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December 30, 2015

映画・2015年の10本

Madmax2
My best 10 cinemas in 2015

◎『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』
今年は順番をつけないけど、1本を選べと言われたら文句なくこれ。CGではなくスタント200人の身体を張った壮絶アクション。実際につくられた怪奇な改造車の群れ。トム・ハーディとシャーリーズ・セロンの艶っぽさがたまらない。これこそ映画を見る快楽。21世紀最高のアクション映画でしょう。

◎『裁かれるは善人のみ』
原題は「リヴァイアサン」。北極圏のすがれた海岸町で、男と女が愛に惑い権力者に踏みつぶされる。その隔絶した風景と人間ドラマが、国家が個人を押しつぶすホッブズの怪物を、さらには「ヨブ記」の怪物をと、ふたつのリヴァイアサンを思い起こさせる。象徴性に富み、タルコフスキー以来のロシア映画の伝統を継ぐ作品でした。

◎『光のノスタルジア』『真珠のボタン』
ここ数年、秀作ドキュメンタリーの劇場公開が増えました。これもその一つ。チリのアタカマ砂漠にある天文台が捉える宇宙の姿と、ピノチェト政権が虐殺した人々の遺骨を砂漠に探す遺族たち。その天と地の対比が無言のうちに人間のおろかさ愛しさを映し出す。

◎『ハッピーアワー』
神戸に生きる4人の30代女性の日常がみずみずしい。上映時間5時間17分。主演の4人は濱口竜介監督のワークショップに参加した演技未経験の市民。製作には自治体が関与し、資金集めにクラウド・ファンディング。時間を濃縮する映画的手法を避け、ドキュメンタリーのような時間感覚。さまざまな新しい試みが新鮮な映画でした。

◎『マップ・トゥ・ザ・スターズ』
ハリウッドを舞台に、映画スターの母と娘、姉と弟がシェークスピア劇のように破滅してゆく。ハリウッド・バビロン炎上を幻視するような作品でした。アトム・エゴヤン、ドゥニ・ヴィルヌーヴとカナダ系監督の映画が面白いけど、本家クローネンバーグのクールな狂気は突出してる。

◎『海街diary』
同じ女性4人を主人公に、実験的な『ハッピーアワー』に比べると、是枝裕和監督の成熟が光ります。長澤まさみ、夏帆ら女優の魅力を引き出す演出力、息をのむショット、希望を感じさせるエンディング。小津、成瀬、木下といった日本映画の家庭劇を現代に再生させた、日本映画のど真ん中にある作品でしょう。

◎『薄氷の殺人』
ハルビンの連続殺人事件を追う中国製フィルム・ノワール。自堕落な元刑事と謎めいた薄幸の美女。ラスト、白昼に打ち上げられる花火が記憶に残ります。中国社会の成熟、それに比例した闇の増大、美意識の深化といった条件がこの大陸製ノワールを生んだのでしょう。

◎『海にかかる霧』
中国系朝鮮族の密航者を乗せた漁船の窒息死事故と遭難をダイナミックに描く韓国映画。韓流スターと演技派を配し、古風だけど重厚な人間ドラマに仕上がっています。中国系朝鮮族が大量に流入している現実を背景に骨太なエンタテインメントをつくりあげる、韓国映画の実力を思い知らされます。

◎『さよなら、人類』
同じ北欧のアキ・カウリスマキのようなユーモアに貫かれながら、幻想的だったり、いきなり歴史の残酷さを露出させたり、過去現在の時間が入り乱れたり、不思議な感触のスウェーデン映画。絵画が動き出したような画面。全編スタジオ撮影した演劇のような空間。これまで見たどんな映画にも似てない作品でした。

◎『味園ユニバース』
大阪は下町の祭に関ジャニ∞の渋谷すばる扮する記憶喪失の男が乱入し、吼えるように歌う。そんな野良犬のような男を二階堂ふみ演ずる女が飼うことになる。山下敦弘監督の音楽映画は『リンダ・リンダ・リンダ』もよかったけど、ここでも快調。スタッフ・キャストに大阪組が多く、街への愛にあふれてます。

