『恋人たち』 成熟した国の映画
『恋人たち』はちぐはぐに成熟したこの国でしか生まれない、というかこの国でこそ生まれた映画だなあ。そんな感想を持った。
成熟した国でよく生まれる映画に「なにも起こらない映画」がある、と思う。発展途上の国の映画は、その国や社会が抱える問題をストレートに反映したものが多い。発展途上であるために多くの矛盾や問題を抱えているから、そこからいくつもの魅力的なドラマが生まれる。成熟した国ももちろんいろんな矛盾を抱え込んでいるけれど、一見平和で社会の表面に事件や出来事として浮上することが少なく、外から見えにくくなっている。
そこでは社会の表に問題化されないけれど、ドラマは変哲もない日常を舞台に主人公の心のなかで進行している。そんな「なにも起こらない映画」はヨーロッパにもアメリカにも日本にもあるけれど、どの映画もなにがしかその社会のありようを反映している。『恋人たち』が反映しているのは、この国の空気だろうか。
三人の男と女の日常が並行して描かれる。橋梁点検の専門家アツシ(篠原篤)は妻が通り魔に殺され、その喪失感から立ち直れないままでいる。瞳子(成嶋瞳子)は同居する姑(木野花)と会話のない夫と郊外に暮らし、弁当工場へ自転車通勤している。弁護士の四ノ宮(池田良)はゲイで、大学時代の同級生である聡(山中聡)への思いを抱えたまま若い男と同居している。
三人の日常に些細な出来事が起こる。いちばん出来事らしい出来事が起こるのは瞳子で、工場の出入り業者・藤田(光石研)と不倫関係になってしまう。藤田は薬物中毒で、愛人の晴美(安藤玉恵)と「美女水」と称する怪しげな水を販売している。この映画、主人公の3人は新人俳優だけど脇を個性派が固めている。光石研と安藤玉恵の怪しげなカップルがなんともおかしく、光石研の真面目くさった出入り業者の顔と薬物中毒者の顔の落差には笑ってしまう。
骨折して入院した四ノ宮は、見舞いに来た聡から彼の息子にゲイとしてちょっかいを出したのではないかと疑われてしまう。四ノ宮の聡への密かな思いを、骨折した四ノ宮が松葉杖の先で聡の影を輪郭に沿ってなぞる動作で描写するショットが素晴らしい。アツシは妻を殺した男に民事裁判を起こしたいと奔走するが依頼した弁護士の四ノ宮は乗り気でなく、のらくらとかわしている。ここで交錯する一途なアツシと、どう見ても正義派ではなさそうな四ノ宮の対比がおかしい。
三人の心の揺れがていねいに描かれている。生身の、等身大の人間たち。結局、僕らの日常がたいていそうであるように、事件は何も起こらない。家出して藤田の部屋に転がりこもうとした瞳子も、藤田の正体を知って元のさやに収まる。骨折が直った四ノ宮は、のらくらと弁護士稼業に戻っている。アツシは喪失感を乗り越えられそうな気配を漂わせて仕事に励んでいる。川船に乗ったアツシが高速道路に挟まれた狭い青空を指さし、仕事の習慣である「よし!」と声を出すのがいい。
みんな心の傷を抱えている。でもそんな心を抱えたまま生きていかなければならない。いとおしくもあり、いささかナルシスティックでもある。三人それぞれの姿を通して、成熟したけれど澱んでいるこの国の空気がリアルに感じられた映画だった。
橋口亮輔監督の映画を見るのはデビュー作の『二十歳の微熱』以来で、ゲイへのこだわりは変わらず。国際的にも評価された『ぐるりのこと。』『ハッシュ』も見たくなった。
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