『岸辺の旅』 小津安二郎の影
Journey to The Shore(viewing film)
黒沢清監督の『岸辺の旅』を見て、これは小津安二郎へのオマージュというか、小津作品にインスパイアされた映画だなという感想を持った。
その訳を説明するために、まず黒沢清が小津の『風の中の牝鶏』という映画について語ったことを、長くなるけど引用してみよう。
「この作品(『風の中の牝鶏』)も、つらいけれど頑張って生きていこうよ的な物語上の結論が、音楽によって都合よく伝えられてはいるんですが、注意深く見てみると、これが本当に気味の悪い映画でした。/まず、ほとんど全員が死んでいるとしか思えない。息子が病気になって、いや、助かったというんですけど、ほとんど助かってよかったというようには見えない。……戦争に行った夫……佐野周二さんもほとんど亡霊のように帰ってきます。最後に、田中絹代さんが階段から落ちて死んだとしか見えない演出がされているわけですが、その後、ゆっくりと立ち上がっていく。/家族三人とも、ほとんど死んでいるわけですね。……しかし音楽だけは、よかった、よかったという音楽でみんなだまされるんですけど、本当は何ともゾッとする気味の悪い映画なんじゃないでしょうか」(『国際シンポジウム 小津安二郎』朝日選書)
親子三人いろいろあったけれども、けなげに生きていくという、小津の生涯のテーマだった家族の物語である。でもよく見ると、登場人物の三人がそろって死者であるように撮られている。もっとも音楽がいかにもホームドラマにふさわしいものなので、その異様さは音楽の陰に隠されてしまっている。黒沢清は『風の中の牝鶏』について、そう語っている。
この作品の登場人物が死者のようだという指摘は僕が知る限り黒沢以外から聞いたことはないから、これは黒沢がホラー映画を撮ってきた監督で、気配の表現にとりわけ敏感な演出家であるせいかもしれない。でも小津安二郎の映画は、家庭劇であっても部分部分に映画がスムースに流れることを寸断する異質なショットが挟まれ、観客の感情の流れをさまたげる演出がなされていることも確かなのだ。
ここまでくれば、『岸辺の旅』が『風の中の牝鶏』と似ているけれど違う、違うけれど似ている映画であることがわかるだろう。
行方不明になって3年、夫の優介(浅野忠信)が瑞希(深津絵里)の部屋に、「俺、死んだよ」と言って(亡霊のようにではなく)亡霊として帰ってくる。優介と瑞希は、優介が死んでから3年の間に世話になった人たち、場所を訪ねる旅に出る。小さな町の新聞配達店の店主・島影(小松政夫)、彼もまた死者になっている。別の町の中華料理店を営む夫婦。妻の死んだ妹が現れてピアノを弾く。谷あいの農家・星谷(柄本明)。星谷の嫁は死んだ夫が忘れられず、現れた夫ともつれあう。
映画では生きている者と死んでいる者がふつうに語り合う。死者はふっと現れ、ふっと消える。でも亡霊として気味悪い演出はまったくされていない。浅野忠信も生きているのと変らない男として、ふつうに描かれている。ただ時折、死者が暮らした部屋の極彩色の花柄を張りつめた壁とか、死者の周囲に立ち込める雲のようなものとか、カーテンが風に揺れたり部屋がいきなり暗くなったり、死を連想させるショットが挟みこまれる。まるで小津のように。でもそれも、大友良英の心温まる音楽の陰に隠れて、異様さを感じさせない。
明らかに小津を意識してつくられたのが、夫の愛人・朋子(蒼井優)と瑞希が向かい合って話すシーンだろう。2人の会話が、小津が得意としたカットバック(しゃべっているAとBを交互に正面から撮る)の手法で撮られている。だから会話している人物の視線が交わらない。小津の「逆目線のカットバック」と呼ばれるものだ。しかも小津の場合、いつも人物はカメラから少しずれた方向に眼を向けている。だから観客にとっては2人があらぬ方を向いて対話しているような異様な感じを受ける。
黒沢の場合は、深津絵里も蒼井優もカメラを見てしゃべっている。2人とも正面を向いているから、そこに不自然さはない。不自然さは別のところにある。小津の場合、笠智衆と原節子といったようにカットバックする2人に男女、あるいは年齢の差があるから不自然さを感じないけれど、黒沢は深津絵里と蒼井優という年齢差の少ない女優をまったく同じポジションで、姿形が重なるように撮っている。しかも2人とも額の左上で髪を分け、肩まで垂らしている。そんなふうに2人が同じポジション同じ姿形でカメラを見てしゃべるのを見ていると、なにやら深津絵里と蒼井優が重なってくるような奇妙な感じに捉われる。そこで蒼井優が不敵な笑みを浮かべるのが、ホラー映画なら最高の場面。
このカットバックは黒沢の小津へのオマージュでそれ以上の意味はないと思うけど、あえてその含意を探れば瑞希=朋子であるということだろうか。浅野忠信と蒼井優の間には、もうひとつの「岸辺の旅」が存在する。
小津映画がいろいろあっても最後は家族の愛の物語として終わるように、『岸辺の旅』も(『東京物語』が海が見える家で終わったように)小さな漁港の海岸で夫婦愛の物語として終わる。しみじみと、ハッピーエンドの音楽がかぶさる。見事に小津だった。
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