今年は見ごたえのある映画が多かったように思います。他に10本に入れようかと迷ったのは、邦画で『恋人たち』『岸辺の旅』『さよなら歌舞伎町』『野火』、アジア映画で『黒衣の刺客』『私の少女』、洋画で『ナイトクローラー』『バードマン』『アメリカン・スナイパー』『夏をゆく人々』といったところ。

今年もおつきあいいただいてありがとうございました。良いお年をお迎えください。

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December 28, 2015

『ハッピーアワー』 新しい映画

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Happy Hour(vewing film)

『ハッピーアワー』は上映時間5時間17分。眠気覚ましのガムなど用意して行ったんだけど一度も口に入れることはなかった。ドラマチックな展開があるわけでもない作品ながら、まったく飽きずに画面に引き込まれた。

いまインディーズ映画はいろんな形態があるけど、この映画の発信源は自治体。神戸市が主宰するアーティスト・イン・レジデンスに濱口竜介監督が招聘され、即興演技ワークショップを開き神戸を舞台にした映画づくりを行うことになった。そのワークショップに参加した17人の市民をキャストに、濱口監督と野原位、高橋知由のユニットが脚本を書いて実現した作品。クラウド・ファンディングで資金を集めたりもしている。

映画は3部に分かれていて、カメラは30代の女性4人グループの日常を追う。

バツイチのベテラン看護師で、仕事一筋のあかり(田中幸恵)。夫は公務員、中学生の息子をもつ専業主婦の桜子(菊池葉月)。夫は編集者、アートセンター(本作の製作母体となったワークショップがモデルみたい)に勤めるキャリアウーマンの芙美(三原麻衣子)。夫との離婚裁判が進行中で、弁当屋で働く純(川村りら)。

仲良しの4人は芙美が企画したワークショップに参加する。その打上げで純が離婚裁判をしていることを告白し、あかりがそれを知らされていなかったとに怒ったことから、4人の間に微妙な溝が生まれる。4人それぞれに小さな出来事が起きる。あかりは、患者の子供の片親である男と親子デートして結婚に心が動く。桜子は、息子がガールフレンドを妊娠させてしまう。芙美は、夫が担当する若い女性作家が夫に心を寄せているらしいのを複雑な目で見ている。裁判では純の不倫が明らかになるが、離婚する気のない夫は純を愛していると彼女に迫る。

映画の冒頭近くと終わり近く、長時間のワークショップのシーンが2度出てくる。どちらも据えっぱなしのカメラでドキュメンタリーを撮っている感じ(濱口監督はドキュメンタリー作家でもある)。4人の日常を追う本筋からは、手法もやや異質で長時間のこのワークショップのシーンには、ふたつの要素がありそうだ。

ひとつは、この映画の出演者が濱口監督の即興演技ワークショップの参加者であるところから、そのワークショップの延長のような設定をすることで演技未経験の出演者たちから自然な演技を引き出そうとしたこと。もうひとつは、4人の日常的な物語に対して、いわばメタレベルでテーマを暗示していること。

最初のワークショップは、講師が重心について語る。椅子を斜めにし1点を支えに立ててみせる。物体の重心と、物体を貫く中心線を意識させる。次に何人かが背を合わせて座り、集団の重心を維持しながら全員で立ち上がる。1人と集団、それぞれに重心がある。重心はちょっとした動きでずれればすぐに倒れてしまう。それが主人公の4人に重なる。

2度目のワークショップでは、若い女性作家が温泉をテーマにした短編小説を朗読する。小説は作中の主人公が温泉につかりながらある男に好意を寄せているといった内容(言葉の力が弱いせいで、ここは唯一長すぎると感じた)。芙美は、それが作者自身と芙美の夫である編集者の男に重なっていることを感じている。1度目のワークショップの講師である男が、このシーンでは芙美とあかりを誘惑する役割で登場する。

