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January 31, 2016

『殺されたミンジュ』 いたぶりあう弱者

Oneonone
One on One(viewing film)

『殺されたミンジュ(原題:1対1)』はいかにもキム・ギドク監督らしい暗喩だらけ、しかも最後に強烈な逆転のある映画だったなあ。

夜のソウル、女子高生ミンジュが集団に襲われ、殺される。映画はそこから始まるが、映画を見終えてもミンジュが誰によって何のために殺されたのか、その理由は分からない。ただミンジュという少女が殺されたという事実のみ残る。

ミンジュという名前は、漢字で書けば敏珠とでもなるんだろうか。韓国でもそんなに多くない名前だと思う。韓国人がふつう「ミンジュ」という音で思い浮べるのは「民主」だろう。監督はインタビューで「(映画の)出発点は現在の韓国社会における不正・腐敗に対する怒り」だったと答えている(読売新聞、1月22日)。その言葉を重ねれば、殺されたミンジュに「民主主義が殺された」というメッセージが隠されていることは想像がつく。

でもこの監督のことだから、観念的な映画をつくるわけではない。すさまじい復讐劇が始まる。

ミンジュを殺した男たちがひとり、またひとりと拉致され拷問されて、「あの日なにをやったか書け」と強要される。ミンジュを殺した男たちは国家機関に属しているらしい。最初に拷問を受けたヘヨン(キム・ヨンミン)も拉致された他のメンバーも異口同音に「命じられたことをやっただけだ」と答える。

ミンジュを殺した7人の男を拉致するのは軍人や警察官に変装し、シャドーと名乗る7人組。リーダー(マ・ドンソク)は男たちを激しく憎み、拷問をエスカレートさせる。金槌で指をつぶすシーンなど見る者の神経を逆なでするキム・ギドク印全開。リーダーのあまりの過激さに、躊躇しはじめるメンバーもでてくる。

シャドーによる復讐と並行して、強面なシャドーのメンバーの素顔が描かれる。リーダーはミンジュの父親であるらしい。他のメンバーは、同居する男のDVを受けながら生活費をもらって生きる、リーダーの片腕の女。アメリカ留学したが仕事せず兄一家に依存する高学歴ニート。家から追い出され母親とホームレス状態の男。皆が弱者で、この社会に対し恨みを持っている。

キム・ギドクは、ここでもうひとつの仕掛けを用意している。社会的弱者である7人のメンバーを私生活でいたぶる役を、ミンジュを殺しシャドーに拷問されるヘヨン役のキム・ヨンミンが1人7役で演じているのだ。シャドーがいたぶるのもいたぶられるのも実は同一人物であるという、弱者同士のいたぶりあい。そこにはキム・ギドクの現在の韓国社会(ひいては世界)への認識が反映されているだろう。

ヘヨンはシャドーに復讐しようとアジトを探し、ヘヨンの仲間や上司が拷問され、彼らが何を語るのかを盗み見ている。最後、リーダーとヘヨンが1対1(原題)で顔を合わせる。リーダーの悲しみを、ヘヨンが受け取る……。

物語も映像もキム・ギドクらしい強引さと過激さに貫かれている。最後にそれが反転して静寂に至るのも、最近の彼の映画の特徴だろう。昔の『青い門』『悪い男』『魚と寝る女』といった傑作群が湛えていた風俗映画ぽいゆるさと丁寧な描きこみが薄くなり、性急すぎて荒っぽく感じられるのは寂しいけど、それだけ韓国社会もキム・ギドクも煮詰まってきているということだろうか。


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January 30, 2016

『ようこそ日本へ』展

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Visit Japan Tourism Promotion in the 1920s and 1930s

「1920-1930年代のツーリズムとデザイン」とサブタイトルを打たれた『ようこそ日本へ』展(竹橋・国立近代美術館、~2月28日)へ。

この時代、世界中に船舶・鉄道網が張り巡らされたことで成立した国際的なツーリズムの波のなかで、日本も国策として満洲・朝鮮半島・台湾を含む「日本」へと観光客を誘致しようとした。

その時代の満鉄、日本郵船など海運会社、ジャパン・ツーリスト・ビュロー(後の日本交通公社)、鉄道省国際観光局などが製作したポスター、パンフレットが集められている。第一線の画家、イラストレーター、写真家、デザイナーが動員された。

