミンジュ』 いたぶりあう弱者
『殺されたミンジュ(原題:1対1)』はいかにもキム・ギドク監督らしい暗喩だらけ、しかも最後に強烈な逆転のある映画だったなあ。
夜のソウル、女子高生ミンジュが集団に襲われ、殺される。映画はそこから始まるが、映画を見終えてもミンジュが誰によって何のために殺されたのか、その理由は分からない。ただミンジュという少女が殺されたという事実のみ残る。
ミンジュという名前は、漢字で書けば敏珠とでもなるんだろうか。韓国でもそんなに多くない名前だと思う。韓国人がふつう「ミンジュ」という音で思い浮べるのは「民主」だろう。監督はインタビューで「(映画の)出発点は現在の韓国社会における不正・腐敗に対する怒り」だったと答えている(読売新聞、1月22日)。その言葉を重ねれば、殺されたミンジュに「民主主義が殺された」というメッセージが隠されていることは想像がつく。
でもこの監督のことだから、観念的な映画をつくるわけではない。すさまじい復讐劇が始まる。
ミンジュを殺した男たちがひとり、またひとりと拉致され拷問されて、「あの日なにをやったか書け」と強要される。ミンジュを殺した男たちは国家機関に属しているらしい。最初に拷問を受けたヘヨン(キム・ヨンミン)も拉致された他のメンバーも異口同音に「命じられたことをやっただけだ」と答える。
ミンジュを殺した7人の男を拉致するのは軍人や警察官に変装し、シャドーと名乗る7人組。リーダー(マ・ドンソク)は男たちを激しく憎み、拷問をエスカレートさせる。金槌で指をつぶすシーンなど見る者の神経を逆なでするキム・ギドク印全開。リーダーのあまりの過激さに、躊躇しはじめるメンバーもでてくる。
シャドーによる復讐と並行して、強面なシャドーのメンバーの素顔が描かれる。リーダーはミンジュの父親であるらしい。他のメンバーは、同居する男のDVを受けながら生活費をもらって生きる、リーダーの片腕の女。アメリカ留学したが仕事せず兄一家に依存する高学歴ニート。家から追い出され母親とホームレス状態の男。皆が弱者で、この社会に対し恨みを持っている。
キム・ギドクは、ここでもうひとつの仕掛けを用意している。社会的弱者である7人のメンバーを私生活でいたぶる役を、ミンジュを殺しシャドーに拷問されるヘヨン役のキム・ヨンミンが1人7役で演じているのだ。シャドーがいたぶるのもいたぶられるのも実は同一人物であるという、弱者同士のいたぶりあい。そこにはキム・ギドクの現在の韓国社会(ひいては世界)への認識が反映されているだろう。
ヘヨンはシャドーに復讐しようとアジトを探し、ヘヨンの仲間や上司が拷問され、彼らが何を語るのかを盗み見ている。最後、リーダーとヘヨンが1対1(原題)で顔を合わせる。リーダーの悲しみを、ヘヨンが受け取る……。
物語も映像もキム・ギドクらしい強引さと過激さに貫かれている。最後にそれが反転して静寂に至るのも、最近の彼の映画の特徴だろう。昔の『青い門』『悪い男』『魚と寝る女』といった傑作群が湛えていた風俗映画ぽいゆるさと丁寧な描きこみが薄くなり、性急すぎて荒っぽく感じられるのは寂しいけど、それだけ韓国社会もキム・ギドクも煮詰まってきているということだろうか。
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