4人の女性がそれぞれに区切りをつけるけれど、ドラマチックな起承転結があるわけでもない。数カ月という時間を、ドラマとして濃縮させずただぶつ切りにして提示してみせたといった感じ。この時間感覚は、ホウ・シャオシェンの映画、例えば『珈琲時光』なんかに近い。現実の時間の流れに近いその感覚から、映画を見ていて、自分が知っている30代の女性たちもきっとこんな問題を抱えながら生きているんだろうなと感じさせる。その自然さ、みずみずしさで4人はロカルノ映画祭で主演女優賞を受賞した。

その舞台となる神戸の街も、観光名所はまったく映らないけれど、神戸大震災後の神戸の街をこんなに美しく切り取った映画はないんじゃないかな。

映画のつくり方について、内容や手法について、出演者について、あらゆる意味で新鮮な、今までに見たことのない映画だった。

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December 24, 2015

イブのカフェオレ

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この歳になるとクリスマスとは無縁の1日と思っていたら、ご近所のカフェでコーヒーアート。

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December 19, 2015

加藤典洋『戦後入門』を読む

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ブック・ナビに加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書)の感想をアップしました。

http://www.book-navi.com/

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December 13, 2015

『黄金のアデーレ 名画の帰還』 ヘレン・ミレンの映画

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Woman in Gold(viewing film)

ニューヨークのノイエ・ギャラリーはメトロポリタン美術館から北へ2ブロック歩いた東86丁目の角にある。ヨーロッパふうに装飾された壁と窓をもつ、エレガントな外観の歴史的建造物。クリムトやエゴン・シーレはじめ20世紀オーストリア美術や工芸品のコレクションで、小さいながら見ごたえのある美術館だ。クリムトの「黄金のアデーレ」、正確には「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」はここの2階に展示されている。

ノイエ・ギャラリーに「黄金のアデーレ」が展示されはじめたのは2006年。史上最高額で取引された絵画と話題になっていた。僕は翌07年にニューヨークに暮らしはじめ、ここへはときどき出かけた。展示を見た後、ウィーンのカフェを再現した地下の「サバスキー」でお茶を飲んでいると、フェルメールやターナーをもつフリック・コレクションとともに、アメリカのミリオネアがどんなふうにヨーロッパに憧れを持ったかを感ずることができる。

でもノイエ・ギャラリーで見ていたときは、ここへ展示されるまでにこの絵にどんな歴史があったのかまでは知らなかった。『黄金のアデーレ 名画の帰還(原題:Woman in Gold)』を見て納得。20世紀の現代史を生きた絵画なんだなあ。

絵画に描かれたアデーレの姪マリア(ヘレン・ミレン)は、ナチスが侵攻したオーストリアから亡命しアメリカのロサンゼルスに住んでいる。マリアの両親はウィーンに住む裕福なユダヤ人で、芸術のパトロンとして邸宅にはクリムト、マーラー、フロイトらが出入りしていた。やがて両親は亡くなり、「黄金のアデーレ」など所有する美術品はナチスに没収された。「黄金のアデーレ」は戦後、ヴェルベデーレ宮殿にあるオーストリア絵画館の所蔵になっている。

マリアは、やはりナチスから亡命した作曲家シーェンベルクの孫で若い弁護士のランディ(ライアン・レイノルズ)と協力して、オーストリア政府に対し「黄金のアデーレ」を返還してほしいと訴訟を起こす。

マリアは西海岸でふつうの暮らしをしているが、ヨーロッパの上流階級らしい気品とプライドを身につけ、鋭い皮肉を飛ばすと思えば明るく笑いとばす。オーストリア政府を訴えるという無謀とも思えた訴訟は、小さい頃、アデーレの膝に抱かれた記憶があるマリアにとって、いわば家族を取り戻すことだったのだろう。そんな歴史を生き、複雑な性格をもつ老婦人はヘレン・ミレン以外に考えられない。彼女あってこその映画だろう。