伊藤順三の満鉄ポスター(上の写真左は伊藤作)、実物を見るのは初めてだけど絵もデザイン感覚も見事なもの。他にも明治以来の美人画あり、カッサンドルふうなポスターあり、杉浦非水の風景画、吉田初三郎の鳥瞰図、竹久夢二のアメリカ航路ディナーメニューなどなど。小石清が大阪城を撮ったDISCOVER JAPANふうな国鉄ポスター、木村伊兵衛が原節子を撮り、原弘がデザインした雑誌『Travel in Japan』も展示されている。

遅れてきた帝国主義の一員として欧米の視線に同化した植民地へのオリエンタリズム、アールデコだったりモダンだったりするデザイン感覚、日本神話ふうな意匠、迫り来る戦争の予兆、いろんな要素が混在しているのが面白い。

こういうのがタダで見られる(65歳以上無料)のも嬉しい。

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January 28, 2016

『世紀の光』 ヒトの前世

Photo
Syndoromes and a Century(vewing film)

『世紀の光(英題:Syndoromes and a Century)』は、なんとも不思議な感触のタイ映画だった。

前半と後半で似た設定、似た会話が二度繰り返される。一度目は田園のなかののどかな病院。二度目は都会のハイテク施設が整った病院。若い女医が新人の男性医師を面接している。その女医と新人医師の、田園と都会それぞれの病院での日常が描かれる。

といっても物語らしい物語はない。女医が老僧を治療する。老僧は「前世は人間じゃなかった」と語る。新人医師が若い僧侶の歯を治療する。二人には同性同士惹かれあっている気配がある。女医は同僚から「恋をしたことは?」と尋ねられ、映像はいきなり恋に落ちたときの記憶に飛ぶ。 病院の庭で祭の夜にコンサートが開かれ、歌手でもある新人医師が歌っている。でもそういったエピソードが次の展開につながっていくわけではない。日常の断片の集積。「鶏のカルマ」といった言葉が病院内で交わされる。ベテランの女医が患者の頭に手を当て、チャクラの説明をしながら気の治療をしている。

そんな断片的なエピソードの合間に、自然の風景や病院内の光景が挟みこまれる。それぞれの病院の庭にある大樹が風に揺らぐのを俯瞰で捉えた印象的なショット。どこまでも続く水田の緑。真っ白な病院の廊下や診察室。機械室にある太い換気パイプの穴が不気味。ノイズのようにかすかな電子音がかぶさる。この映画とデヴィット・リンチを結びつけた誰だったかのコメントがあったけど、確かにこのあたり『イレイザー・ヘッド』を連想させる。

どうもこの映画の主人公は人間ではないみたいだ。因果関係の絡んだ物語を持たないこの映画の登場人物は、映画を構成する一部分にすぎない。あるいは、自己という主体を持った(持っているようにみえる)人間を、彼らを取り巻く外の世界に二方向から溶かしこもうとしているように見える。

外の世界のひとつは、植物や動物といった自然であり、そこで人間は前世は虫か鶏であったかもしれない存在になる。外の世界のもう一方向は無機的な人工物。人間がつくったものでありながら人間から独立し、それ自体で存在しているような世界。自然と人工の二様の世界に囲まれた登場人物たちは、外の世界に浸透され、また外の世界に滲み出る、薄い細胞膜で外部と区切られた生命体にすぎない。でもそんな生命体が営む愛や恋は、だからこそ唯一無二で尊いともいえる。

豊かな自然と都市の混沌がともにあるタイでこそ生まれた映画かもしれない。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブンミおじさんの森』は素晴らしい映画だったけど、これはその4年前、2006年につくられた映画。やっと公開された。


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January 25, 2016

浦和ご近所探索 蘭州牛肉ラーメン

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北浦和駅西口の線路際に「敦煌閣」という新しい中華料理店ができたので行ってみる。

ここは以前「茜茜餃子」という店だったところ。長春出身の崔さんがやっていて、とても美味しい水餃子を食べさせてくれたが素人経営の悲しさ、店をたたんでしまった。

敦煌という店名、看板に大書されている「蘭州牛肉ラーメン」の文字が気になった。敦煌も蘭州も、モンゴルや新疆ウィグル自治区に接する内陸の甘粛省にある。

ここはやはり蘭州牛肉ラーメンを頼む。牛を煮込んだスープに色んな香辛料を漬けこんだ特製ラー油がかかり、刻んだ香菜と葱が載っている。具は牛肉に薄切り大根、ゆで卵。麺に腰がある。旨い。

