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November 21, 2015

フジタの戦争画

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東京国立近代美術館のMOMATコレクション展で藤田嗣治の戦争画14点が展示されている(~12月13日)。

2006年に同館で開かれた「藤田嗣治展」や神奈川県近美の展覧会などでフジタの戦争画が数点ずつ展示されたことはあるけれど、近美が所蔵(米国から永久貸与)する14点を同時に見られるのははじめて。うち6点は、これまで印刷でしか見たことがなかった。フジタの戦争画は大画面で、しかも全体が暗い茶褐色に塗り込められているのが多いから、小さな印刷図版では何が何だかわからない。

14点を見て印象的だったのは、卓越した技術の背後にあるフジタの冷めた眼差しだった。

戦意高揚のための絵画を注文されながら、絵筆を取るフジタ自身はまったく熱狂していない。戦争へと総動員された国民的熱狂から遠いところにいる。そのかわり、パリでの名声を嫉妬と無視で迎えた日本画壇を見返し、絵画史に名を残そうとする野心はひしひしと感じられる。

戦争初期に描かれた「南昌飛行場の焼打」「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」「武漢進撃」などは横長の大パノラマで、地平線や水平線が画面を横断し空が広く取られている。天地の広い空間に描かれた戦闘は、青空や草原など明るい色のなかでどこか牧歌的ですらある。見る者を興奮させる類のものではない。

戦況の悪化とともに、フジタの戦争画も変わってくる。宗教画に近くなってくる。

これはよく指摘されることだけど、フジタの戦争画は日本絵画に伝統のないヨーロッパの戦争画や宗教画を下敷きにし、これを日本に移しかえようとしている。「ソロモン海域に於ける米兵の末路」や「サイパン島同胞臣節を全うす」は、画面からヨーロッパの絵画が透けて見える。「ソロモン」はアメリカの戦争絵画と言われても納得してしまいそうだし、「サイパン」の兵士や女性の顔やしぐさはどう見ても日本人じゃない。

戦争末期の絵は、近景に敵味方の兵士(どちらが日本兵でどちらが米兵かも判然としない)が銃剣で殺し合う肉弾戦、遠景に風景を描いたものが多い。「○○部隊の死闘─ニューギニア戦線」「血戦ガダルカナル」などだけど、やはり「アッツ島玉砕」の迫力は何度見ても圧倒される。ただそこで引き起こされる感情は戦意高揚ではなく、死者への鎮魂だ。これはやっぱり傑作だなあと再確認。

いつも思うことだけど国立近美は所蔵する150点の戦争絵画を中心に各地にあるものも集め、大規模な展覧会を企画して戦争絵画の問題を考えてほしい。


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