もうひとつ感心したのは、ウィーンでロケしていること。ナチスが侵攻しこれに協力したことは、オーストリアにとっては「この国の最大のトラウマ」(サイモン・カーティス監督)だが、オーストリアはこの映画に協力している。そこにヨーロッパの成熟を見る。ナチスが進駐してきたときの、ハーケンクロイツの旗におおわれたウィーンの街路。ナチスに熱狂する女性や子供たち。ユダヤ人が侮辱されるのを黙ってみている市民。またナチス侵攻以前の、裕福なユダヤ系市民のサロンの雰囲気が描かれているのも面白かった。

マリアと夫のウィーン脱出を軸にした過去と、勝ち目の薄い訴訟をどう逆転させるか裁判劇の現在を交錯させて飽きさせない、ウェルメイドのイギリス映画。もちろんこの物語の背後には、映画に描かれない側面──戦後賠償を求める世界ユダヤ人会議の存在や、それを後押しするようなアメリカの司法制度、大金を稼いだ弁護士、巨額の金が動く絵画ビジネスといった政治や金をめぐる諸々の問題もあるだろう。まあそういったことはさておき、ヘレン・ミレンとウィーンの街を楽しめた映画でした。


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December 04, 2015

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』 白い神への反乱

Feher_isten
White God(viewing film)

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(原題:fehér isten)』の主役は犬。エンタテインメントでもあり社会派ドラマでもあり寓意的な近未来映画でもあり、独特の雰囲気をもったハンガリー映画だった。

リリ(ジョーフィア・プショッチ)と愛犬のハーゲンは、海外へ行く母と義父のもとを離れ父ダニエル(シャーンドル・ジョーテル)の家に預けられる。折から雑種犬を飼うと高額の税金が課せられるという法ができ、それを嫌ったダニエルはハーゲンを捨てる。

ここから、捨てられたハーゲンとハーゲンを探すリリのふたつの視点が交錯しながら物語が進む。カメラが時に犬の視点になったりするのが面白い。ハーゲンはホームレスの手で闘犬業者に売り飛ばされる。闘犬としての訓練を受け、善良そのものの表情だったハーゲンが牙を研がれ獰猛な表情を見せて野生を取り戻していく。その変貌がすごい。実際にアメリカのトレーナーが訓練したらしい。闘犬業者の元を脱走したハーゲンは雑種犬狩りによって収容所に入れられるが、雑種犬たちのリーダーとなって収容所を脱出し、人間を襲う……。

一方、リリは父に反抗してハーゲンを探しまわる。学校のオーケストラでトランペットを担当するリリは、いつもデイパックに楽器を入れ、パーカーを着てスポーツ自転車に乗っている。ハーゲンはリリのトランペットの音を好み、トランペットをいつも持っていることがリリの心を表している。

ハーゲンのパートは『猿の惑星』を、リリのパートは『ターミネーター』のヒロイン、サラ・コナーを思い出させる。でもこの映画がハリウッドのSFとまったく似ていないのは、ブダペストの町を歩き回るリリがとてもリアルなこと、そして実際に数百頭の犬(実際に野犬収容所の犬を訓練したそうだ)を使ってSFXなしで撮影されているからだろう。

純血犬のみ許可し雑種犬狩りをするという設定は、アーリア人種の純血をうたったナチスを思い出させるし、最近のヨーロッパでの移民排斥の動きを連想させもする。原題の「ホワイト・ゴッド」とは、犬の眼から見たら人間はそう見えるだろうと監督のコーネル・ムンドルッツォは語っている。

ラスト、収容所前の広場にハーゲンを先頭に雑種犬が集まり、彼らに向かい合ったリリが地に体を伏せて犬と同じ目線になり、蜂起した犬たちのリーダーになることを暗示する。それを俯瞰で捉えたショットが素晴らしい。


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