夫婦でやっていて、二人とも蘭州出身だという。まだ日本語がたどたどしい。他のお客が頼んだ料理を見ていると本格的な中華みたいだ。今度は夜に来ていろいろ試してみよう。


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January 24, 2016

森山大道写真展「通過者の視線」その他

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Moriyama Daido photo exhibition

池袋の東京芸術劇場へ森山大道写真展を見に行ったら、入口を入ってすぐの大型画面でいきなり森山さんに会った。

写真展は1980年代の「光と影」、複写物を拡大して網目のイメージをシルク・スクリーン化した「網目の世界」、彼が10年以上住む池袋をカラーで撮った新作「通過者の視線」の3つのパートからなる。

「光と影」のプリントは何度か見ているが、改めて森山流の「なぜ植物図鑑か」だったんだなあと思う。「網目の世界」は森山大道ならではのフェティッシュな世界。近作の「通過者の視線」では若いころと変わらないエネルギーに脱帽!(~2月20日)

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January 23, 2016

『米軍が見た東京1945秋』を読む

Beigun_satoh

写真集『米軍が見た東京1945秋』(文・構成 佐藤洋一、洋泉社)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/


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January 18, 2016

『007 スペクター』 女優2人もお楽しみ

Spectre
Spectre(viewing film)

ダニエル・クレイグになってからの007はシリーズのお約束を盛り込みながら、しっかりしたドラマをつくり、しかもアクション映画としての完成度も高い。前作『スカイフォール』は『ロシアより愛をこめて』以来の傑作だと思うけど、『007 スペクター(原題:Spectre)』はその続編。『スカイフォール』がボンドと「母」をめぐる映画だとしたら、『スペクター』は「父」をめぐる映画になっている。

『スカイフォール』の敵役ハビエル・バルデムは殺しのナンバー00をもつ元英国諜報部員。ボンドが「マム」と呼ぶジュディ・デンチのMに裏切られて彼女に復讐しようとし、ボンドが「マム」を守ろうとするのがドラマの骨格だった。今回の『スペクター』の敵役オーベルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)はスペクターの影のボス。オーベルハウザーの父親はかつて孤児になったボンドの父親代わりを務めていた。父の愛をボンドに奪われたオーベルハウザーは父を殺し、自らは死んだと偽装して名前を変え、スペクターの首領としてボンドに復讐の機会を狙っていた。だから映画は「父」を奪われたオーベルハウザーのボンドへの復讐譚になっている。

とはいえ、そんな物語が映画の前面に出ているわけではなく、いわば隠し味。もともと荒唐無稽で古風なスパイ小説(中学時代、愛読しました)を現代にリアリティあるものにする役割を果たしている。映画としてはあくまでアクションとボンド・ガールとシリーズのお約束である車の新兵器とか、常連マネーペニーやQとの会話が楽しいエンタテインメント。

この映画では2人のボンド・ガールを楽しんだ。何を隠そうレア・セドゥとモニカ・ベルッチはご贔屓の女優なんですね。

レア・セドゥはスペクターを裏切った男の娘役。医者の白衣からドレスまで衣装をとっかえひっかえオーストリア、モロッコ、ロンドンとボンドと行動を共にする。ちょっと斜に構えて冷たい視線で男を見つめる表情が魅力的。レアを初めて見たのは『イングロリアス・バスターズ』だけど、印象に残ってない。いいなあと思ったのは『ミッドナイト・イン・パリ』でちょっと出たのと、『ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル』の女殺し屋。大胆な『アデル ブルーは熱い色』では、短髪を青く染めててまた別の魅力があった。

モニカ・ベルッチはボンドが殺したギャングの未亡人役。出番はわずかだけど、さすがの貫禄。彼女の映画を思い出すと、なんといっても『マレーナ』がよかった。去年見た『サイの季節』のような社会派映画にも出るけど、『ダニエラという女』とか『シューテム・アップ』とかB級映画の色っぽい役が素敵だ。

なんてことを考えながら女優を楽しみ、アクションと会話を楽しみ、長い映画だけどまったく飽きさせないのはさすが。この1年、『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』にしても『ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション』にしても面白いアクション映画を見た。それらに比べたとき007シリーズの特徴はなにかといえば、しっかりしたドラマづくりはもちろんとして、もうひとつ上品さじゃないだろうか。アクションにしても会話にしてもお色気にしても、ぐりぐり尖がらず寸止めして品よく収める。やっぱりイギリス映画だなあと感ずる。

脚本では『ワールド・イズ・ノット・イナフ』(1999)以来の2人、ニール・パーヴィスとロバート・ウェイドがシリーズの一貫性を支え、前作から加わったジョン・ローガン(『アビエイター』『ヒューゴ』)がドラマ部分を組立ててるんだろう。やはり前作からのサム・メンデス監督と、撮影はホイテ・ヴァン・ホイテマ(『裏切りのサーカス』『インターステラー』)。これだけのスタッフを揃えれば面白い映画ができないわけながい。

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January 09, 2016

『神様なんかくそくらえ』 ストリート・キッズの世界

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Heaven Knows What(viewing film)

『神様なんかくそくらえ(原題:Heaven Knows What)』は、ニューヨークのホームレスである少女のラブ・ストーリー。主演のアリエル・ホームズは実際にこの街でホームレスとして暮らした経験があり、彼女の手記「Mad Love in NYC」に基づいて映画がつくられた。ほかにもストリート・キッズだった少年やブルックリン生まれのラッパーが出演し、現実のストリート・キッズの世界にカメラがもぐりこんだみたいなリアリティがある。アリエルが映画にはじめて出たとは思えない存在感で素敵だ。

映画が始まってすぐ、ハーリー(アリエル・ホームズ)は同じホームレスの恋人イリヤ(ケレイブ・ランドリー・ジョーンズ)が「俺を愛してるなら手首を切ってみろ」という言葉を受けて、カミソリで手首を切る。イリヤはあわてて救急車を呼ぶが、そのまま姿をくらます。イリヤはドラッグ中毒でハーリーにドラッグを教え、彼女の持ち物を持ち去ったりする、わがままで最低の男。そんな恋人に、ハーリーはどこまでもついてゆく。

ハーリーたちが暮らしているのはアッパー・ウェストサイドのようだ。セントラク・パークの西、カメラには86丁目やアムステルダム・アベニューが映っている。セントラル・パークの大きな貯水池のあたり、起伏もあって、人目につかずホームレスがたむろす場所がたくさんあるからだろうか。実際、公園のなかでドラッグをやったり、ケンカしたりするシーンが何度も出てくる。

イリヤがいなくなって、ハーリーはドラッグの売人マイク(バディ・テュレス)の部屋にころがりこむ。彼女の携帯に、イリヤがドラッグを過剰摂取して死にそうだと電話がかかってくる。ファスト・フード店のトイレで倒れ、意識不明になっているイリヤ。再会した2人だが会えば言い争い、ハーリーの携帯をイリヤが奪って夜空に投げるとそれが光の糸を引いて星にまぎれてゆく。冨田勲のシンセサイザー曲「月の光」がかぶさる。リアルな映画のなかで唯一幻想的なシーンが素晴らしい。

ハーリーとイリヤは長距離バスに乗ってフロリダをめざす。このあたり、ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を思わせる(原題もこれを意識しているのか?)。ジャームッシュだけでなく、ニューヨークの若者が南をめざすのはアメリカの青春小説、青春映画の典型だけど、この映画もその流れのなかにある。

インディペンデントのジョシュア&サフディ兄弟の監督作品。

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January 03, 2016

調神社へ初詣

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good-luck arrow of the year of monkey

浦和の氏神、調神社(つきのみや)に初詣に行き、神矢を買う。わが家から歩いて30分ほどだけど、今年は暖かくて汗ばむくらい。

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January 01, 2016

あけましておめでとうございます

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Happy New Year!

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

元旦、まずは浦和の氏神、調(つきのみや)の神を祀る神棚にお酒と灯明をあげて挨拶。

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わが家のおせち。煮物の筍、椎茸、人参、八つ頭、酢ばす、ごぼう、きんとん、なます、ローストビーフは大晦日に一日かけてつくった。といっても、小生は皮をむいたり刻んだりの下ごしらえで、味つけには手を出させてもらえなかったが。屠蘇は金城次郎の抱瓶(だちびん)で。

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